しあわせの歌
一冊の決定的な本
1
しぬまでに「決定的な本」と出逢えるだろうか?―十九の頃、思い悩んだのだ
った
あの本かこの本かと何年も探したが巡り会えず 古本屋で立ちすくむこともあ
ったのだった
わたしの魂を揺さぶる本、一生の指針となる一冊 それが欲しかったのだった
せのびして読んだ文学書哲学書思想書そして宗教書 「この一冊」はどこにあ
る? そう言ってもがいたのだった
2
しいなりんぞう(椎名麟三)がまずいたのだった 彼はドストエフスキーを教
えてくれもしたのだった
あしたを見ず過去の清算に己を注ぐ石原吉郎がいたのだった 彼は詩を教えて
くれたのだった
わかいキルケゴール、アウシュビッツから生還したフランクル 彼等はいのち
とどう向き合うかを教えてくれたのだった
せかいを愛でくるもうとしたサン・テグジュペリ みんなみんな『聖書』こそ
「決定的な一冊」だと、口をそろえてそう教えてくれたのだった
*椎名麟三……「深夜の酒宴」「懲役人の告発」など。
ドストエフスキー……「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」など。
石原吉郎……「石原吉郎詩集」など。
キルケゴール……「死に至る病」「不安の概念」など。
フランクル……「夜と霧」など。
サン・テグジュペリ……「星の王子様」など。
3
「私の聖書物語『初めての聖書』」に、十七歳で買った聖書のことを書きました(2022年4月16日)。
その後、わたしは魂の放浪を重ねたのです。文学作品、思想書、哲学書などを読みあさりながら。たくさんの本と出会いたい、一生のうちに何千、何万冊もの本を読みたい、という欲望ではありませんでした。そうではなく、「決定的な一冊」との出逢いを求めていたのです。
そして二十七歳の頃、聖書との二度目の出会いをもったのでした。一人の文学者が、もう一人の文学者を教えてくれる。そのひとは別の思想家を教えてくれる。―そんなガイドをしてもらいながら、何年もかかってとうとう聖書と再会したのでした。
出会えたと思ったひとたち、そのひとたちが最も大切にしていた本、それが『聖書』だったのです。
聖書は、わたしが見いだしたのでなく、聖書が辛抱強くわたしをさがし、ついに探し当ててくれた、そんなふうな出逢いだったと思っています。
●ご訪問ありがとうございます。
人生のふらつきが読書のふらつきである、というところが、私には今もあります。あの詩集を読んではこの方法、この歴史書を読んではこの視点など、フラフラです。
けれど毎朝読む聖書、この一冊があるからこそ、安心してふらついていられるのだろうと思います。