ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 
sakurajuku-takanohara.jimdosite.com

たまたま木津川市ー円成寺ー

2015-10-13 13:48:02 | 日記・エッセイ・コラム
柳生への道。
穴場っぽいいかにもなところです。

木津川市から20~30分のところでした。
夫が以前から気になっていたとのこと。
素晴らしいお寺でした。
私は特にお庭が気に入りました。
若き日の運慶が造ったという仏様にも会えました。
二歳の像とされる聖徳太子にも。

お寺全体の佇まいが、
ひとつの異空間。
しんとした雰囲気、
平安時代からの悠久の歴史を感じられる場所でした。

庭の美しさは格別でした。
まだ紅葉は早いと思っていたのに、
標高350メートルほどあるお山のお寺なので、
少し寒くて、もう紅葉が色付きかけていました。
あとひと月もしないうちに
すっかり紅く染まってしまうだろう
という感じでした。

時折コーンという鹿おどしの音、
どこから聞こえているのか、
子どもと一緒に探してみました。
どこにあったかは、内緒です。
探してみてくださいね。

それと、拝観受付をなさっている
品のよい女性の方。
今でこそお年を召しておられるけれど、
大変美しい方であられただろうと
推察されました。
尋ねるといろいろと丁寧に教えて下さいました。
このお寺大事にされている気持ちが伝わってくるように思いました。






末娘の足跡。
ズザーっとわざわざ砂利を押しのけながら
歩いた跡です。
住職さまゴメンなさい。
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たまたま木津川市ー観光地、宇治へ

2015-10-13 13:17:33 | 日記・エッセイ・コラム
穴場が好きな私ですが、
たまには有名どころでお土産など
それらしいのも楽しいかなと思います。

特に小さな子どもを連れていると、
教科書に出ているお寺や、
可愛いお土産物など見せたくなってしまう。

てなわけで、
今日は末娘の
「十円玉のとこいく」
のひと言で、
宇治の平等院へ行くことに。




藤袴、素敵ですね。

いくつもの橋が架かっている川の風情もまたよろし。って感じです。
流れの絶えない川の水をぼーっと眺めてしまいました。山の間に流れているのが、
美しかったです。

10円玉…確かに。
そのままのお姿でした



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11歳娘の成長

2012-12-04 23:28:43 | 日記・エッセイ・コラム

今日の夕食時、長女が意味深な?話を。

 

「学校の先生が怖いから、最近はお母さんに怒られることが怖くなくなってきた。」という。
学校の担任の先生は、このほど緊急保護者会が開かれたほど、
今時には珍しい、行き過ぎ指導の厳しい先生である。

 

その先生が怖すぎるため、お母さんの叱責が怖くなくなってきて、
ワガママをもっと言ってもいいのではないかと思うようになったという。

 

今まではお母さんに叱られるのがイヤで、いい子をしてきたというのだ。

 

 

「母さんにはその境目(いい子にしてた→いい子をやめた)がわからんかったわ~」と、笑ったが、
娘が母に向かってこんな話をしてきたのが面白く、同時に、大きくなったなぁと、感心してしまった。

 

 

娘がいうには、
「これまではお母さんに結構従ってきたと思うねんけど、
もうお母さんの言うことを全部聞くこともないかな~と、思うねん。
先生も正しいわけじゃないし、お母さんも間違ってるときあるし。」

 

 

娘も大きくなったものだ。
赤ちゃんのころも、まだまだ思い出せるのに、子どもってほんとうに、
成長が早い。

 

 

「自然な成長を妨げない」というのは私の育児方針でもあるけれど、
その結果かどうかわからないけれど、
ほんとうに自然に思春期に入り、
偶然のきっかけ(学校の先生が怖すぎる)から、自然に親から距離を取り出したのだ。

 

 

一瞬、驚いたが、そういう娘の成長はやはり、とてもまぶしく、うれしく、思えた。
「いいことに気がついたね。もうバレてたとは思ってたけど、そう、親の言うことをなにも
鵜呑みにすることはないよ。母さんだって間違うことあるし、必ずしも従う必要もない。

 

これからは自分が正しいと思ったことを、自分でやっていくんやね。
母さんの言うことに従っていれば、失敗したら母さんの責任にできるけど、
自分でやっていくってことは、自分でその行動の責任をとるってことなんだよ。
もう少し大きくなったら、ちょっとずつこういうことを感じていくと思う。

 

がんばってね。自分の人生。応援だけはずっとしてるからね。
あなたが、こういうことに気づいたのは、とても立派なこと。

 

 

親からこうして離れられない子どものまま、大人になった人は、
周りも自分も、その子どもまでみんな苦労する。
あなたは、もうそういう心配はないみたいね。
お母さんは、うれしいわ。」

 

 

ちょっとした記念日にしたいくらい、しみじみうれしい冬の夜。

 

もう少ししたら、恋の相談なんかも、出てくるのかなぁ?

