真柄十郎左衛門直隆 作 かづを 氏
真柄 直隆(まがら なおたか、天文5年(1536年) - 元亀元年6月28日(1570年8月9日))は、戦国時代の武将。朝倉氏の家臣。十郎左衛門。弟に真柄直澄、子に真柄隆基。北国の豪傑として知られる人物で講談(講釈)や軍記物にしばしば登場する人物である。
朝倉家中でも武勇に優れた人物で、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠千代鶴の作による五尺三寸(約175センチ)もの太刀「太郎太刀」を振り回して戦ったという。
1570年、姉川の戦いで敵中に深く斬りこみすぎて、子の隆基とともに戦死した。なお、弟の直澄も勇猛で知られたが、この戦いで討死している。直隆を討ち取ったのは向坂三兄弟とされている(向坂兄弟が討ち取った時に使用した太刀は「真柄斬り」と名付けられ、名刀の一つになっている)。『信長公記』においては青木所左衛門が討ち取ったとしている。
太郎太刀は現在、愛知県名古屋市の熱田神宮宝物館に奉納されている。熱田神宮にある物が直澄の次郎太刀で白山比神社にある物が直隆の太郎太刀という説もある。