【026】延暦寺
住所 大津市坂本本町4220
宗派 天台宗総本山
山号 比叡山
開山 伝教大師
本尊 薬師如来(総本堂根本中堂本尊)
国宝 根本中堂、金銅経箱 六祖恵能伝、宝相華蒔絵経箱 伝教大師入唐牒 伝教大師将来目録
重文 木造千手観音立像 木造聖観音立像 木造維摩居士坐像
延暦寺の本尊が薬師如来と言うのは意外な感じがします。しかし、根本中堂、初めから薬師如来を本尊にするために建てられたものなのだと分かります。中に入ると、内陣、中陣、外陣と分かれていて、板張りの中陣、外陣と違い内陣は一段下がり土間になっている。神秘的な冷風が土間を通り中陣へ吹いてくる。中央に薬師如来の厨子と御前立ち、室生寺や神護寺の薬師如来と同じく地蔵菩薩や釈迦如来のような立像で薬壺を持っている薬師如来です。脇に毘沙門天と伝教大師(最澄)が祀られ厳かな雰囲気が漂っている。
ところが、信長による叡山焼討の折に本尊焼失したと伝えられています。事実、秘仏3躯とも重文ではありません。更に、本尊薬師如来は、琵琶湖の東にある西国結願寺の谷汲山近くにある横蔵寺と縁があります。妙心上人のミイラで有名な横蔵寺の伝承に、本尊薬師如来が最澄の作で叡山根本中堂の本尊薬師如来と同じ霊木により作られたとあります。そこで、焼き討ちで失った本尊の代わりに横蔵寺の本尊薬師如来を叡山の本尊に据え替えたと言う説に信憑性が高い訳です。それでも重文クラスのはずです。と言うことは、それすら失っていることになります。厨子の中は、空っぽ。可能性があります。または、御前立ちと同じ作者で同じ薬師如来、毘沙門天、伝教大師が厨子の中に祀られていると考えると、それなりに説として成り立ちます。
さて、何故、天台宗の大本尊が薬師如来なのか。天台密教確立した円仁以後なら分かりますが、当初より薬師如来を祀るために建てられた比叡山延暦寺と言うことになります。これは、想像ですが、東寺に大本山を作る予定が、比叡山に追い出された折に天皇への服従を示す必要があった。西の極楽浄土との間に御所を置くことで服従を示し保身した。と考えるのは、考えすぎだろうか。鞍馬寺の毘沙門天も北方からの防衛の目的があったように、京を守るために毘沙門天を本尊のひとつとしたことからも天皇への服従を示したものと考えれば説明が付く。
真言宗は京の町中に寺を建て、門跡寺院として皇族を向かい入れ取り込み勢力を拡大した。天台宗は、服従を前面に出して保身したと私は思っています。僧兵を抱えたのも、圓城寺の内紛も、すぐ武力に訴えると言うのも保身からくるものと思われます。
根本中堂 御詠歌
御詠歌
あきらけく 後の佛の み代までも 光り伝へよ 法のともしび
萬拝堂 文殊楼
東塔 西塔釈迦堂
阿弥陀堂 大黒堂
大講堂 元三大師堂(横川四季講堂)
横川中堂 御詠歌
御詠歌
千代かけて 世をば救いの 鐘の音を 送り絶えせぬ 比叡の山風
弘法大師は凄過ぎた。だからこそ、弘法大師の弟子は大師を超えられないと観念し教えに甘んじて従うことのみを考える。だからこそ凄い弟子は現れない。しかし、最澄は修行らしい修行をしないまま偉くなったエリートで、単に唐に行き天台宗を持ち帰ったと言うだけの人物。だから最澄の弟子は、誰もが最澄を超えられると思ってしまう。だからこそ、弟子に恵まれ、次から次へと高僧が現れる。その証に、高僧達は天台宗を引き継ぎ発展させるのではなく、各自の宗派をみんな立ち上げている。新興宗教を作って、現代に尚残る宗教に発展させているのです。
「最澄は、単なる経文運び人に過ぎない。」と言うことですね。
御詠歌の御朱印帳が終わったので 新しい御朱印帳の一面と終わり面を延暦寺の墨入れをお願いした。
ちなみに 1冊目 高野山奥の院 2冊目高野山金剛峯寺 3冊目四天王寺 4冊目延暦寺となった。
御詠歌の御朱印は やっぱり良いね。
横川参道
横川中堂
元三大師堂
御詠歌があるのだけど 書いてもらえなかった。残念。
西塔
比叡山駐車場横でぜんざいをいただく。500円也
大講堂
根本中堂は 全部撮影禁止なので 文殊楼の石段から撮影。
燈明の 光照らすは 比叡山
修行の道を 教え導く
比叡山は、関西の紅葉スポット人気ランキングNo.1ですね。
綺麗な紅葉ですね。ピークまでもう少しという感じですか。
高野山とは違った趣ですね。
2年前、山行きを始めた頃に大原から比叡山、修学院への道を歩いたのが懐かしいです。
奥比叡ドライブウェイに沿ってしばらく歩いたように思います。
団子さんは、今回は車ですか。
雨にやられるし
行きも帰りも 事故渋滞にやられて
なんでやろ。。。。
もっとも 車で上がったから
雨でも少ししか濡れなかったとも言えるけどね。
スカイラインは 真っ盛りで車が止められなくて
通過しましたが ライトアップもしているみたいでした。
西教寺へも行ったのですが
少し早かったけれど なかなか良かったですよ。
ようやく比叡山に行かれてきたのですね。
車で登るとぼったくりのイメージがいたしませんか(笑。
何故、天台宗の大本尊が薬師如来なのかのくだりは
興味深いお話ですね。
暴力団の縄張り争いなみの行為をしていたであろう比叡山ですから、
争いが絶えずに多くの秘仏や建造物も失ったのでしょうね。
ご朱印、この季節は墨とモミジのように感じられて
とても美しいですね。
僕のお気に入りは横川中堂あたりですが、
綺麗に紅葉していますね。
お疲れ様でございました。
拝観料が550円也
スカイラインが2320円也
高速代を除いて 比叡山だけで7070円ですわ。
ほんと寺巡りは お金がかかります。
さすがに 根本中堂 若いお坊さんでしたが
綺麗な字です。
表紙裏の墨入れをお願いして正解でした。
横川の元三大師堂で土砂降りの中
山をさまよい歩いて駐車場まで戻ってきました。
納経帳を濡らしてはいけませんので
胸に抱いて 結構大変でした。
比叡山も見事な紅葉で、今年はほんとうに当たり年ですね。
四半世紀前に2,3度行っただけで山内の様子はよく覚えてませんが、
ドライブウェイに猿がウロチョロしていたのだけはよ~く覚えてます。(笑)
冷え込むのでぜんざいがさぞ美味しかったことでしょう。(^^
下の坂本の西教寺では 晴れ間も見えていたので
道中 やっぱり歩いて登るべきでは と後悔しきりでしたが
横川中堂で 本降りでした。
もしそのまま歩いて登っていたらたぶん引き返していたと思います。
西教寺の屋根瓦に 色々な猿が守り瓦としてありました。
猿は 比叡山では神の使いとして大事にされてきたようです。
ぜんざいは ありがたかったですね。
横川で 雨にやられて山中を走ったりして
汗をかきましたので 体が冷えて
とても暖まりました。
今週あたり 見頃だと思いますよ。