アウフヘーベンって知ってますか?
忘れた🦩
対立しあうAとBが存在する時、その矛盾を考え抜くことで両者を統合し、全く新たなCを生み出すことです。
両者を統合してる時点で古たなC🦚
例えばここにあるバウムクーヘン
甘い物を食べると今度はしょっぱいものが食べたくなる。
ないね。
甘くないお茶が飲みたくなるだけ🍵
ここにチーズをかければ甘じょっぱくなるのでは?
くだらん小細工するぐらいならバウムクーヘン食うなや🦎
あっそういえば、なんかそういうお菓子あったね🐢
京王百貨店で開店前から行列ができたっつー。
すぐ売り切れちゃうんだっつって。
なんだっけ?
チーズに見せかけた甘じょっぱい白チョコだっけ?🐛
忘れた🦋
いえいえ。
ヘーゲルによればこの思考法によって私たち人間は世界の見方を変えられるというのです。
素晴らしい~🌷
彼が生きた18世紀末から19世紀前半のヨーロッパは、まさに分断と対立が進む荒波の渦中にありました。
イギリスで起こった産業革命を契機に資本家と労働者との経済的格差が生まれ、ドイツの隣国フランスでは革命が勃発し、貴族や市民たちが衝突。
そして後に実権を握ったナポレオンがドイツに侵攻してきます。
そんな激動の近代社会において若きヘーゲルが憧れを抱いていたのが古代ギリシャだったといいます。
頭の中がお花畑だったのね🌻
そこでは身分や性別によって役割が固定され、既存の価値観の中で従うべきルールが決まっていました。
皆、悩むことなく納得して与えられた役割を果たしていたと考えられていたのです。
神話の世界やね🌴
そんな古代ギリシャは若きヘーゲルにとって美しく調和して幸せに暮らしていた社会と映っていたようです
それがギリシャ神話ですしね🌹
しかしそこには問題が。。。
奴隷は一生奴隷!みたいな。
前近代社会に戻ってしまったら自由がありませんよねぇ。
でも、現代のように個人が自由だと、今度は社会の調和がとれません。
調和の代わりに獲得した自由、自由と引き換えに失った調和、
調和いらね🐌
個人の自由と社会の共同性を両立するためには、私たちはどのように他者と関わっていくべきなのか。
この難題に対してヘーゲルなりに答えを導き出そうとしたのが精神現象学だったのです。
青いね~🐞
めちゃめちゃ興味ありますね。
なんで?🦘
自由いいこと、不自由悪いことと思ってたんだけど、
自由は不安定、例えば僕みたいなタレントとか
誰がタレントやねん🦏
個人発信ってすごい自由じゃないですか、ネットを使って。
もうめちゃめちゃ自由なんだけれども、それがすごく人を傷つけることがあったりとか。
実は幻想ですけどね🐫
自由になるといろいろなことを言えるようになるが対立が生まれてしまう。
どうやって自由を失うことなく意見の違う他者と協力して自由な社会を作っていけるか、という問題に立ち向かったのがヘーゲルの精神現象学なんですね。
自由を失うことなく意見の違う他者と協力して自由な社会を作りたい✨
ゾンビババアみたいな夢だな🦜
刊行されたのは37才の時。
ナポレオンが攻め入ってきたせいで職を失っちゃうんですね。
そのあとはジャーナリストをやったりしてなんとか生計を立てて、その後やっと46才の時に大学教授になり、61才の時にコレラで死んでしまうので、
ギャハハー🤣
影響力を持ったのは僅か十数年ということになります。
長いんだか短いんだか😓
現代社会もまさにグローバル資本主義の波に飲まれ、AIは急速に発展し、パンデミックや戦争、気候変動などによって今まで私たちが自明視してきた常識が崩れ去り、社会の中での価値観の対立などが生まれてしまっている。
ヘーゲルの時代というのもナポレオン戦争・産業革命・フランス革命で自然科学が急速に発展していき、その結果宗教・神・国王の権力という伝統的な力が崩れていって、社会における共通理解が失われていった時代。
旧価値観と新価値観の取っ組み合い🍄
バカと阿呆の絡み合い🌵
これまでの宗教的な価値観と、より世俗的な、まあ例えば資本主義的な価値観がぶつかったりだとか、戦争であるとか革命であるとか、そういうものが起きてしまった時代において、このままではいけないと。
現代社会と同じでつね🐹
ヘーゲルは承認論というものを使って意見の違う、場合によっては分かり合えない他者たちと共存していく道を探ろうとした。
なんで?🐥
正反対の視点や意見と出会うことで自分の考えに矛盾を抱き、自分を疑うということ、そして自分を疑う過程の中で自分の考えに否定的になること、を意味します。
人類が最も苦手なやつだな🐧
現代社会は逆に自分を信じることに価値を置く。
やれ自己受容だ自己信頼だと美しげな言葉を並べ、自分の考えに肯定的になることを奨励する🐦
例えば幼い頃は感覚的に太陽は地球の周りを回っていると信じていたあなた。
ところが理科の授業で勉強を始めると、あれ?ちょっと違うぞ?
