好きな映画のひとつ。
ちょっと久しぶりに観ました。
2007年のアメリカ映画。
どうやら、今年2019年に日本でもリメイク作品が公開予定らしいけど、それは知りませんでした笑。
アメリカ映画らしくブラックジョークが飛び交って、皮肉でもあるけど、そこにアメリカ人特有の笑いがあり、そのユーモアがこの映画を「最高」にもしているのかもしれない。
死を宣告されたとき、人はどのようにその時間を過ごすのか。
死に方は、いろいろあるということ。
生き方も、いろいろあるということ。
そんなことをちょっと考えさせられると、改めて感じました。
わたしは、生まれながら信仰がある家系に生まれました。
だから、祈ること、神や仏、魂や転生があるということ、縁とか徳とか、何かよくわからない導きとか、信じる、信じないではなくて、当たり前に生活の中にあったように思います。
(あ、でも、これは誤解がないように。信仰はあっても、信仰心はありません。笑)
だからなのか、この映画の主人公の二人の気持ちが、言い分が、どちらもわかるような気もするけど、やっぱり「死」を宣告されたわけでもないから、たぶん、ちゃんとはわからないんだろうなって思います。
ただ、ステキだなって思うんです。
二人で、ふたりにとって「最高の人生」を、最低とも言える「死」へと向かう時間。
しかし、やっぱりスゴイと思います。
ふたり別々に歩んできた道を、語りぶつけて、きちんと言葉にできる生き方をしてきているということが。
だからこそ、お互いに同じ時に「死」を宣告されて、残りの時間を「苦」ではなくて「笑」にしていこうという、ただそこだけが合致しただけで、まったく違う世界観を歩んできた二人なのに、分かち合うことができたのかなって。
それにしても「時」というのは、やっぱり人と人を修復してくれる「最高」のモノなのかもしれない。
人は、変わりつづけるもの。
そんなこともたった115分の中でも、気づくことができる。
けど、変わらないものもあるということも。
あのエドワードの秘書は、優秀過ぎる。
きちんと忠誠心もありながら、確実にものごとをこなす。
そして、ボスの意思を引き継いで、最後まで仕事をこなす。
人生の最後の2つの質問に「yes」と答えられるように生きることは、実にむずかしいような気がしました。
ただ、小さな「希望」をともし続けることは、その「yes」を言えるように生きることなのかもしれない。日本版は、女性二人の最後の最高の時間を描いているらしいです。予告編は見てません。
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