ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

白金海軍弾薬専用軌道へのアプローチ2

「昨日の続きは今日の活力。」
相変わらず、あんたの書いていることは、なんのことやらわかりまへんなぁという人はさておきないで寝ていなさい。

昨日の検証は、白金海軍弾薬専用軌道には実は機関車は走っていないのではないかという疑問であった。
それは、ほぼ確信に近いものになってきているが、いま三つくらい検証をしたいのである。そのためには、手元にあるのは品川区の明治、大正、昭和の地図であるが、目黒駅までは掲載されているが、その先は載っていない。この地図を見るには目黒の図書館に行くしかないのである。この線路は、目黒弾薬庫があった大正時代まではあったらしいので、その時代の線路図があれば70mの橋の謎も機関車が走ったかどうかも判断がつくかもしれないのであるから、土曜日は、図書館通いをすることとしたいのである。目黒の図書館は、蔵書をインターネットでも検索できるのである。目的の本は八雲中央図書館にあるようである。ここは元の都立大学のあったところで、結構しゃれた建物になっていたが、ここに図書館があったとは知らんかったわね。
全国の謎を追い求めている中高年諸君!次のレポートは、土曜のココロだの予定だ。

コメント一覧

ほいほい
うううそっちへ行ったか
帝都地下都市説は種々あり、ワシも「帝都東京・隠された地下網の秘密」を読んだのだが、この地下都市構想は江戸時代からあったそうである。しかし、この白金はちょっとね。ここまでは手が及んでいないと思うがね。
最中
今日は五反田
市ヶ谷から子供の国までが直線で約27キロ。
件の弾薬庫とされる所までが役5キロチョイ。
池袋のサンシャインの下、概ね地下4階の深度に現存する秘密の発電所のポテンシャルからして、帝都のナロウ軌道の殆どは電力によって駆動されていたと推察するのが一番辻褄が合う。
しかし、5キロに満たない所に弾薬が貯蔵されていたとすると重火器用までが良い所で、砲弾や爆破用の火薬などが納められていたとは考え難い。
東京駅の不自然な地下ホームの構成や、皇居から浜離宮へ続くと言われる一直線の地下水道の存在説が、大本営と皇居、を中心に単純な配置を展開している。
地盤の悪い川洲である江東区は地下の構想から外れているのも容易に理解できよう。
海側からの上陸による攻撃を想定した場合、退路をどのように設定していたか、甲州街道と調布飛行場、その先にある昭和天皇の御陵の配置は考え過ぎであろうか。
どう見ても巨大な防空壕の集まりの様に見えるのは私だけであろうか。
明日は何とか飲まずに帰宅したい。



ほいほい
魑魅も分かってるね
そう、爆弾を運ぶのに火の出る機関車はいけませんね。ふむふむ。やはり、トロッコ軌道だったんんだろうか。これは、図書館のココロだね。
しかし、なんで昼飯がインスタントラーメンだって分かるのであろうか?
しかし、呑むのが仕事だね、最中は。
最中
火薬を機関車で運ぶ?
それも大本営のお膝元で?
「子供の国線は田奈弾薬庫へ弾薬を運ぶ軍用線でした。」っと言われているように、暴発にはとても神経を使っていたはずですよ。
土日は雨。八雲中央図書館からは最中バスが鳥新まで出ている。お昼のインスタントラーメンを食べてから図書館で資料を集め、2時35分に最中バスに乗れば、3時の口開けに間に合う。
2時間ほど検証しても6時には塒に着ける。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「鉄チャン喫茶室」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事