台風一過の2018年の9月6日木曜日午前3時過ぎに、最大震度7の地震が北海道を襲う。
その時は家族3人で寝ていたのだけれども、「グラグラグラガタガタガタガタ!!」との揺れで飛び起きた。
妻と子を集め、ひとまず子供を真ん中に円陣、幸い倒れるもの、落ちてくるものもなく揺れをやり過ごす。
その後すぐにテレビで状況確認。
飛び起きた割には揺れそのものは大したことがない印象だったので、札幌震度4というのを見てほうほうと頷いていた。
この時は最大震度6と発表されていた。
横で妻が「あ、地鳴り」と言った瞬間弱めの余震。
その後程なくして停電。
真っ暗ではあったけれども、スマホの明かりを頼りに大光量LEDライトを物置に取りに行く。
こいつのおかげで部屋内は明るく照らされ、特に不自由なく会話もできた。
当時スマホが普通に使えていたので札幌の被害は大したことがないと思っていた。
子供は7ヶ月なので、いつも豆電球を着けていた寝室が暗闇になりしばらく愚図っていたけれども程なく寝てくれた。
9月6日(木)
朝は晴れ。
早朝両親の電話で起きる。
停電で水が出ないから汲ませてほしいとのこと。
程なくやってきて水を持って帰っていった。
そのときに、「午後から断水らしいから水を溜めていたほうが良い」と情報をもらう。
(↑結果的にこの話はデマだったが、水を備えさせるためには効果的だった)
窓からは人の行き来が見え、普段と変わらないように思えたが未だ停電。
朝食は妻のサンドイッチ。
冷蔵庫がだめだったので悪くなりそうなキュウリやピーマン。
これが爽やかで美味しかった!
食事後近隣の様子を伺いに自転車でパトロール。
思ったより停電の影響がありコンビニは半数が閉店。
ドラッグストアには開店前に長蛇の列。
タイミングよく開店直後のコンビニに入れた。
いくつか食料と水を手に入れることができたが、電卓での手打ち計算だったのでかなりの時間がかかった。
帰宅後職場の様子が気になり職場へ移動。
職場は少しの被害があったが概ね平気だった。
ブレーカーを落として帰宅。
帰宅したと思ったらお向かいさんが停電でラジオが聞けない、情報が分からないとのこと。
ラジカセを持っていたが単2が8本…
再び近場を回ったが、朝にはあった電池がまるっきりなくなっていた。
仕方がないので持っていたiPadnanoがラジオを聞けたのでお向かいさんにレンタルした。
その5分後、お向かいさんが「電気戻ってる!?うちの電気が点いたのよ!」と。
どうやら札幌でも病院の近い地域だったので早めに復旧したらしい。
ひとまず良かった良かったと帰宅するも、テレビの受信ができない状態は変わらなかった。
引き続き携帯ラジオの活躍。
夜まで電気のあるありがたさを感じながら乳児のお風呂も入ることが出来た。
ふと夜になってからDSでワンセグを見ることができるのを思い出した。
試しに点けてみるとキレイにテレビを見ることが出来、やっと映像で被害状況を確認できた。
妻と二人で衝撃を受けた。
仕事がらみのメールのやりとりや、友人との情報交換に使えていたスマホも、回線状態が昼過ぎから悪くなっていたが、日没付近にはほぼ使えない状態に。
稀にメールを受信するので、「見通しの良い場所であればあるいは…」と、両親のマンションを思い出す。
考えてみれば未だ停電しているはずなので、情報も得づらいだろうと古いワンセグ搭載スマホと飲水を持ち自転車で移動。
停電区域に入った瞬間からの闇はなかなかの恐怖で、皆ライトを持っているので歩いている人はすべてシルエットでしか分からないのと、服装容姿がわからないので皆悪い人にみえてくる。
コンビニ前は灰皿付近に人がいるけども、これまたたむろしている若者に見えるし、変な疑心暗鬼に陥りそう。
これだけの闇であれば良からぬことを考える輩もいるだろうなと考えながら実家に到着。
非常階段から登り、両親に物資を渡し、案の定ベランダからは通信状態が改善、各種連絡事項を無事送信。
あれこれと不測の事態の確認を両親と行い、再び闇の中へ。
普段見えない街中からの星空を眺めながら無事に帰宅。
帰宅後はDSテレビで情報を見つつ、多少お酒を飲んで就寝。
9月7日(金)
天候は曇り
朝テレビを付けると放送を受信できた。
ネット回線も復旧し、PC、スマホ、タブレット等情報端末すべてが復旧した。
そしてこの日は朝通常通り仕事場に。
道中コンビニやドラッグストアの様子を伺いつつ自転車で職場へ。
