ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 
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お誕生日おめでとう

2014-01-21 23:31:07 | インポート

我が家の末娘が5歳の誕生日を迎えた。

おめでとう。そしてありがとう。

 

毎年、子供たちが誕生日を迎えるたびに、思うこと。

おめでとうと、ありがとう。

 

赤ちゃんの頃の写真を見て、大きくなったなぁとしみじみ。

 

子供ってほんとうに、giftだと思う。

 

どうして私のところに、かわいい子が3人も来てくれたのかな。

時々思う。それで、この子たちに、私ができる限りの幸せな環境を揃えたい、とまた思う。

 

まだまだ甘えん坊の三女。

抱っこしてあげられるのもあと何年かな。

 

親の腕の中にいる限りは、たくさん抱きしめて育てたい。

 

忙しかったり疲れていたりして、それができないときもあるけれど。

 

そんなときは必ず、寝顔を見ながら後悔してる。

 

ケーキ、気に入ってくれたかな。

 

明日は、どんな顔見せてくれるかな。

 

笑顔も、泣き顔も、かわいらしくて、いとおしい。

 

ゆっくり楽しみたい育児。

 

仕事もしたいけれど、まだ早いような気もしてきたよ。

 

いろいろと考えては悩みながらも、

 

結局は子供たちの笑顔の価値が最高位。

 

家庭経営と、母親業と、外での仕事。

 

その時々でのベストバランスを模索しようと、思います


食えない資格、臨床心理士

2014-01-14 12:17:54 | インポート

なるには年数がかかり(院卒資格)、その分の投資(学費と時間)もバカにならないのに、

なってからも5年更新(これ自体は素晴らしいことだと思うけど)で、心理士の給料は平均して生活ギリギリかできない程度くらいしかもらえず、

国家資格でないため周囲に認められもせず、心理療法(専門的な人へのかかわり)もニーズはあるが保険がきかないため普通の庶民には高額で利用してもらえず、

自分を食べさせるだけでもカツカツなのに、研修やSVは高額、学会にいくのも貯金をくずし、仕事もなんの保障もないアルバイトと同等の扱いなことが多く、この仕事は先がないな、と、前々から感じていた。 

地方か国家公務員での常勤心理職・研究職が一番カタイところだが、

これは大変に狭き門で、よっぽどラッキーでないともぐりこめない。

 

福祉分野(多くの医療分野もね)だとこれまた超安の月給で超激務。

 

これだけのニーズにこたえるだけの組織や意識がまったく育ってない、

世界に遅れまくりの日本で、

この職業を選択したことの大きな間違いにもっと早く気付くべきだったのに、と思う。

 

娘が職業選択をするにあたり、もしも臨床心理士になりたいと言ったなら、 

全力で反対するだろう。

そもそも食えない仕事は仕事としての価値がない。 

有史以来、人間は食べるために仕事をしてきた。

そんなあたりまえのことに気付くのが遅すぎた。

 

安い給料、ハイストレス、不安定。結果、バーンアウトで転職。

それまでに勉強してきたことは人生に多少なりとも使えるので

まったく無駄にはならないけれど、せっかくの専門能力はお蔵入り。 

というケースもたくさん。

なんでこんなに遅々として地位向上が進まないのか、 

必要としている人はゴロゴロいるのにね。

スクールカウンセラーは時給はいいほうだと思うけれど 

これも週あたりの働ける限界があって、月給的には下の下、

副業なしでは生活もしていけない。

業務量はとてつもなく多く、時給であるのはとてもナンセンスな気がする。

子供たちに、保護者に、教職員に、知ってもらい溶け込んで、 

話を聞ける程度まで親しくならなきゃいけないのに、

時給で月に一度訪問とか、あんまり意味のないものに見える。

学校に常勤で務めさせたら、もっと効果がでるのに。

どうしてそういう発想がないのだろうか。そもそも時給でという発想は、

個人的な心理療法(ワンセッションいくら)というところから発したものであろうが、

学校にそれはとてもとてもそぐわない。学校は子供たちの日常なんだもの。

心理教育や、不登校対策、学校内のメンタルヘルス専門に動くとなると

毎日動かないと追いつかないくらいの仕事があるのに。 

常勤じゃなきゃ本当の意味で学校の役に立てないんじゃないかと思う。

心理士も普通の人間で、家族も持ちたいだろうし、 

そうなると、正規にやとって毎日同じ学校に出勤するほうがずっとずっと、

人気の仕事になる(結果的には心理士の質も上がる)のになぁ。

それに、心理士は経済的に不安定だしたいていは貧乏なので、 

家族を考えるときに、結婚を迷ってしまうのが正直なところだし、

結婚できない人はとても多いと思う。

特に、出産する女性を支える男性側にすれば、

この仕事では家族を養えないと思うんじゃないだろうか。 

若い心理士が未婚者ばかりというのも、残念だし、

やっぱり人間家族を持つことで培われるバランス感覚もあると思うので、家族をもっている方の相談(のほうが多い、特にスクールカウンセラーは家族抜きじゃ考えられない)に、

