今日は幼稚園のお友達に誘われて公園へ行った。
幼稚園の工作に使うどんぐりや小枝を拾って、小一時間すごした。
子どもたちはどんぐり拾い隊、ママたちは小枝拾い隊。
このところ家で鬱々と過ごしていたので、いい気晴らしに。
張り切ってたくさん拾ってしまった。
子どもたちもどんぐり、赤い実、赤い葉、いろいろこまごまと集めて楽しそう。
どんぐりにも、小さいのから大きいのまで、茶色なのから、緑のものまで、
いろいろとあって楽しい。
公園はもう秋深まる風情で、桜は真っ赤に紅葉し、はらはらと美しい葉を散らしていた。
散るときにも美しさを失わず。命の最後に、精一杯の力で色を染め、散っていくように思えた。
桜は花も、葉も、潔く運命を受け入れているようで、美しい。
朝の息の白さ、秋の深まり。秋は物思う季節として昔から愛でられてきた。
空の高さもまた、秋に独特のものだ。
なんで高く見えるのかしら。
若いころは、空の高さや澄んだ空気が、やろうとする気持ちを引き締める気がして、
秋が好きだった。
でも、年も30半ばとなれば、秋の空気は少し私を憂鬱にする。
気を引き締めてかかる社会的な仕事もなく、この日常のまま年をとっていくのだろうか
と思えば、なんとなく恐ろしくさえ思え、少し苦しくなる。
子どもを育てることはもちろん私の中では最優先の仕事である。
でも、子どもはいつまでも子どもではなく、だんだん成長して、母の手を必要としなくなる。
必要としなくなるにつれ、私は手を引いていかなければならない。
必要とされなくなった私の手は、どこへ向かい何をすればいいのか、と思えてくる。
まだ今の私には、その手の使い道がよくわかってない。だから不安なのかしら。
何かを見つけたいな。
とりあえずはお金もないことだから、なんか仕事したいな。と思う今日この頃。