ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 

子どもと大人の育て方

2012-11-12 11:09:48 | 日記・エッセイ・コラム

子どもを育てるとき、

 

やいやいと不平不満や期待を口に出してうるさく子育てするのと、

 

あまり口を出さずただ静かに微笑んでいるだけの子育てと、

 

どちらがいいのかと、そんなことを書いた専門書と出会ったことがある。

 

答えは、後者-静かに微笑む子育て

 

が、勝利者であって、子どもはいい方向へ伸びるという。

 

詳細は忘れたが、妙に納得して、

 

初めて授かった子どもを育てる指針のひとつとなってきた。

 

 

子どもにやいやい言わないでおくのはストレスだ。

 

でもその忍耐を備えずしてよいハハとはなれない気もする。

 

ハハはうまいこと自分のしたいことなりをしてストレスを昇華し、

 

子どもにゆったりした愛の環境を作りたいと願う。

 

なかなかできないことだからこそ、それが正解であろうと思ったりもする。

 

そして今までの仕事上の経験からも、まさにそれが正解であろうと思ったりもする。

 

 

・・・でも、できないよね~~~~~~!!!!

 

 

とりあえずそれが正解であろうということを知っておくことが、

 

大事だと、思います。

 

 

そこで今現在もっともホットな夫の話だが、

 

夫もそのように育てればいいのかもしれない。

 

と思った時期もあったが、

 

あの夫は、静かに微笑んでいると、

 

本当にとんでもない誤解をし、

 

とんでもなく甘えてきたり、手間がかかったりして、

 

私(妻)がもう、もたないのだ。

 

 

 

子どもっぽいくせに、変に屈折した感情(僕は母に愛されなかった…とか)を持っているようで、

 

子どもの自然でまっとうな成長の方向を期待して静かに微笑んでたら

 

もう大変なことになってしまう。(ような気がする というか経験上、実際。)

 

 

 

大人を育てるのは、経験によってひねくれてるだけに本当に難しい。

 

仕事をしていても、子どもは育ち、治るスピードも滞りない気がするが、

 

親のほうが断然育ちにくく、変わるのに硬く、大変難しい。

 

 

’もちろんひねくれた自分自身を育てるのもまた然りだがそれはとりあえず棚上げで。)

 

 

でも、もう知らんと放っておいたら、

 

また見放されたとか、このごろ冷たいとか、

 

夫の側でいろいろ不満に思っている(気もする)。

 

子どもたちにも厳しくなるし、妻にも冷蔵庫内の賞味期限やごみ捨ての細かーいことで

 

喧嘩をふっかけてきて鬱陶しい。

 

 

さてどうするか・・・

 

この子どもらしい大人である夫とうまくやっていく方法とは何?

 

思索と努力、続く。

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努力目標

2012-11-12 11:03:58 | 日記・エッセイ・コラム

努力といえ何をしていいのか、わからない日が続いていたけど、

 

夫が出張から帰ってきて、状況を動かしたくなってきた。

 

とりあえず声をかけてみる。笑いかけてみる。

 

愛あるころには簡単なことだろうが、

 

子ども中心の日常に慣れてしまうと、これもなかなか珍しいことになっていたようだ。

 

 

 

最近は仕事も忙しく、家にいる時間も短く、

 

家にいても一人部屋にいたがる夫、

 

てんてこまいの子どもたちの世話を期待するのもむなしく終わってしまうことが多く、

 

友人の「夫はいないものと思え」

 

というありがたいお題目を思い出しながら、

 

あたらずさわらずなんとなく過ぎていく日々。

 

こちらばかりが努力しているようにも思え、しんどくなったりもしたが、

 

子どもたちが巣立った後この人と過ごす膨大な時間を思えば、

 

やはり潤ったいい関係でいたいと思うのも人情。

 

で、笑いかける。声をかける。

 

 

小さなことから、毎日続ける。(努力をしようと思います)

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無題

2012-11-03 00:41:13 | 日記・エッセイ・コラム

夫婦の愛とはどういうものだろうか。

 

最近よくそんなことを思う。

 

結婚して10年以上たつ。

 

淡々と時は過ぎていく。

 

どこの夫婦もそうだろうか。

 

夫婦の愛とはどのように変わっていくのだろう。

 

 

大切な人である。

 

子どもたちの父である。

 

 

それは確かなこと。

 

それ以外に、何があるだろう。

 

 

お互いを必要としてもいると思う。

 

生活のパートナーとはなっているとも思う。

 

 

10年も一緒にいれば、いろんな意味でいろいろわかってくる。

 

