「ご臨終です」
ふたりの医師が駆け込んできた。看護師もふたりだったろうか。その看護師のひとりが、「急いでご家族に知らせてください」と叫んだ。
(急いでといわれても)
わたしは、緊急の事態にドキドキしながらも呟いた。(ここから三時間もかかる所に住んでいるんですが)
そしてこうも呟いた。(姉は昨日、一度家にもどりました。お医者さんが、「しばらくは安定していると思います」、そうおっしゃったからです。まだ子どもが小さいんです。三日間、こちらに来て看病していたんです。お医者さんに容態を確かめて、大丈夫だと言われて、それで一度戻ったんです)
こうして書いてみると長い時間のつぶやきのようだが、おそらく数秒のことだったろう。
医師は、患者である母の危険な状況を把握し、看護師も同様に察した様子である。けれど、患者家族のわたしには何が何だかわからない、というありさまである。
すぐに電気ショックをされた母。
そのとき上半身が跳(は)ね上がった―という記憶に、今は変わっているのだが。一度、二度、母の体はばねじかけの人形のようにビクン、ビクンと動いたのだった。母は、それでも鼓動を止めたままだった。
そして医師は告げたのだった。
「ご臨終です」
深夜の病室。急に電灯が暗くなったような気がした。
医師も看護師も、沈痛な面持ちだった、と思う。
けれど、これも今は変わっている記憶なのだが、医師は淡々と死を告げた、そんな思いがわいてくるのだ。一方患者家族のわたしは、あまりの展開の速さに茫然(ぼうぜん)としていたのである。
いや、いやちょっと違う。
わたしは叫んだのだ。それを今はっきり思い出す。
「早く管(くだ)を抜いて、早く抜いて!」
医師と看護師とに向かって、そう叫んだのだ。
看護師は、母にとびつき、体中にささっていた点滴やら心臓のモニターの管やらを外してくれた。早くはやく身軽にしてあげてという、わたしの叫びをきいてくれたのだ。
わたしはつづけて「主の祈り」を口にした。主なるイエス・キリストの教えである主の祈り。
天にまします われらの父よ
ねがわくは 御名(みな)をあがめさせたまえ
御国(みくに)をきたらせたまえ
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
耳は最期まで聞こえていると思った。
「神さま、母がいま生涯を終えようとしています。あなたは、この時のすべてを見ておられました。今、願わくば、神さまが母の魂をその手に掬(すく)いあげてください」―そのような思いを込めたのだった。
医師も看護師もまもなく、一礼をして病室を出ていった。
わたしの混乱した耳に、「ご臨終です」という声が響いていた。
母
─ようやく子どもが片づきまして
安堵(あんど)か満足か
そのひとの目は優しい
─でも いくつになっても心配で
そのひとの顔は心なしかやつれている
ため息もまじる
よく響く笑い声をまんなかにして
泣いたり おこったり
おろおろしたり
子育ては
人生の一大事
と 体全部が教えてくれた
―じゃあ、ね
乗りこんだ軽トラックのバックミラーに
自立する息子を見送る母が映っている
●ご訪問ありがとうございます。
今日は「母の日」。息子たちが、妻にカーネーションを贈ってくれました。
わたしは、生前の母に何も贈らなかったなと、申し訳ない気持ちになりました。