神様をバカにする人は運に見放される・・・
脳科学者が「神社を参拝するメリット」を脳科学的に説明する☘️
ただし、科学的には神仏にお祈りしたからといって、あるいはパワースポット行ったからといって、何らかのパフォーマンスが上がるというエビデンスはありません。
上がらないというエビデンスもありません🌹
脳科学の立場からいえば、神社に参拝したり、パワースポットへ行くことが意味するのは、それによって「自分の内面が変わる」ことにあると私は考えています。
幻想ですね🐰
神前で手を合わせ、日常の雑事から離れた空気の中で自分の心を整える。そうすることで、翌日からの仕事や日常生活に弾みがつくというわけです。
自分に催眠術をかけるわけっすね🐞
ほんで翌日からの仕事や日常生活という「労働」に弾みがつくと🐝
奴隷を効率よく働かせるテクニックでんがな🦋
私自身も、実はよく神社やパワースポットに出かけることがあります。それは神様に何かをお願いするのではなく、むしろ神様の前で「自分はこんなことをする」と誓う意味を込めているのです。事を成すのは、あくまでも自分自身だからです。
奴隷または社畜でんな🦂
自分にノルマを課して、事を成すと🕷️
目の前のことに集中し、手を動かし、知恵を絞り、一所懸命に働く。その心の準備をするために、時間やお金を使って神社やパワースポットに出かけ、そこで祈ることが心を整えるうえで有効なのです。
宗教はそうやって貧しい庶民から搾取し続けているのです🌻
大槻義彦先生にツッコミ入れられるところをギリギリうまく回避してますな(;^_^A
回避などしてませんけどなにか🦀
こんサルは農家学者の信者になってしまっただー🦞
ま、成功者とか起業家とかの話は私にとってはよくわからんけれど、
こんバカは失敗した起業家ですからね🐹
科学者というのは「神」ならずとも未知に対する「畏れ」なしには務まらないんじゃないかと思っています。
こんガキは未知に対する畏れなしに観光農園でボロ儲けする計画だったが🧞♀️
天罰下りましたー🧜🏻♀️
何度か書いていますがそういう意味では宗教者よりも科学者のほうが人智を超えたところを「正しく畏れている」がゆえに自然に対する謙虚さを失わないものだろうと思いますね。
ないない👋🏽
科学者ほど謙虚さを失ったものはない~♪
私なんぞも、「試みる者」を語源とするサタンについて妙に詳しかったり、
教科書を丸飲みしただけやろ🐼
サタン本を鵜呑みにしただけなのに、
正しく畏れている組の一員づらしやがって🐨
天使の1/3を率いて神に反逆した美と叡智を司る天使長ルシフェルの話がーーー
アニオタ野郎が🐻
もちろん人間たちが創り出した物語上のキャラクターとしてーーー好きだったりするので、
徹底した現実主義とかぬかしてカッコつけておったが、
一皮剥けばうんこスピ界隈だったりするし(>_<)
幼稚園が教会だったせいもあって人生最初に触れた本が聖書だったりもしたので、ひな鳥の刷り込みのように私の中には、まず神ありきの世界観が根強くこびりついているのかも知れないなとは思います。
こんガキゃ前にもそんなことを言ってやがって、なんでそんなもん刷り込んだのか不思議じゃったわ🦃
血肉となっているそこを自分自身から切り離したいという気持ちがあるからこそ、悪魔や反逆の天使といったものに心惹かれるんでしょうね。
んなものは血肉でもなんでもない🐧
ややこしく考える必要はない。
悪魔や堕天使といったものに心惹かれるのは、それがお前の血肉だからさ🐦
賢者はシンプルにし、愚者は複雑にする。
無駄にややこしくして能書き垂れると偉そうに見え、皆さんが拝んでくれるんだろ🐤
そういった「親(信仰)離れ」ともいうべき心のはたらきをキャラクター化したのが悪魔であり堕天使であり、それに魅せられるのも仕方ないかと。
それってテメーの妄想だろ🦏
親離れなんざしてねーし。
お前はただかっくいいものに憧れ、そこに自分を同化させてるだけ。
「科学者は正しく畏れている」というファンタジーをでっち上げ、自分を同化させて喜んでいる🦒
だからといってそんなものを偶像化して拝む気もしませんね。
アインシュタインを拝んでますがー🐇
西の夕空を見上げれば、人が神を拝むために作った地上のいかなる宗教建築よりもはるかに美しい明星が、悪魔や堕天使すなわち自由と独立の象徴として気高く輝いているわけですから、
うほほーい)^o^(
夕空を見上げて、悪魔や堕天使が気高く輝いていると感じるわけですから、
偶像化以外のなにものでもないっちゅねー
╰(*´︶`*)╯
なにもそこらの掘っ立て小屋なんぞに神さまなんぞを拝みにゆく必要などどこにも無いと思っておりますよ。
夕空を見上げて悪魔を拝んでりゃいいんだよね~🧚🏻♀️
フフフ😈