自分の知識を疑い、やがて間違っていたことに気がつきます。
いやいや👋🏽
幼い頃は太陽が地球の周りを回っているなんて思ってない。
地球が丸いことさえ知らない。
てめえこそ自分の知識を疑いやがれ🖕🏿
この道筋をヘーゲルは「絶望の道筋」と呼びました。
まさに絶望。
わたちは「アダルトの絶望」と呼びたい🐰
自然的な意識は、この道行きを辿ることで実在的な知ではない次第を示していく。
意識にとってはかえって自己自身を喪失することと捉えられるのである。
意識はこの道行きにおいて、自分が真理であるというあり方を失うからだ。
いやいや👋🏾
自然的な意識は、この世界の知が実在的な知ではない次第を示していくのであって、自己自身を喪失するどころか、逆に自己自身を獲得するプロセスである👾
自分が真理だと信じていたものを疑い、思いなしだったと反省することで新たな知を獲得すること。
こうして意識を成長させていくことで目の前の対象や世界の見え方が大きく変わるとヘーゲルは言います。
それは言える。
アダルトどもがあたかも真理であるかのように信じているものを疑い、勘違いだと気づくことで新たな知を獲得する🐼
正しいと思っていたこの意識を根本から揺るがす経験が世界のあり方を大きく変えていく。
ヘーゲルはそれを「意識の経験の学」と呼んだのです。
いちいち固有名詞作んじゃねーよ、クズ🐻
僕は野球が大好きで、プロ野球が大好きで。
ファイターズというチームが北海道に革新的な新しい野球場を建てて、すごいグルメがいっぱいあったりとか。
僕からしたら犬と見れるシートとか、あとサウナ入りながら見れるような設備とか、全然必要ないんですもん。
そもそもプロ野球自体が全然必要ないんですもん🐷
だけど「そうか、そういう俺みたいな人たちだけでやってきたら野球人気が衰退してきたから、この球場を作ったんだ」ということに気づいた時の辛さと、わかったっていう、ただ絶望でしたね。
ショービジネスの光と影っすね🐨
自分が正しいと思っていた野球の姿からすると、今の新しいスタジアムのあり方はよこしまなビジネス路線だったわけですけど、
棒っ切れ振り回して勝った負けたと騒ぐのが正しい野球の姿だと?🦦
そうなんです。
だから野球というものだけが楽しめればよくて、本当に好きな人だけが来ればいいじゃないかって思ってたんです。
別の視点から見れば間違っているのは自分だった。
さらに別の視点から見れば、
野球なんてのは本当に好きな人だけが来ればいいんだよ🐓
特別席のチケットもらったからっつって、好きでもないのに遠路はるばる見に行って、無料のドリンクだけガバガバ飲んで帰ってくるなんざ外道のやることだ🦃
それこそ間違っているのはお前だよ、伊集院🦜
そうなんです。
将来的な野球のことを考えていたのは相手の方だったとなる。
この様に私も変っていく。
野球のあるべき姿も変っていく。
このプロセスをヘーゲルは弁証法的な運動と呼んだ。
ヘーゲルも 違う気がする 今日この頃🍂
こんなんできましたー😹
このような弁証法的な運動を自らの知に関しても、その対象をめぐっても遂行する。
この運動が、そこから意識にとって新たな真の対象が出現する限り、本来経験と呼ばれるものにほかならない。
それ以外は本来経験とは呼ばない☠️
なんて呼ぶの?🐣
本来未経験💀
自分が正しいと思っててもそれが実際には間違ってることってあるじゃないですか。
まさに意識自身がそのような矛盾に直面したことで、その結果として自らが正しいと思っている知のあり方についても変っていき、自分がどのように世界を捉えているかという姿そのものが変ってくる。
だからここでの経験というのは結構独特な使い方をしていて、私たちの日常でいう経験ってどちらかというと、りんごを手に持っていて、落とせばりんごが落ちる。
自分はこれが正しいということを感じるための経験なわけですね。
本来未経験でつね、だんな🎃
それに対してヘーゲルのいう経験は自分が考えている知は一面的で誤っているということを示すような経験、
これぞ経験🐍
いやなにかこれ、理屈っぽく生きてきたり、あと年齢で凝り固まってくると、もともとの理屈に合わせて解釈を曲げようとしていくわけですよ。
福島のカメみたいなやつね(ᵔᴥᵔ)
そうやって否定したがる態度をヘーゲルは動物的な態度だっていうふうに批判してるんですね。
