今日は梅雨のほんの小さな中休みになるのかな。
さて、世の中の多くの人はちょっと大きな収入があって喜んでいるところなのかな。
アルバイトや派遣、美容師と・・・そんな仕事ばかりをしてきたから、「うらやましいな」とそんな人たちを横目によく見てたものです。
いまも失業中だし、あのまま務めていたらほんの少しでも入っていたのかな、なんて思ってしまいます。
人というのは、おろかというか、残念というか、ま、当たり前なんだろうけど、こう収入が多くあると浮かれてしまいます。
「ちょっと高いあれを買おう!」「贅沢に目をつけてたレストランへディナーへ行こう!」「バーゲンで発散!」「今年は〇〇へ行くんだ!」なんて、ウキウキ・わくわくするものです。
もしくは、その前に購入してた引落があったりしちゃうのかな。
そんな浮足が立ってしまうようなことがあっても、本当に残念ながら、失業中のあたしみたいな人以外は笑、「日々の作業」「日々の打合せ」「日々の営業」などがあります。
好きな仕事に就けてる人でも、なんも考えずに就いてしまった人でも、流れくるものをヨコに渡すだけのようなことをしている人でも、みんなおなじことでしょう。
失業中のわたしが、こんな「はたらくこと」をたまにこうして書いているのは、そのどれもを経験してきたからかもしれません。
そんでもって、その数だけたくさんのはたらき人を知っていて、尊敬できる人やそうじゃない人、言いたかないけど「最近の若い人は・・・」と思ってしまう年齢にもなりました。
ただの「家賃稼ぎ!」「生活のため!」「お酒のため!」にしたって、はたらいてる時間というのは、じぶんの人生の中の80%くらいは拘束されてしまっているような気もするんです。
なので、すこしでもその時間を「楽しく」「ラクに」「おもしろく」できるように、しかし、もらっているお給与は「人からもらっているお金」というのは、どの仕事をしていても同じことだから、資産運用なんかで得ているのも、運用先には「人」が必ずいるからね。
そこにはちゃんと「責任もって」「誠実に」「正確に」をすることによって、「得られてる」とも思わないといけないのかもしれません。
<会社に所属して、出社すれば、毎月決まった日にお金が振り込まれている。>
それが、社会人なんだけど、せっかくの人生の中の80%占めているものだから、よりよい時間になるようにしてみるのはどうでしょうか。
はたらき方が変ると、生活がイキイキしてくる、人と関わることがたのしくなる、ちょっとキレイになれたような、カッコよくなれたような、そんな感じにもなってくる。
わたしが知っている人で「仕事は大嫌い!酒のためにはたらいている」と言っている人がいたけど、仕事は「責任もって」「誠実に」「正確に」する人だったので、すごく信頼して、頼りにしてました。
逆にね、「仕事はまじめにすること!私に任せて!」と言ってるような人もいたけど・・・コメントは控えさせていただきます笑。
ちょっと精神論っぽいことで、んなんで、仕事なんてできるか!なんてことも聞こえてきそうですが、ん~、どんな人とはたらきたいかってことだと思います。