わかりたくないことに気づくこともある。

 

ある程度距離をとっていくことが必要になってくるのか。

 

違う人間であるふたりがずっと一緒にいるためには、

 

知恵や努力が必要ということは、はっきりとわかってきた。

 

 

努力中だ。

 

愛し続けるための努力。

 

そして愛されるための努力。

 

子どもたちを幸せに育て上げる要となるのは、

 

やはり安定した愛のある夫婦関係であると、思うからだ。

 

 

確かなことは、

 

子どもたちを愛していること。

 

お互い大切であること。

 

 

足るを知らねばならないのかもしれない。

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クモのジョン

2012-11-02 23:48:30 | 日記・エッセイ・コラム

今日、トイレトイレ~~!と走っていた三女につきそってくれた長女。

 

トイレに行ったはずの2人がそのままドタドタと廊下を帰ってきた。

 

何事か?!

 

と思ったら、

 

トイレにクモがいる~~!!

 

という。

 

ハハはクモ苦手で、普段ならパパに頼み!!というところ、

 

残念ながらパパ出張中。

 

困ったな。

 

実は、一昨日頃から、トイレのクモには気づいていた。

 

そのときは虫取り網でなんとかしようとしたけれど、

 

うまく捕獲できなくて、どこか見えないところへ逃がしてしまった。

 

それ以来、2,3度見かけていたのだが、なんだか慣れて来たのか、

 

さほど怖いと思うことも無く、用を足せていた。

 

 

でも、娘たちには初のお目見え。

 

ビックリと怖いのとで、きゃーきゃーうるさい。

 

そこで、

 

「気にするな」

 

といってみたが、そんなことではおさまらない。(当たり前)

 

そこで、

 

「ジョンとでも名前をつけてみたら?」

 

と提案。

 

「はぁ?」と長女。

 

「飼ってみてると思って共存してください」

 

というと、

 

娘、冷ややかな呆れ顔・・・

 

 

ふたりは、二階のトイレへ駆けていきました。

 

 

いい案だと思ったんだけどなぁ~

 

ジョンとか名前つけてさぁ

 

そしたら親しみわいて仲良くなれる?!

 

ような気がしたんだけど。

 

 

さっきもトイレに行ったら、ジョンがいた。

 

・・・そんなにこわくない。(ような気が)

 

明日、また会えたら・・・・

 

 

でもまだ友達にはなれないかなぁ

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秋深

2012-10-30 22:25:03 | 日記・エッセイ・コラム

今日は幼稚園のお友達に誘われて公園へ行った。

 

幼稚園の工作に使うどんぐりや小枝を拾って、小一時間すごした。

 

子どもたちはどんぐり拾い隊、ママたちは小枝拾い隊。

 

このところ家で鬱々と過ごしていたので、いい気晴らしに。

 

張り切ってたくさん拾ってしまった。

 

子どもたちもどんぐり、赤い実、赤い葉、いろいろこまごまと集めて楽しそう。

 

どんぐりにも、小さいのから大きいのまで、茶色なのから、緑のものまで、

 

いろいろとあって楽しい。

 

 

 

公園はもう秋深まる風情で、桜は真っ赤に紅葉し、はらはらと美しい葉を散らしていた。

 

散るときにも美しさを失わず。命の最後に、精一杯の力で色を染め、散っていくように思えた。

 

桜は花も、葉も、潔く運命を受け入れているようで、美しい。

 

 

朝の息の白さ、秋の深まり。秋は物思う季節として昔から愛でられてきた。

 

空の高さもまた、秋に独特のものだ。

 

なんで高く見えるのかしら。

 

若いころは、空の高さや澄んだ空気が、やろうとする気持ちを引き締める気がして、

 

秋が好きだった。

 

でも、年も30半ばとなれば、秋の空気は少し私を憂鬱にする。

 

気を引き締めてかかる社会的な仕事もなく、この日常のまま年をとっていくのだろうか

 

と思えば、なんとなく恐ろしくさえ思え、少し苦しくなる。

 

子どもを育てることはもちろん私の中では最優先の仕事である。

 

でも、子どもはいつまでも子どもではなく、だんだん成長して、母の手を必要としなくなる。

 

必要としなくなるにつれ、私は手を引いていかなければならない。

 

必要とされなくなった私の手は、どこへ向かい何をすればいいのか、と思えてくる。

 

まだ今の私には、その手の使い道がよくわかってない。だから不安なのかしら。

 

何かを見つけたいな。

 

とりあえずはお金もないことだから、なんか仕事したいな。と思う今日この頃。

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