五歳、記憶の初め
1
そのときなぜ私は目を覚ましたのか。五歳の私は、母のかたわらで眠っていた、はずだった。
辺りはほの暗かった。オレンジの電球の色を覚えている。蛍光灯ではなく、金属製の小さな傘だけがついた電球だった。
私の頭の前に父が座り、私の横に母が起き上がっていた。
父が告げたことば、それが聞こえたようだった。―別れてくれ。そう言ったようだった。言いながら泣いていた、あるいは告げたあと泣いた、と思う。
母の声が聞こえた。何と言ったか、はっきりとは覚えていない。―泣いたってしょうがないでしょ。そんな言葉だったようだ。気丈な声に聞こえた。
私はそのとたん起き上がった。
母に言った。
―いっしょに、死のうね。
母は驚いた。私がいまの話を聞いていたこと、おそらくそれ以上に「死」を口にしたことに。
母はすぐ言った。―わかったよ、わかったから、さ、寝ようね。
私は素直にふとんにもぐった。ぼんやりとした電灯のオレンジ色のあかりが遠くなった。
そのあとの記憶はない。
2
私の記憶の最初が、あの場面、あのことばなのである。生まれてから五歳までの思い出話はのちに母から聞かされたが、実感はない(私たちの頃にはビデオはなかった。写真もほとんど撮られていなかった)。記憶は、あの夜から始まったのだ。
五歳の子どもが親の離婚話を耳にして「いっしょに、死のうね」と言った。なぜそんなことを言ったのか。「死」の意味がわかっていたわけではないだろうに。
その後幾度となく、なぜ私はあのときあんな言葉を口にしたのかと考えた。うすぐらいオレンジ色の電球のあかりを思い出しながら。
夫が浮気をした(実際は相手に断られ、浮気にまで至らなかったと、あとで知った)、夫婦別れを望んだ、あの晩妻に告げた、息子がその場面に居合わせた、という話である。ありふれた話だと思う。
離婚はいけないこと、決してしてはならないこと、―そう考えたのではないだろう。
けれど、私にとって、夫婦が別れることは家庭が崩れることだと、そう直感したのではないか。それ以上に、この世界に居場所がなくなる、生きる土台そのものがなくなってしまうと、そう感じ取ったのではないか。
その不安、あるいはその恐怖が、あの言葉になって出たのではないか。家庭が壊れるなら、世界に居場所がなくなるなら、生きていてもしかたがない、だから死んでしまおう、死が解決の道なのだ。―そんなことを、まだ言葉にできない頭で思いついたのではないか。
今はそう受け止めているのである。
夫婦はもろいものだ。家族はこわれものみたいだ。―そのような考えは思春期になって身に染みたが、もしかしたらこのときすでに、何か深いところで解ったことがあったのかもしれない、という思いもわく。
3
あのときの自分で不思議に思うことがまだある。
それは、なぜあのとき私は泣かなかったのか、ということである。
先日、妻と息子がふざけてからかいあったことがあった。親子としてお互いふざけて言いあっていた。だが、それを聞いていた、もうじき二歳になる孫がいきなり泣き出したのだ。喧嘩をしたと思ったらしい。彼は大声で、涙をぼろぼろこぼしながら激しく泣いた。泣きじゃくった。
妻と息子はすぐにふざけるのをやめて、彼を必死でなだめた。
が、しばらく泣き声は続き、涙が顔をぐちゅぐちゅにした。ふだんでも泣く声を耳にし、姿も見ているが、このときの泣き方は衝撃的だった。
孫は父と母とに愛されている。そして、彼も父と母とを愛している。嬉しいことに、婆と爺も存在を認めてくれている。
愛されている子どもは、愛する人が争う姿を見たら泣くのだ。―そのときわたしはそう思ったのだった。哀しみで心が張り裂けそうになるのだ。だから全身で泣き叫ぶのだ。
ひるがえって五歳の私はどうであったか。
母の私への愛は確かなものだったと思う。私の母への愛も確かなものだったと。だが、父の愛、そして父への愛はどうだったのか。これは今も答えが出ない。
ケンカしないで、つらいからもうやめて! そんな哀しみが、あのとき心をまるごと占めてしまっていたら、私は、「いっしょに、死のうね」などと言ったろうか。「やめて、やめて、やめて!」と泣き叫んだのではないか。あたりかまわず大声で。母にすがり、父にすがりしながら。必死で家庭の崩れるのを、世界から居場所が消えてしまうのを食い止めようとしたのではないか。
五歳のその子どもがいま目の前にいたら、抱きしめてやりたいな、という感傷的な気持ちになる。ごめんね、ごめんね。怖くないよ、大丈夫だからね、と。
●ご訪問ありがとうございます。
離婚はぜったいにいけないことと思っていません。さまざまな事情を抱えて離婚を決断する人がおられるでしょう。私の両親も、私が二十歳のときに離婚しました。母が、私の成人を待ってくれていたのだろうと思います。家庭は、あの夜に壊れたのですから。
わたしがここで書きたかったのは、親の事情と子どもの事情は決して同じものとは限らない、ということです。親もその生涯に落ちた影を見ながら生きていくかもしれません。そして子どもも、得体の知れない影を負って生きていくのだと思います。