その間に撮影した写真は170枚、新発見が内川の支流と都営地下鉄のトンネル、謎の砂浜など地理学や経済学にも大影響をあたえるであろうと思われる艱難辛苦の探検であった。内川大奇行の始まりである。あまりにも膨大な資料に囲まれ、我々研究室のスタッフは帰国してからもまだ資料の整理作業に追われている。そのため、これから数回に渡り、数々の謎を解いて皆様に紹介していく予定である。
今日は、プロローグとしてその中からボラの子の鵜という現代の内川に戻りつつある自然のさわりを紹介する。
汽水域(海水と真水の混ざるエリア)で生活するボラは、成長すると90cmを越す大魚となる。スズキやブリと同じ出世魚。オボコ、イナッコ、スパシリ、イナ、ボラ、トドと成長し、トドのつまりの語源となっている。食欲は旺盛であり動くモノなら何にでも口を出す。その子供達、つまりオボコと呼ばれる時期の幼魚たちは、大田区の新井宿付近の東海道線ガードのところから内川がようやく暗渠から脱出し、陽の下に顔を出すあたりに大量に集まり、きれいになった水が陽によって温もる水面近くに発生するプランクトンを食べているのであろうか。数センチの小さな体が身を寄せ合いながら、下流に広がる海に想いを馳せることなく今はただ体を大きくすることに一生懸命なのであろう。その姿は、見るものに懐かしい愛くるしい想いを抱かせるのである。
さらに内川を下ること約2km。もう海が目と鼻の先になるというきれいに整備された河川公園の川を悠々と鵜が泳いでいた。鵜は、今年になって上流の方でも見られるようになってきている。内川では、鵜が澄んだ水に潜りながら餌を追う姿が高くなった岸から眺められることとなったのだ。自然はこのように私たちが意識し自然を「作る」ということをすれば、それが最初は人工的なものであっても、自然の方が「自然に戻す」ものなのである。鵜の飛来する少し前には50cmクラスのボラが静かに下流を目指して泳いでいた。
次回は、いよいよ内川の謎の全貌を一つずつ源流側から紐解いていく。
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赤羽西口
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