どんなに修行を積んだとしても、ブッダのように「我」を完全になくすことができる人はいないのです。
つまり釈迦はブッダではないということです🐰
私、祖父の書斎で仏教の解説書というものに初めて触れた小学生のころに思った。
妄想だよ🐝
ゴータマは「悟った人」ということになっていて、皆それを鵜呑みにしてしまっていて、彼が悟ったのが事実であることを前提にして語るけれど
彼が悟ったのは事実やと思います🐢
問題は何を悟ったかでおます🐛
・・・悟りは本当にあったのだろうか、と。
そもそもオメエは悟りとは何かを知ってんのかよ、と🐜
ゴータマの後には誰もブッダと呼ばれるほどの悟りを得てないというのなら、
誰がそんなこと言ったの?🐁
いったいどうやってゴータマの悟りの真贋を語れるのだろう、と。
ゴータマはブッダじゃないんだよ、バカ🐹
けっきょくその悟りとやらが本物か偽物かわからないのであれば、ありがたく拝むしかないんじゃないか、そんな、考える前に拝んじまう人のほうが多かったからこそ、仏教は宗教化してしまったんじゃないか、と。
それってあなたの感想ですよね🦘
そう気づいたときに、仏教への興味が失せた。
それって気づいてないときですよね🦒
てゆうか、
普通はそこから仏教への興味が生まれる予定なんやけども🐧
なぜ人類は本物か偽物かわからないものをありがたく拝むのか、
なぜ考える前に拝んじまうのか、
なぜ仏教は宗教化してしまったのか、
知れば知るほど、ますます宗教への興味が強まる予定🐦
ゴータマ先生の教えを必死こいて勉強している弟子もどき、
山奥の寺にこもってひたすら瞑想しているヒマジンもいるし、
知的好奇心そそられまくりっすわ~*\(^o^)/*
となる予定なのに、
なぜカメは、そこで興味が失せたのか🦉
想定外のバカなのか、
それともカルトの陰謀か、
あるいは両方ということも考えられます👾