より親身になれるのになと、思ったりもする。

 

スクールカウンセラー、常勤にしてくださいよ。

アルバイトを雇うにしても、常勤カウンセラーの補助として雇ってくれればうれしい。

 

スクールカウンセラーも、同業チームで仕事ができれば、

これまた素晴らしい能力を発揮できると思うんだよね。

 

学校にたったひとりの異邦人として入ると、ひとりで背負うものが大きすぎて 

とても苦労するし、

背負うものが大きいからこそ二の足を踏むようなことが出てきて、

思い切った仕事がなかなかできない。

 待遇が悪いから余計、

「やったらいいだろうと思うけど、そんなことしてわざわざ自分からリスクを背負うのはちょっと…」 

って思うんじゃないかな。

それに、たったひとりで入るから、その学校を見る目が偏りすぎるんじゃないかなと思うわけ。

プロのカウンセラーはいつも自分の目に疑いを持って見てると思うけれど、

やっぱり、それを話し合う人もいないとなると、本当に思い切ったことがやりづらい。 

まぁ、まとめていえば、努力の割に、待遇が悪すぎるということ。

この国の制度が整っていないしね。

医療界も…やっぱり閉鎖的だと思うよ。 

患者さんのためにできる最善を、とどうして思わないのだろうかと、

思うことが何度もありました。

たいていの心理士はあちこち渡り歩く(学校、病院、民間企業etc)から、意外と組織の違いとかがわかって、

どれだけその中の人がその中のことしかわからないのかということは、

結構わかってしまう。発想がやっぱり狭くなってしまうことも。

仕方ないことなんだけれども。

 

投資ばかりが多くて食えもしない民間資格、臨床心理士。

早く身分を保証して制度を整えないと、

この国では先細りになってしまうだろうと、思う。

ニーズがとてもあるのに、というところが、一番もどかしいね。


申し込み作業

2013-08-21 11:19:20 | インポート

試験を受けようかなと申込むだけの作業が、

 

子どもたちがくっついている夏というだけでとってもとてもはかどらない。

 

書類記入の時間、写真を撮る時間、郵便局へいったり色々。

 

すべてひとりでやりたいのだが、すべてに+子どもたちがくっついてくる。

 

ひざの上にのってはペンをとって書こうとするし、

 

かといって寝た後にやろうとしても、

 

寝ない・・・

 

母がなんかマジメな顔して作業するのが珍しいらしく、

 

ちょっかいだしたくてたまらない様子。

 

加えて睡眠には難アリの3人。

 

寝室へ押し込んでも寝ず、

 

ごそごそ起きだしては泣いてきたりお膝にはいったり、

 

抱っこ、といってみたりする。

 

困った…

 

 

試験を受けようと思ったが、

 

そもそも申し込みが無事できるのかが、不安!!


こころの仕事

2013-07-18 23:11:44 | インポート

カウンセラーと仕事に憧れ、それなりに努力して、仕事についた。

 

結婚して子どもを授かり、いろいろな苦労があって結局、家庭を選んだ。

 

その子どもたちも、小学生、幼稚園と片付き、

 

母親としての生活が生活の100%を占めるような生活からは、少し脱しつつあり、

 

そして近い将来やってくるであろう、母親という職業がまがりなりにも一段落ついてしまう時期のことなどにも、少し考えが及んだりして、

 

また自分自身と向き合わされる時間が生まれてきた。

 

 

子どもを生んだころは、子どもをみることで100%、

 

実家のない私は預けることも知らず、24時間365日営業でやってきた。

 

その頃は、子どもが大きくなったら、

 

私は仕事に戻りたい、と漠然と考えていた。

 

 

しかし、子どもを流産したり、実母を亡くしたり、友人を亡くしたりと、

 

おそらくは誰もが経験するであろう人生の悲しみに出会うにつれ、

 

私の感受性はやわらかく感じやすく、もろく弱くなっていったように思う。

 

 

カウンセラーというのは人の話を聞くのが仕事なのに、

 

そういう苦しい話が聞けなくなってきた自分に薄々気づいていた。

 

自分が巻き込まれすぎる。

 

だから、もうあんな仕事はできないな、とぼんやり思っていたのが、

 

近頃の自分と向き合ってしまう時間には、はっきりと

 

「もうあんな仕事はできない」と思えてきて、

 

そしたら急に、あの仕事がしたいとたくさんの努力と時間を割いてきたものが

 

壊れていくような気がして、鬱々としてしまった。

 

そしてそこからは悪循環で、鬱々とすればするほど、仕事に対する自信がなくなり、

 

もう無理だ

 

と思えてしまい、情けなく、やるせなくなってしまった。

 

 

そんな苦しい時間が、波がありながらも2ヶ月続いたが、

 

それでもその仕事を捨て切れなかったようだ。

 

