【045】醍醐寺 上醍醐寺 西国11番
住所 京都市伏見区醍醐東大路町22
京都市伏見区醍醐醍醐山1
宗派 真言宗醍醐派総本山
山号 深雪山
開山 理源大師聖宝
本尊 薬師三尊
准胝観世音
国宝 表書院、唐門、五重塔、金堂内陣、薬師堂外陣 三宝院表書院 薬師三尊像、文殊渡海図 不動明王像、絵因果経 後醍醐天皇宸翰天長印信など
重文 金堂、清滝宮本殿、薬師堂 開山堂、如意輪堂 薬師如来坐像 弥勒菩薩坐像 舞楽図 大日金輪像 など仏像22躯
秀吉の花見で有名な上醍醐への道。今は桜は殆どありません。と言うより、元々が桜が育たない所だったのでしょう。秀吉が、桜を持ってきたと考えれば自然なことです。と考えながら多少の苦しさに打ち勝ち登ること登ること。そして、「ハーハー」「フーフー」「酸素が足りない」としゃがみ込む横を、「こんにちは~お参りですか?」と声をかけてくる老婆と老爺。こっちは声も出ないのに、声をかけるなと思うも声を絞り出し「こんにちハ~」。おまけに走るように山道を上っていく恐ろしい爺婆。ところが、もっと驚くことに、お水を頂きに上り下りすること数度と言う鉄人の爺婆であることを推測される会話が飛び交っている。こちらは、死に神の足音が聞こえかけていると言うのにです。2度ほど死にましたら登頂し平坦地へ出ます。そして、本堂手前にちょとした石段があり、このほんのちょっとした石段が死人にとっては苦しい存在。結局、3度目の絶命をし本堂へお参りとなります。
さて、上醍醐は本堂より五大堂が良い。真言宗の寺院でも五大明王が全部あるのは、東寺、不退寺など珍しいのです。上醍醐の五大明王は、まず大きさに驚きます。1体1体が大きく、ものすごい迫力があり、心の底まで見透かれているように思います。修理や博物館への展示等で五体全部そろっていることが珍しいと言うことです。
開山堂から岩間寺の山並みが見え、車がなかったらこのまま岩間寺まで歩き遍路をしたいと欲求が湧いてくるのもここちよい。元の道を戻り出発点であった女人堂まで戻ってくると不動明王や地蔵菩薩、役行者が「おかえり」と迎えてくれます。上がるときはさほど気にもかけなかったのは、「さあ登るど」と意気込みが周りを見る余裕を失わせていたのかも知れません。
西国三十三か所で、最も記憶に残る寺院です。ちなみに、2度目登ったときは、杖と酸素と水とタオルを用意して万全の体制で登りました。
御詠歌
逆縁も もらさで救う 願なれば
准胝堂は たのもしきかな
残念なことに 平成20年8月24日 落雷により本堂と共に焼失。
登山口 女人堂
上醍醐のある醍醐山
女人堂のタイツリ草
上醍醐への道
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詳しくは 「 2011/07/23【上醍醐】484m 」へ
【178】醍醐寺 京都山科
住所 京都市伏見区醍醐東大路町22
宗派 真言宗醍醐派総本山
山号 深雪山
開山 聖宝・理源大師
本尊 薬師三尊
国宝 五重塔、金堂内陣、薬師堂外陣 三宝院表書院 薬師三尊像、文殊渡海図 不動明王像、絵因果経 後醍醐天皇宸翰天長印信など
重文 金堂、清滝宮本殿、薬師堂 開山堂、如意輪堂 薬師如来坐像 弥勒菩薩坐像 舞楽図 大日金輪像
聖宝理源大師が、874年に上醍醐で地主横尾明神の示現によって霊泉を得て、小さな堂宇を建立し、准胝観音像・如意輪観音像を安置したのがはじまりです。薬師堂や五大堂が落成されて上醍醐の伽藍が完成した。926年に下醍醐に釈迦堂や五重塔が完成し醍醐寺の大伽藍となった。真言宗小野流の中心寺院として勢力を誇示してきた。
上醍醐の方が50年ほども古いのです。どことなく醍醐寺の奥の院的な存在の上醍醐ですが、こちら本家で、下醍醐が分家とも出張所的な存在です。
聖観音菩薩と如意輪観音が、ともに50㎝程の小さな像ですが、ぽっちゃり型の同じ顔つきです。また弥勒菩薩は、快慶作で泉涌寺楊貴妃観音にどことなく似ておられる美しいお姿をしておられます。
御詠歌
醍醐山 麓に在す(おわす) お薬師は
廣く衆生(しゅじょう)を 済度し給う(さいど)
仁王門
金堂
伽藍の景色
葉桜を 通す陽暑し 大伽藍
見上げる先は 上醍醐かな 団子