やっぱりここも先生の価値観がやっぱおもしろくて、
王様になりたくない理由がやめられないからっていう。
責任感が強いんだね🐧
やっぱり今僕らは偉くなるということは気持ちいいことだと思ってるけど、
僕らの価値観がおもしろくてやめられない🐦
これは軽はずみに受けちゃ駄目なんだよっていう。
人の上に立つということは、それに応えなきゃいけないみたいなくだりをやっぱりきちんと書いているんですね。
スピビジネスも軽はずみに受けちゃ駄目なんだ🐝
王様になって何が変わったかというと、
シンカロットという名前に変えられてしまいました🐞
先生の元々の名前はDolittle。
ほとんどしない、おさぼり先生という意味の名称だったんですね。
自分から無理やり取りに行かない、背伸びしない、
あまり積極的に何かを求めない、
というのがDo littleですよね。
小さいおっさんという意味じゃなかったのか🐀
これはやっぱり大人になってから読むと、あ、そういうことなんだっていうね、
二度おいしい楽しみがあります。
ほんまでんな~🐁
なにか奥が深いなと思うのは、Do nothingではない。
ふふふ(*^^*)
どうしても戦わなきゃならない時は少し動くみたいのも、この物語を聞いてから聞くといい名前だなっていう。
そうですね(ᵔᴥᵔ)
バタバタ何でもやる人も鬱陶しいじゃない。
間違えるしねえ、そういう人は。
Do a lotはあくせくして生きなくてはならない感じもするからいいなと思う。
その時来たものをちょっとやればいいというぐらいなんですね🦘
そうなんですよね。
何かやってきたらそれに応じて変幻自在に変われる。
ドリトル先生の自由な生き方っていうのが表れてるかなというふうに思いますね。
これぞまさしく行き当たりバッチリ🐫
私も大学生にまあよく接しているんですけれども、学生はどうしても自分探しをするわけですね。
自分はどういう職業につくべきかとか、
その、自分というものが確固たるものとしてあって、自分の適性は何なのかと思い悩んで、自分の内部に問いかけてるんですけれども、
細胞のことを考えると、自分の内部に答えは何もないわけですよ。
つまり幻想でつね🐹
我々多細胞生物というのは最初受精卵というたった1個の細胞が2つに分かれ、4つに分かれというふうにだんだん増えていって、その細胞が役割分担をしていくわけですよね。
皮膚の細胞になったり骨の細胞になったり。
でもそれは予め決められてるわけでは全然ないんです。
どの細胞もなんにでもなり得るものとして存在しているし、DNAはすべての情報を平等に持っているわけですね。
じゃあ細胞どうやって自分が何になるかを決めてるかというと、細胞と細胞が交信し合うわけですね。
そうして「君が皮膚の細胞になるならば、じゃあ僕は骨の細胞になろう」というふうに役割分担を互いに譲り合いながら、だんだん全体として多細胞化していくんですよ。
細胞って偉いね🐛
だからその自分の人生がこれになるべきだというふうに、あらかじめ決められてるということは細胞の世界には全くなくて、ドリトル先生の生き方っていうのは、いろんな状況によって常々変わっていく。
そういう生命本来の風任せ主義。みたいなものが描かれてるようにも思えるんですね。
素晴らしい!
パチパチパチ👏
へえ、びっくりしますね~
いやほんとですね。
もっとよりよい自分、高みに上がらねばみたいな。
真逆のことを普段考えているから、ちょっとびっくりしました。
おまいら普段そんなこと考えてるのか🦏
びっくりしますね〜🦌
航海記っていうのは人生の比喩でして、
まあ最初はワクワクするような少年時代、
それからいろいろな困難に出会う青年時代、
そして旅をだんだん終える壮年時代、
をスタビンズくんが体験してだいぶ後になって書いている、という二重構造ですよね。
そこには少年の日々をありありと思い出すという要素がある。
それはセンスオブワンダーという言葉で表現できると思うんですね。
自然の美しさや精妙さに対して驚く心。
子どもの一番感性が鋭敏な時に驚く心、というのがセンスオブワンダーで、大人になると忘れがちになってしまうんですけれども、
なんかこういう航海記のような物語で自分が辿ってきた人生をもう一度辿り直してみると、少年の日々のセンスオブワンダーがあったことを思い出させてくれる。
っていうのがこの「航海記」のもう一つの意味じゃないかなと思うんですね。
失われた時を思い出させてくれますね🌻
原点を思い出すということは大人になった後も自分を支えてくれるということを再確認するということですよね。
そうそう☘️
自分が好きなこともわからない。
将来どうなるかもわからないって悩んでる若者たちがたくさんいると思うんですよね。
その答えは簡単で、旅に出ればいいんですよ。
はい?🐣
しかもいいのは最初の長い、旅に出ない期間も旅だから、あの近所にいるドリトル先生を訪ねて、で、留守だったのにまた行くっていうことから、僕は旅が、
おまえはシンカロット先生か🦆
もう一つはですね、
この「ドリトル先生」の物語全体がですね、結局はスタビンズくんがパドルビーの川岸で足をぶらぶらさせながら、全部自分の想像で作られた物語で、ふと気がつくとまたそこにスタビンズくんはいるという、そういう構造にもなってるかもしれない。
アリスと同じ構造だね🐥
自分の一番大切なものは少年時代に見た蝶々とか虫の美しさ、あるいは変化の不思議さ、そういうところから自分が出発したんだなっていうのが改めて感じられる、
自分のセンスオブワンダーの起源というものを探り当てられる物語かなというふうに思いました。
腐れやカメムシの起源を探り当てる物語でもある🐰
若者よ、旅に出よ🦉
物語という旅に。
あっちゃこっちゃ出かけていくことだけが旅ではないのだ🦄
やっぱ一番大切な旅は少年時代っすね🎃
そこにユー達の未来がある👾
忘れてしまいたいことや
どうしようもないさびしさに
包まれた時に男は旅に出るのでしょう♪( ´θ`)