宗教的教義を信仰させることを目的とせず、それぞれの宗教とはどういったものかについて教えることを目的とするならば、それは、教養ある日本人を形成するうえで必要なことだと思っています。
そもそも教養って何ですかね👾
手話では体に手のひらを差し込むと「栄養」
頭に差し込むと「教養」
教養は頭の栄養ってことかしら👩🏻
じっさい海外の論客相手に宗教についてまともに議論できる日本人というのをほとんど見たことがない。海外で宗教の議論をするな、こじれる、というのは宗教が危険な議題だからというのもありましょうが、日本人の場合にはトンチンカンすぎてお呼びじゃないからですよ。
カメムシって海外の論客たちに魂売ったんちゃう?🦘
日本人よりアメリカ人の方が教養がある、知能が高くて優秀という洗脳教育を受けたのではないでしょうか。
けっきょく、日本人の宗教的世界観の基調になっているものは、神道でも仏教でもなく、「天」なんだと思いますよ。
逆じゃないですかね🦒
天網恢恢疎にして漏らさず、というのは中国の老子の言葉だけれど、なにかしら超越した存在に自分が「見られている」感覚がどこかにあって、最終的には「天を畏(おそ)れ」「天に愧(は)じぬ」ことが日本人にとっては美徳であったのだろうなと。
キリスト教の「神」と同じだよ🦆
八百万の神々から如来に菩薩に天部に至るまでいろいろ信仰の対象はあったけれど、日本人の心の中にあるものはそんな具体的な「キャラクター」、名や姿や性格や特性属性のある漫画チックな神仏じゃなくて、そのずっとずっと先にある汎神論的な超越した存在。
いやいや👋
その象徴としての漠々とした「天」という概念こそが日本人のスピリチュアリティ(精神性)の核なんだろうと私には思えます。
わたし的には逆に、日本人の精神性の核にそれがないんじゃないかと🐰
ま、なにかにつけて「わかりやすいたわごと」をくっちゃべりたがる偶像とそれを神輿にのせたがる現代の日本人はどうだか知りませんけれどね。
ああ、それそれ。
それこそが日本人のスピリチュアリティですわ。
現代の日本人を見ていると、古代の日本人の姿が浮かび上がってくる。
洋服を着た古代人が街を歩いているような気がする( ◠‿◠ )
仏教が伝来する前の日本人が何を信仰していたかは不明だが、何かしら形あるものを信仰していたことは間違いない。
それは人なのか動物なのか、木なのか石なのか、、、
古代エジプトでは🇪🇬
ツタンカーメンはアメン神の生きた似姿。
なのでアメン神を信仰する人々は自動的にツタンカーメンを信仰する仕組み。
日本神道も同じですよね。
ただし日本の場合は子孫(天皇)が先にいて、アマテラスが後からくっついてきたような気もしますが。
ギャハハ( ̄∇ ̄)