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ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

内川大奇行第一回(源流はいづこ)

 七世紀、あの玄奘三蔵がかのシルクロードの地を歩いてからはるか時がたつが、立会川と呑川に挟まれた馬込地区は、かつては農業の地であった。台地を雨が削り川を作り、人がそこに種を蒔き田や畑に変えてきた。内川もこの馬込の地を源流とする。
 明治、大正と内川沿いは田として開墾され、川は用水として生き延びてきたのであるが、源流の遺構が残っているのは現在の環七の品川区側・大田区北馬込の金光山宋福寺裏を少し下ったあたりにかつての川を暗渠にした道が残っている(写真)。しかし、環七そのものを長原方面に向かい、夫婦坂と言われる坂のほうにも川の痕跡が地図の等高線に見てとれ、ここを源流ということは現在でも議論が分かれる。明治、大正の古地図では、どちらにも明確な川の跡は記入されておらず、解明には環七発掘を待たなければならない。当研究室スタッフとしては、当面は遺構の残っている北馬込を源流と仮認定することとし、解明は環七発掘が可能となる後生の研究者にゆだねることとしたい。
 さて、ここから内川を巡る細く短い我々の旅が始まった。この先にいかなる発見があるのか、埋もれた過去を現代の視点から探る旅である。
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