Dandelion~美容師の生活~

ヒトのために地球のために自分ができること

あんしんということ。

2019-06-15 18:45:18 | かたりごと

先日、以前かかりつけだった病院へ行ってきました。

まだ美容室でしっかりはたらいてたとき、からだの不調を訴えてもビタミン剤を打って店に立たせようとする店長で、もちろんじぶんがいないと成り立たないような店でもあったから、仕方ないにせよ、じぶんの味方になる病院、医師を見つけないといけないなと感じ、見つけた病院。

当時は内科だけでなく、婦人科も併設していたから、本当に「女性のための病院」として、完全予約制だけどムリして受診したものです。

ちょうど30歳手前にその病院を見つけて、カラダの変化もあるときで、内科・婦人科・心療内科すべてを診てもらって、どの先生と話しても親身に話を聞いてくれて、小さなわたしの動作や言葉にも気にかけてくれて、本当に安心できる病院で、いろいろあって行きにくい心境にもなっていたんだけど、もう一度じぶんのかかりつけにしようと行ってきました。

30歳はある意味、学生を卒業して社会を出て10年。
ある程度、会社でも社会的にも「自立」していたい年頃。
しかし、当時のわたしはそこまでに至っていませんでした。

そして、焦っていました。

じぶんに「その力量はある」と思っていても、社会に認めてもらうためには、じぶんの実力だけではなく、「人とのつながり」がいちばんたいせつで、とくに「独立」「フリーランス」といったはたらき方になると、なお一層、そのことが大きく影響してきます。

その縁にもめぐまれても、いつもその一歩先に行くことができず、コケていたんです。

いろんなことがうまくいきそうで、ビックリするほど、その相乗効果を考えていくと眠れなくなっていったんです。
寝ようと布団の中に入っても、リラックスするとまたいいアイデアが浮かんできてしまって、メモらないと忘れてしまう。
どんどん楽しくなって、いつの間にか3日ほど寝てないということになり、仕事に影響が出てきたのがわかったんです。

じぶんは正しく処理しているつもりができていない。
どんなに注意して、心がけてもまた失敗している。
けど、じぶんのしごとのアイデアはどんどん膨らんでいく。

それではじめてそこの「心療内科」というところにお世話になりました。
あ、もう少し若い時に大学病院のクリニック的なところには行ったところあったけど、ぜんぜんちがった。

100問ちかいさまざまな5択問題を解かされて、分析してくれて、クスリを処方されました。
抵抗はあったけど、それで「あんしん」をすごくしたんです。

専門分野の「医師」という先生に、サポートしてくれてる感があることが。

もう記憶は薄れてしまっているけど、そのとき「安定剤」と「睡眠導入剤」をいただいたと思っています。
しかし、アイデアがどんどん膨らんでいくことは、収まりませんでした。

いろんな人に会うこと、新しいことをはじめること、これからじぶんがやりたいことができるというワクワクが収まることはありませんでした。

しかし、今思ってもやっぱり眠れなかったことがすごく大きかったような気がします。


そして、わたしにとって「ある事件」が起こりました。


隠していたいような、忘れたいような・・・しかし、現実として起きてしまったこと。
どうすることもできなかった。
避けることもできなかった、大きなことでした。

だけどそのことがきっかけに、考え方を広く持てるようになった気がします。
「精神科」「心療内科」という診療科のことにちょっと不信感を持つようになったこと、いや、「病院」や「医師」に対してすごく警戒心も持ちながら、「クスリ」に対してもちゃんと考えて、意味を考えて、本当に必要かを思って摂取するようになりました。

あれ?なんでこんなことまで言っているんだろう笑。

今日言いたかったことは、先日そのかかりつけの病院の先生方にお会いして、やっぱり安心したんです。

心療内科の先生には10代のときのこと、20代のときのこと、30代にあったことを話して「精神病ではないね。」「震災の被害者か・・・」という言葉をもらって、なんかたくさんの人が東北の震災のときにおなじような思いをしたんだなって、じぶんだけではないと思えたことがとても安心したんです。

閉鎖病棟で入院したときは、わたしの話を聞いてくれるだけで、耳を傾けてくれなかった。
「いまのあなたの状態では、状況を理解することができない」と勝手に医師に判断されて、何も説明してくれなかった。
搬送されたときさえも、「ここは病院です。」ということさえ教えてくれなかったんです。
何も知らずに閉じ込められてしまって、不安にならずにいられる人がどこにいるんでしょうか。

しかし、これが社会として許されて、現実に起きていることです。

思うんです。
「精神科」「心療内科」と分類されるところは命に大きく影響はしないけど、「人の人生」という一生に影響するもので、クスリを服用することは良くも悪くも少なからず、脳や感覚に影響があるような気もするんです。

だってね、安定剤というものはやる気の元でもある「ドーパミン」や「アドレナリン」のようなものが多く出すぎているものを強制的に抑えるもので、火山の爆発に栓をするようなことになります。
だから、勝手にやめると抑えていたものが出てくるので、じぶんでもあり得ないような行動をするようになる。
それを「再発しましたね」と診断してまだ病院へ送るのが、いまの閉鎖病棟の連鎖になっています。
これをくりかえして、さらにほかのクスリを服用するようになる。
終いには「うつ状態」にされて、「落ち着きましたね」と退院となるんです。

これは、わたしが実際に体験して感じたこと。

それらは、自然に生成される人間の神経伝達物質の一つなのに、基準値という偉い人たちが勝手に決めた数値以上になると「異常」と判断するのはどうなのでしょう。

ただ、「クスリ」ができたことを完全否定することはありません。

だって、神経細胞はとてもとても小さなもので、まだまだ解明できていないことがたくさんあるもので、「ドーパミン」や「アドレナリン」などが多く生成されることで、じぶんでも制御できなる、人に迷惑をかけるような行動をすることがあることは否めないから。

そのために少しの時間、隔離する必要があって、しずかな時間を過ごすことはたいせつだとは思うから。


今回、また不眠状態になってわかったこと。

それは「精神科」や「心療内科」に通っているからといって「精神疾患者」とカンタンに病院も医師も判断をしなくなったんだなということ。

そして通院している人も、きっと「社会の被害者」だったり、「社会のために役に立ちたい」と思っている人が多いということでした。

東北の震災の影響は、今もまだ人々の心を痛めているということ。


東北で実際に被害にあった人たちは切に願ったそうです。「忘れないでほしい」と。



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