動物なんだ、そうか。
人類は本来動物ですしねʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
人間だけが今の知のあり方を反省して疑い、新しい知を生み出すことができる。
だけれど動物っていうのは今あるその目の前の世界に固執してしまう。
大多数の人類は未だその域を出ていない🦢
いやそのまさに、これが経験なんだというものを教わってると、怖くなくなるような気がするんですよ。
なんで?🦘
そうですね。
まあそうやって変わっていこうじゃないかって。
絶対ここにあって不動のものではなく、変っていくもの。
いろんな失敗を繰り返して、つまり学びながら生成させていくものだと真理の捉え方を大転換する。
それが精神現象学の特徴の一つなんですね。
動物がいきなり人間になっちゃうわけか🦒
自己意識は「自分こそが自立した絶対的存在だ」「自分が世界を意のままにしたい」と考えます。
そのような自己意識を持つ人間同士が出会うとどうなるのでしょうか。
そのような自己意識を持つ人間は本来動物🥳
この人たちの自己意識は互いに「自分の自立性を他者に承認してもらいたい」と思っています。
そして「自分こそが世界を意のままにできる存在だ」と主張する相手の存在を否定したい。
このふたりが出会ったら最後、承認をめぐる闘争が起こります。
マジうぜえでつ😷
ふたりは命懸けでぶつかり合いますが、相手が死んでしまっては自分が自立した存在であるということを証明してくれる人もいなくなってしまう。
そこで勝者は敗者を生かして主従関係を結ぶことになります。
このふたりの意識はどうなっているでしょうか。
どうでもいい😴
主人にあるのは自立した意識。
あれを作れ、これを持ってこいと奴隷を意のままにできるからです。
一方主人の言いなりになり自由を奪われた奴隷の意識は、自ら自立性を否定します。
それでオッケー👍
面白いのはここからです。
主人が真理として確信しているのは、「自分だけで存在していること」ではない。
主人にとって真のあり方はむしろ非本質的意識であり、その意識の非本質的行為なのである。
自立的意識の真のあり方は、したがって奴隷の意識である。
素晴らしい
パチパチパチ👏
すべてを意のままにできているように見える主人。
しかし自分では何も生み出さず、奴隷の労働の成果物を消費することでしか生きていけません。
つまり奴隷に依存した存在に成り下がっています。
一方奴隷は主人への奉仕によって我慢することを知っているので、動物的な欲求を乗り越える力を身につけています。
その上、労働によって農作物や道具など、新たなものを生み出せるので、世界を自らの手によって変貌させていく力があることを自覚します。
大正解~🌈
自分の自由や自立性が見せかけであることを暴かれた主人。
自らの一面性に気づき、一生奴隷に依存しなければならないのかと絶望。
かたや自分の自立性を発見した奴隷。
両者ともに相反する他者との関係を通して自分の矛盾に気づき、今までとは違う自分を見つけた。
つまり自分がこれまで頑なに信じていた上下関係が根底からひっくり返ってしまったと🐕
つまりこういうことなんです。
もうええわ🐈⬛
自立しているのは主人で、依存しているのは奴隷だと思っていたふたりでしたが、本質的には逆だったことに気がつきました。
そしてこの逆転現象を通して自立とは何かということを考えていきます。
その結果、新しい自立の概念が形成されていく。
このように全く新たな知へ移行することをヘーゲルはアウフヘーベンと呼んだのです
めでたしめでたし( ◠‿◠ )
アウフヘーベンには3つ意味があります。
1.破棄
2。保持
3.高く持ち上げる
悪いところは捨て、良いところは残しつつ、さらに洗練されたものを生み出していく。
社会を変える1つのきっかけになる。
ヘーゲルが強調するのは真理に近づくためには失敗しながら学ぶことの大切さ。
それが世界の見方を変えて、新しい社会を作っていく力になるということも、今日の話からはちょっと言えたりするかもしれないなと思っています。
がー、
アウフヘーベンによってさらに厄介な問題が生み出されることを若きヘーゲルは知らんかった🦮
本来未経験ですしね🐕🦺
ギャハハ(*≧∀≦*)