ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 
sakurajuku-takanohara.jimdosite.com

専業主婦って。

2012-11-18 01:12:50 | 日記・エッセイ・コラム

幼稚園のファミリー参観があった。

 

昔は「父親参観」などと言ったのだろうか、

 

今はfamily参観。いいネーミング。

 

週末土曜日の参観が、普段なかなか来れない父親向けであったとしても、土曜日仕事が休みでない父親もいるだろうし、父親不在の家庭もあるだろうし、いろいろ考慮されながら名称も変更されてきたのだろう。

 

 

で、今日はファミリー参観で、親子でクリスマスのツリーとリースを作った。

 

年少ではツリーを、年中ではリースを。

 

ハハは年中にまわり、夫は年少組へ。

 

 

準備はさすが幼稚園、保護者(つまり母)に任されていて、

 

これまた大変だった。ツリーやリースにつける松ぼっくり、どんぐり、

 

枝、いろいろな実を拾いに公園へ通い、カラースプレーでカラーリングをし、

 

納戸からビーズやレースを探し出し、リボンやオーナメントを(少しだけ)購入、

 

きょうだいで平等に分け分けしてそれぞれの袋へ入れ、

 

ハサミ、ボンド、雑巾もそれぞれに準備。

 

手間がかかる。

 

 

こうした母親の奔走も目的に入っているのか、

 

子どもと公園でも行って準備がてら遊んでみては?ということなのか、どうなのか。

 

保育園時代には考えられないほど、幼稚園では母親にいろんな仕事をさせる。

 

運動会前にもコスチュームなどのソーイング仕事があった。

 

PTA役員の仕事もほぼ毎日、幼稚園にご出勤で無償の仕事を容赦なく課せられる。

 

ハハは今年は免れているが、来年再来年は必ずやらされるので、今から戦々恐々だ。

 

幼稚園ママ=専業主婦=ヒマ

 

と思われているのだろうか。

 

…そんなことないんだけどな~

 

さらにそのイコールに続きそうなのが、=子どものための存在(100%)

 

てな感じである。

 

まぁそれはそうですが・・・

 

私としては、そりゃ、実際のところ子どものため外の仕事もやめたが、

 

だからといって100%子どもにささげる人生を選択したつもりでもなく、

 

私は私としての人生が根底にあり、

 

その上の仕事として子どもの世話を今は選択しているというのにすぎない。

 

 

専業主婦は、なりたくてなる人もいるだろうが、

 

仕方なく選択せざるを得なかった人が大半ではなかろうか。

 

私の場合は、頼れる親もすでに亡く、

 

大人は夫とふたりだけの核家族で、

 

子どもが風邪をひくとどちらかが仕事を休まねばならず、

 

インフルエンザや水疱瘡なんかになるときょうだいにもうつるし、下手をすればひと月近く動きがとれなくなってしまう現状があり、

 

熱のある子どもの前で、どちらが休むと喧嘩をしなくてはならない仕事なんて本末転倒だ、

 

と思って仕事をやめた。

 

 

自分の勝手ではなく、自分以外の原因によって、仕事をやめなくてはいけない人もたくさんいる。

 

親の介護が大変でやめる人もいるだろう。

 

そういう家族の世話のために仕事をやめて家事専業する人が、

 

仕事やらなくていいヒマ主婦だと思われることには、少々抵抗したくなる。

 

決して、そうではないことを、もっと知ってほしいな、と思ったりもする。

 

 

そして、育児や介護は、心身とも十分に疲弊させる大変な仕事であることも。

 

大変な仕事であり、大切な仕事であり、尊い仕事であることも、知ってほしいと思う。

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コストコにいってみる

2012-11-16 23:09:07 | 社会・経済

昨日、かねてから誘われていたコストコに行ってみた。

 

コストコ大好きな友人からは「楽しくて仕方ないよ」

 

ということ。

 

一方で、やや冷めた友人からは「アメリカのただの業務スーパーだから

 

目新しいだけでたいしておもしろくもない」。

 

5人家族の食卓の責任者として、日本の業務スーパーのユーザーである私に、

 

コストコはさてどんな存在になるのか?

 

結果は…

 

「確かにたまに行くにはおもしろいが、会員になるほどでもない」。

 

 

たまに行くには面白い。

 

まだ目新しいというのを差し引いても、

 

試食が気前よしというのと、

 

大好きなチーズが充実、ピザがおいしい、

 

パン・マフィンがおいしい(けど大量)、

 

アメリカらしいおもちゃが面白い、

 

お菓子もパーティを想像させるような楽しく色とりどりの(そして大量な)品揃え。

 

 

何でも大量パッケージでどかっと買える(買うしかない)ということも魅力のひとつだろう。

 

一緒に行った友達も、レジの列のお客さんも、

 

たいてい万札で支払っている。

 

 

もしかして、コストコはストレス解消にいいのかも。

 

世の中に買い物依存という病気があるが、

 

コストコに行く、そしてどかっと買い物をすることで、

 

なんだか気持ちが大きくなり、そしてストレスを発散できるような気がするのだ。

 

買い物依存の人の気持ちの一端が垣間見れる思いがした。

 

 

一生懸命毎日倹約して家族と家計を支え、つましく生活している多くの主婦が、

 

月に1度、ぱーっとお金を使い発散できる場所。

 

しかも、その対価たる商品はどれも換算すれば普通のスーパーよりも安く、

 

罪悪感を感じさせない。

 

家族のためとして買い物ができ、しかも友達とシェアしあう(これがまた楽しい)こともでき、

 