気がつけば専門書を手にとり、援助者としての効果的なあり方を考えている。

 

自分が救われたかったのもあったけど、

 

それでもしがみついている自分。

 

 

苦しい中で見つけたのは、ひとつの答え。

 

カウンセラーというのは、自分のなかに他人の苦悩を引き受けてしまうところが多々あるが、

 

(そしてそれはとてもクライエントさんには有効な癒しとなることも多いのだが)

 

大人として母として、十数年経験してきたことからも、

 

自己犠牲的なやり方の割合が多いほど、カウンセラーとしては先細りになってしまうということ。

 

傾聴技法というのは、カウンセラー自身に苦悩を取り込んでしまう危険性が大変高い。

 

傾聴には大変な忍耐が必要で、それは修練すればつくと思っていたけれど、

 

お金もなく(心理畑で働く人は本当に薄給。コンビニで働くほうがマシなこともある)

 

研修もいけず、スーパーバイズしてくれる師匠もいない、地方のいちカウンセラーには、

 

自己修練も難しく、そのなかでの傾聴技法というのは悪魔の技法のように恐ろしいものに思えてくるのだ。

 

 

そこで私が出した答えがひとつ。

 

心が関与しない技法はないのか?

 

ということ。関与の割合が少ない技法である。

 

傾聴は関与しまくりな技法で、ちゃんと聴けてしまうとこちらの具合が悪くなるような技法であり、私としては基本、導入のスタンスとして持つ以上のものではもはやないと思っている。

 

導入して信頼を獲得した後であれば、クライエントにも評判の悪い(これが結構悪いんです)「傾聴」はやめにして、こちらの心のあまり関与しない技法でかかわっていくのはどうか。

 

私は特に、自身の弱さについてよくわかっているし、心がけなくても相手の感情をよく感じることが生まれながらの性であるように思っているので、

 

それだけにできるだけ心が関与しないタイプの技法に頼りたいと思うのだ。

 

今、よく読んでいる専門書、

 

それが「認知行動療法」と、「ゲシュタルト療法」「交流分析」

 

である。「エンカウンターグループ」も、スクールカウンセラー時代は大変役にたった。

 

それと、これはまだ不勉強ではあるけれど、身体に働きかける技法にも大変興味を持っている。

 

 

と、こんな風に考えていくと、少し不安が軽くなったように思った。

 

心が関与する技法は、それだけで一方を破壊してしまう危うさを持ったものだ。

 

だから人並みに大切な家族を持ち社会生活を送る私にとっての、究極の技法は、担当が替わってもそれなりのセラピーができてしまうような技法である。

 

それがたとえほとんど不可能に近いことであっても、それを目指すことは悪いことだとは思わないし、人を援助したいと考えるこころある援助専門職が息長く支援を続けていくために、ぜひ必要なことだと思うのだ。


せみ

2013-07-16 09:33:56 | インポート

蝉が鳴いている。

 

くまぜみ。子どもの頃を思い出す。

 

近くの天神さんに、蝉取りに行った。

 

兄についてった。上の兄もいた。

 

みんなでくすのきを見上げて、あそこだここだといいながら、

 

虫かごを真っ黒にするほど取った。

 

虫をあつめた、むせ返るような虫のにおい。

 

 

蝉の声は変わらない。

 

もう30年近くたつのか。

 

母はもういない。

 

兄たちも大人になって、一家の主だ。

 

私もまた、子どもの母になり、

 

あのときの母のように、口うるさく、

 

毎日ご飯をつくって、子どもを愛している。

 

 

そうめんのお昼。

 

風鈴の音。

 

開け放した台所。薄暗いけど、涼しくて。

 

大きなたらいに泳ぐそうめん。

 

生姜やねぎの薬味。

 

鶉の卵。

 

卵だけが大好きで、割りにくい殻を一生懸命割って、入れて食べていた。

 

お金もそんなにないのに、どうしてうずらのたまごだったのか。

 

京の母のこだわりかな。

 

今、たまたま母と同じ公務員の妻をやってる。

 

うずらのたまごは小さいクセに高くて、なかなか買わない。

 

だからわかること。

 

母の工夫やこだわりや、いろいろ知恵や誇りをもって家事子育てをしていたこと。

 

 

虫の声は変わらない。

 

でも、虫はあのときの虫ではなくて、違う土地に今生きる違う虫。

 

でも、同じような声で鳴く。

 

 

人のなかの心の動き。

 

興味を引かれること。感動の仕方。人の愛し方。

 

変わらないムーブメントがある。

 

人の中心は、子ども時代を抱きしめている。

 

 

私の子どもたちは、30年後、どんなふうに思い出すのだろうか。

 

そのときは、私が親として子どもたちに十分に愛情を伝えることができたかどうか、

 

親として子どもたちに栄養になる環境を整えていたのか、

 

についての試験のときとなるのかな。

 

 

子どもたちに幸あれ。

 

愛、伝わっていますように。