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専業主婦って。

2012-11-18 01:12:50 | 日記・エッセイ・コラム

幼稚園のファミリー参観があった。

 

昔は「父親参観」などと言ったのだろうか、

 

今はfamily参観。いいネーミング。

 

週末土曜日の参観が、普段なかなか来れない父親向けであったとしても、土曜日仕事が休みでない父親もいるだろうし、父親不在の家庭もあるだろうし、いろいろ考慮されながら名称も変更されてきたのだろう。

 

 

で、今日はファミリー参観で、親子でクリスマスのツリーとリースを作った。

 

年少ではツリーを、年中ではリースを。

 

ハハは年中にまわり、夫は年少組へ。

 

 

準備はさすが幼稚園、保護者(つまり母)に任されていて、

 

これまた大変だった。ツリーやリースにつける松ぼっくり、どんぐり、

 

枝、いろいろな実を拾いに公園へ通い、カラースプレーでカラーリングをし、

 

納戸からビーズやレースを探し出し、リボンやオーナメントを(少しだけ)購入、

 

きょうだいで平等に分け分けしてそれぞれの袋へ入れ、

 

ハサミ、ボンド、雑巾もそれぞれに準備。

 

手間がかかる。

 

 

こうした母親の奔走も目的に入っているのか、

 

子どもと公園でも行って準備がてら遊んでみては?ということなのか、どうなのか。

 

保育園時代には考えられないほど、幼稚園では母親にいろんな仕事をさせる。

 

運動会前にもコスチュームなどのソーイング仕事があった。

 

PTA役員の仕事もほぼ毎日、幼稚園にご出勤で無償の仕事を容赦なく課せられる。

 

ハハは今年は免れているが、来年再来年は必ずやらされるので、今から戦々恐々だ。

 

幼稚園ママ=専業主婦=ヒマ

 

と思われているのだろうか。

 

…そんなことないんだけどな~

 

さらにそのイコールに続きそうなのが、=子どものための存在(100%)

 

てな感じである。

 

まぁそれはそうですが・・・

 

私としては、そりゃ、実際のところ子どものため外の仕事もやめたが、

 

だからといって100%子どもにささげる人生を選択したつもりでもなく、

 

私は私としての人生が根底にあり、

 

その上の仕事として子どもの世話を今は選択しているというのにすぎない。

 

 

専業主婦は、なりたくてなる人もいるだろうが、

 

仕方なく選択せざるを得なかった人が大半ではなかろうか。

 

私の場合は、頼れる親もすでに亡く、

 

大人は夫とふたりだけの核家族で、

 

子どもが風邪をひくとどちらかが仕事を休まねばならず、

 

インフルエンザや水疱瘡なんかになるときょうだいにもうつるし、下手をすればひと月近く動きがとれなくなってしまう現状があり、

 

熱のある子どもの前で、どちらが休むと喧嘩をしなくてはならない仕事なんて本末転倒だ、

 

と思って仕事をやめた。

 

 

自分の勝手ではなく、自分以外の原因によって、仕事をやめなくてはいけない人もたくさんいる。

 

親の介護が大変でやめる人もいるだろう。

 

そういう家族の世話のために仕事をやめて家事専業する人が、

 

仕事やらなくていいヒマ主婦だと思われることには、少々抵抗したくなる。

 

決して、そうではないことを、もっと知ってほしいな、と思ったりもする。

 

 

そして、育児や介護は、心身とも十分に疲弊させる大変な仕事であることも。

 

大変な仕事であり、大切な仕事であり、尊い仕事であることも、知ってほしいと思う。

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子どもと大人の育て方

2012-11-12 11:09:48 | 日記・エッセイ・コラム

子どもを育てるとき、

 

やいやいと不平不満や期待を口に出してうるさく子育てするのと、

 

あまり口を出さずただ静かに微笑んでいるだけの子育てと、

 

どちらがいいのかと、そんなことを書いた専門書と出会ったことがある。

 

答えは、後者-静かに微笑む子育て

 

が、勝利者であって、子どもはいい方向へ伸びるという。

 

詳細は忘れたが、妙に納得して、

 

初めて授かった子どもを育てる指針のひとつとなってきた。

 

 

子どもにやいやい言わないでおくのはストレスだ。

 

でもその忍耐を備えずしてよいハハとはなれない気もする。

 

ハハはうまいこと自分のしたいことなりをしてストレスを昇華し、

 

子どもにゆったりした愛の環境を作りたいと願う。

 

なかなかできないことだからこそ、それが正解であろうと思ったりもする。

 

そして今までの仕事上の経験からも、まさにそれが正解であろうと思ったりもする。

 

 

・・・でも、できないよね~~~~~~!!!!

 

 

とりあえずそれが正解であろうということを知っておくことが、

 

大事だと、思います。

 

 

そこで今現在もっともホットな夫の話だが、

 

夫もそのように育てればいいのかもしれない。

 

と思った時期もあったが、

 

あの夫は、静かに微笑んでいると、

 

本当にとんでもない誤解をし、

 

とんでもなく甘えてきたり、手間がかかったりして、

 

私(妻)がもう、もたないのだ。

 

 

 

子どもっぽいくせに、変に屈折した感情(僕は母に愛されなかった…とか)を持っているようで、

 

子どもの自然でまっとうな成長の方向を期待して静かに微笑んでたら

 

もう大変なことになってしまう。(ような気がする というか経験上、実際。)

 

 

 

大人を育てるのは、経験によってひねくれてるだけに本当に難しい。

 

仕事をしていても、子どもは育ち、治るスピードも滞りない気がするが、

 

親のほうが断然育ちにくく、変わるのに硬く、大変難しい。

 

 

’もちろんひねくれた自分自身を育てるのもまた然りだがそれはとりあえず棚上げで。)

 

 

でも、もう知らんと放っておいたら、

 

また見放されたとか、このごろ冷たいとか、

 

夫の側でいろいろ不満に思っている(気もする)。

 

子どもたちにも厳しくなるし、妻にも冷蔵庫内の賞味期限やごみ捨ての細かーいことで

 

喧嘩をふっかけてきて鬱陶しい。

 

 

さてどうするか・・・

 

この子どもらしい大人である夫とうまくやっていく方法とは何?

 

思索と努力、続く。

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