節約分のお金(幻想だろうが)で素敵なお菓子や子どもにおもちゃまで買える。

 

 

コストコはうまいこと商売をしてるな。

 

と、思った。

 

日本でのつましい主婦が、海外の大型スーパーでリリースする

 

お金とストレス。

 

もしもコストコが景気の悪い日本の主婦のストレス解消までをも、

 

すでに戦略に組み込んで進出していたとすれば、

 

拍手モノだと、思う。

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子どもと大人の育て方

2012-11-12 11:09:48 | 日記・エッセイ・コラム

子どもを育てるとき、

 

やいやいと不平不満や期待を口に出してうるさく子育てするのと、

 

あまり口を出さずただ静かに微笑んでいるだけの子育てと、

 

どちらがいいのかと、そんなことを書いた専門書と出会ったことがある。

 

答えは、後者-静かに微笑む子育て

 

が、勝利者であって、子どもはいい方向へ伸びるという。

 

詳細は忘れたが、妙に納得して、

 

初めて授かった子どもを育てる指針のひとつとなってきた。

 

 

子どもにやいやい言わないでおくのはストレスだ。

 

でもその忍耐を備えずしてよいハハとはなれない気もする。

 

ハハはうまいこと自分のしたいことなりをしてストレスを昇華し、

 

子どもにゆったりした愛の環境を作りたいと願う。

 

なかなかできないことだからこそ、それが正解であろうと思ったりもする。

 

そして今までの仕事上の経験からも、まさにそれが正解であろうと思ったりもする。

 

 

・・・でも、できないよね~~~~~~!!!!

 

 

とりあえずそれが正解であろうということを知っておくことが、

 

大事だと、思います。

 

 

そこで今現在もっともホットな夫の話だが、

 

夫もそのように育てればいいのかもしれない。

 

と思った時期もあったが、

 

あの夫は、静かに微笑んでいると、

 

本当にとんでもない誤解をし、

 

とんでもなく甘えてきたり、手間がかかったりして、

 

私(妻)がもう、もたないのだ。

 

 

 

子どもっぽいくせに、変に屈折した感情(僕は母に愛されなかった…とか)を持っているようで、

 

子どもの自然でまっとうな成長の方向を期待して静かに微笑んでたら

 

もう大変なことになってしまう。(ような気がする というか経験上、実際。)

 

 

 

大人を育てるのは、経験によってひねくれてるだけに本当に難しい。

 

仕事をしていても、子どもは育ち、治るスピードも滞りない気がするが、

 

親のほうが断然育ちにくく、変わるのに硬く、大変難しい。

 

 

’もちろんひねくれた自分自身を育てるのもまた然りだがそれはとりあえず棚上げで。)

 

 

でも、もう知らんと放っておいたら、

 

また見放されたとか、このごろ冷たいとか、

 

夫の側でいろいろ不満に思っている(気もする)。

 

子どもたちにも厳しくなるし、妻にも冷蔵庫内の賞味期限やごみ捨ての細かーいことで

 

喧嘩をふっかけてきて鬱陶しい。

 

 

さてどうするか・・・

 

この子どもらしい大人である夫とうまくやっていく方法とは何?

 

思索と努力、続く。

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努力目標

2012-11-12 11:03:58 | 日記・エッセイ・コラム

努力といえ何をしていいのか、わからない日が続いていたけど、

 

夫が出張から帰ってきて、状況を動かしたくなってきた。

 

とりあえず声をかけてみる。笑いかけてみる。

 

愛あるころには簡単なことだろうが、

 

子ども中心の日常に慣れてしまうと、これもなかなか珍しいことになっていたようだ。

 

 

 

最近は仕事も忙しく、家にいる時間も短く、

 

家にいても一人部屋にいたがる夫、

 

てんてこまいの子どもたちの世話を期待するのもむなしく終わってしまうことが多く、

 

友人の「夫はいないものと思え」

 

というありがたいお題目を思い出しながら、

 

あたらずさわらずなんとなく過ぎていく日々。

 

こちらばかりが努力しているようにも思え、しんどくなったりもしたが、

 

子どもたちが巣立った後この人と過ごす膨大な時間を思えば、

 

やはり潤ったいい関係でいたいと思うのも人情。

 

で、笑いかける。声をかける。

 

 

小さなことから、毎日続ける。(努力をしようと思います)

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無題

2012-11-03 00:41:13 | 日記・エッセイ・コラム

夫婦の愛とはどういうものだろうか。

 

最近よくそんなことを思う。

 

結婚して10年以上たつ。

 

淡々と時は過ぎていく。

 

どこの夫婦もそうだろうか。

 

夫婦の愛とはどのように変わっていくのだろう。

 

 

大切な人である。

 

子どもたちの父である。

 

 

それは確かなこと。

 

それ以外に、何があるだろう。

 

 

お互いを必要としてもいると思う。

 

生活のパートナーとはなっているとも思う。

 

 

10年も一緒にいれば、いろんな意味でいろいろわかってくる。

 

わかりたくないことに気づくこともある。

 

ある程度距離をとっていくことが必要になってくるのか。

 

違う人間であるふたりがずっと一緒にいるためには、

 

知恵や努力が必要ということは、はっきりとわかってきた。

 

 

努力中だ。

 

愛し続けるための努力。

 

そして愛されるための努力。

 

子どもたちを幸せに育て上げる要となるのは、

 

やはり安定した愛のある夫婦関係であると、思うからだ。

 

 

確かなことは、

 

子どもたちを愛していること。

 

お互い大切であること。

 

 

足るを知らねばならないのかもしれない。

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