前回の記事『ウソが上手につけるようではダメです」からの続き。
前回の記事読んでないけど、まいっか( ◠‿◠ )
初夏の始まるナンタラカンタラ。
あの尊い御方は、人々を安心に導く芳香するようなお話をされました。
生きる者のためになり、人生に最上の利益をもたらすことでしょう。
この世の真のお宝は、目覚めた人が語る真理の言葉の中にこそ在ります。
(原始仏典 釈尊の言葉)
あの尊い御方って?🐢
マロ様?🐛
他人の何気無い一言で、はっ!としたり、安心したり、私たちはするものです。
安心するようではダメです🐰
そのような刺激を受けるのも、その言葉は、ある意味での真理を付いた言葉だと言えます。
ある意味ってなんですか?🐣
そうしますと、その言葉を言った人も、ひらめきからの一瞬だけ「目覚めた人」に成っていたと言えます。
そういうことを言ってるようではダメです🐱
目覚めた人は、釈尊だけではないのです。
当たり前やがな🦖
釈尊なんかむしろ眠った人と言えますわ🦕
仏典には、釈尊以前にも無数のブッダ(目覚めた人)が存在していたことが述べられています。
無数のブッダが釈尊に憑依していたと言えます🐶
たった一言で、他人を安心させる人は、誰もが一瞬だけ目覚めたブッダだと言えます。
お前は永遠に眠ったブタだと言えます🐷
ただ、その言葉に大切なことは、
気品が香り立つ言葉であること。
言葉にも、香りがあること。
お前の言葉はうんこの香りがする🐽
つまり、悪臭がするような言葉ではダメなのです。
そういうことを言ってるからダメなのです🐸
自分が話す言葉は、品の良い香りがする言葉なのか。
他人を刺すような、悪臭を隠した言葉なのか。
これに注意をして欲しいものです。
自分が注意しなはれ🐕
お前の言葉ほど臭いものはない。
下水のニオイがプンプンする🐈
やはり、自分の言葉にトゲを隠したり、悪臭{悪意・イヤミ)を隠していますと、幸運も他人も去っていきます。
要するにお前らは幸運が欲しい🐜
人々に寄ってきて欲しい。
あれも欲しい、これも欲しい🐞
ワレヨシの自我を隠したり、品の良い香りでごまかしていますと、仏陀も弥勒も去っていきます🦋
「何か臭うぜ」「何かがプンプンする言葉ね」
と言われないようにしたいものです。
悪臭がプンプンするぜ🐲
臭くて臭くて安らかに眠っていられないわね🐉
と神々に言わせないようにしていただきたいものでちゅ🐹