徒然なるままに

子供の頃から活字が好き。読んだ本のこととか日々の暮らしの中で感じたことを綴っていきます。

串あさり

2009年05月13日 | 思い出
私の生まれた町には「串あさり」という季節の珍味がある。

あさりの大きいのを生のままで剥き、串に刺すのだ。
そして半日陽に当てて乾かす。
本当は縄に刺して干すのだけどないし、そんなに数が出来ないから、洗濯物用の小物干しに干す。
本当はこんな感じ




あさりを剥くのには、あさり剥き用の小さな刀がある。
母が使っていたあさり剥きの刃はこんなにもすり減っている


母は手八丁口八丁の働き者だった。1年のうち串あさりが出来るのは、本当に期間が短い。身のいいあさりでないと無理なのだ。


それが潮干祭りの前後で、祭礼の一番のご馳走は串あさり。
大きいものはさっと焼き食べる。小さいのは天麩羅。これが超飛び切りのおいしさ。
伊勢湾台風で漁業が壊滅してからはあさりも本当に高くなった。
それでも母は私たちの為にたくさん作ってくれました。
母は魚屋さんから頼まれて一晩に何キロも剥いたものです。
幼いころ、夜なべであさり剥きをする母の傍らに練炭火鉢があり、特別にでっかいのがあるとナイショだよといって練炭火鉢で焼いて食べさせてくれた。
TVのない時代、母と子がしっかり絆を結べた頃のことだ。
母の手元を見ていると、目が回るくらい早いので催眠術にかかったようにきっとそのまま寝転んで寝てしまったことだろう。
母の思い出の中で一番浮かぶ光景。

自分には剥けないだろうと思っていたけれど、あさりの季節が来るとやはり食べたくなり少し剥いてみる。
だけど串あさりになるようないいあさりもなかなかないし、くそ高いし、剥くのは難しく、1,2本で挫折してしまう。

今日は買い物に行った先で少し大きいあさりがあったので、ついつい1キロ入りを買ってしまった。身はたいして良くない。
門前の小僧で、あさりの見分け方は出来るけど、これはいい!というのはやはり高い。潮干狩りでとってきたようなあさりでは干したら小さく縮みお粗末。

母が死んだあと形見と言えるものはちょっとした貴金属以外ほとんどなく、私は着物や母が使い込んだあさり剥きをもらってきた。

今日はこれを使い剥いてみた。剥く間中、母の言葉が次々と思い出だされて胸がいっぱいになった。母の日にお墓にも行かずごめんね。。
生きているうちにもっともっとたくさん教えてもらえばよかったと後悔先に立たず。
苦労の多かった母だけど、豊かでもないのに、高いあさりを買って作った串あさりを私の友達のところにまであげてくれたり・・おいしいということばを聞くのが楽しみで本当にいっぱい食べさせてもらった。
自分は食べていたんだろうか?と今気づいた。
今日は9本出来たので、こどもを迎えに来た嫁さんにも少しだけ持たせた。
娘にメールすると「食べたい!おばあちゃんの思い出は串あさりしかないわ」という(笑)
半分もまともには剥けなかったので、ひもの切れたあさりはあさりご飯にした。
炊き上がりに針しょうがを入れて蒸らす。最高!
潮干祭りには、こういう小さいあさりを煮てのっける箱寿司をを作ってくれたなあ・・・

練習してもっとうまく剥けるようになりたい。
そしてできたら嫁や娘に伝えたいな。









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2 コメント

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懐かしい!!串あさり!1 (久子)
2009-05-14 12:11:30
こんにちは
まあ、なつかしい!
お母様が一生懸命作っていらしたお姿を思い出しました。
私も頂いておいしかったですよね。
sakkoさんが使われてお母様も喜んでいらっしゃいますよ。
五月はお祭りと串あさりと箱寿司と・・・
お祭りもここ何十年と行っていませんが、
来年は行きたいなあと思いました。

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箱寿司 (sakko)
2009-05-14 21:38:24
そうね、箱寿司ももうあまり見られないもんね。
昔の道具はすごいよね。何もかもなくなってしまう。もったいない。

串あさりのことは料理ブログにもっと詳しくのせておくつもり。こどもたちに残さないとね
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