店内はお酒とおつまみ、雑誌とタバコくらいしか商品がなかった。
この日、通常であれば夜9時までの予定だったけれども、早めにの6時に閉めることにした。
意外にも人が集まり、あれこれと情報交換。
中央区の人が多かったが、北区からも人が来た。
北区では揺れが大きく机の引き出しが全部出てきたそうだ。
電気の復旧もまだなので充電させてほしいと。
清田区の人からは連絡があり「中央区までの道中、国道の信号も大部分が消えていたが中央区に入ったと同時に信号が点灯していた」らしい。
結局午後6時に職場を後にして、少し遠回りをして近場のガソリンスタンドを確認した。
開いているスタンドは数百メートルに渡り行列、遠目に空いているのかと思われたスタンドは営業していなかった。
近々に車が必要なわけではないのでガソリンは後回しにすることにして帰宅。
子供のお風呂や晩ごはんを食べながら、テレビで情報を得つつ、とはいえ同じ情報の繰り返しなので録画番組を見ていた。
徐々に復旧しているとの連絡が友人知人から入り、ひとまずの安堵感を得る。
日中職場にヤマト運輸の宅配が来たことからも物流が徐々に復旧しているのを感じていたので、数日以内にはあれこれと普段どおりになっていくのかな?と楽観的になっていた。
発生から1週間は強い揺れに注意とのことなので、まだ気は抜けないけれどもひとまず、少なくとも自分と身近な親族は概ね通常通りに近い生活に戻った。
我が家はちょっとした不便さがあったくらいで大きな被害には会っていないけれども、もうしばらく気を抜かないようにしていこうと思う。
地震と停電でありがたかった物や事
スマホ
モバイルバッテリー
シガーソケット充電器
自転車
現金
携帯ラジオ
大光量LEDライト
ワンセグ端末
保冷剤
備蓄食料・水(被災時に食料を求めて長蛇の列に並ばないため)
それらを普段備えておく事(キャンプで役立つものなのでアウトドア活動推奨)
客観的な正しい情報とそのヒントをくれた被災地外の友人達
そして家族
地震と停電で注意しようと思った物や事
子供の生活必需品(オムツ、粉ミルクなど)の備え
ガソリンは満タンを基本に、半分になったら給油(明日入れようではなく、そう思った時に入れる)
被災者間の噂や不確かな情報とデマ(その本人が体験した一次資料のみ可)
夜間の疑心暗鬼に陥りそうな暗闇(外出しない。どうしても必要なときは大きめの見通しの良い通りを使う)
今回は停電だけだったので、電気関係の備えが主だけれど、水道やガスに関してもやはりアウトドアにて普段から遊びの一つとして道具を揃えておくと憂いが少ないと感じた。
事実、もしもガスが止まった時の備え、水道が止まった時の備えもある程度出来ていたし、もしも真冬であった場合の備えも出来ていた。
そういう意味では思いの外備えがあったので、もしも物資が足りない時でも効率的に動けたのではないかと思う。
最後に、今回我々の家は、幸いなことに倒壊やライフラインの寸断(停電はあったが)などがなく、さらに復旧がかなり早かったのでサバイバルとまではいかなかったのでかなり助かったけれども、周りの人を見ると備えをしていなかった事による狭量を少なからず目のあたりにした。
日々の生活の中で楽しみながら備える事のできる環境にある日常こそ、非常時の心の余裕につながるのだなと再確認できた一件であった。
その時は家族3人で寝ていたのだけれども、「グラグラグラガタガタガタガタ!!」との揺れで飛び起きた。
妻と子を集め、ひとまず子供を真ん中に円陣、幸い倒れるもの、落ちてくるものもなく揺れをやり過ごす。
その後すぐにテレビで状況確認。
飛び起きた割には揺れそのものは大したことがない印象だったので、札幌震度4というのを見てほうほうと頷いていた。
この時は最大震度6と発表されていた。
横で妻が「あ、地鳴り」と言った瞬間弱めの余震。
その後程なくして停電。
真っ暗ではあったけれども、スマホの明かりを頼りに大光量LEDライトを物置に取りに行く。
こいつのおかげで部屋内は明るく照らされ、特に不自由なく会話もできた。
当時スマホが普通に使えていたので札幌の被害は大したことがないと思っていた。
子供は7ヶ月なので、いつも豆電球を着けていた寝室が暗闇になりしばらく愚図っていたけれども程なく寝てくれた。
9月6日(木)
朝は晴れ。
早朝両親の電話で起きる。
停電で水が出ないから汲ませてほしいとのこと。
程なくやってきて水を持って帰っていった。
そのときに、「午後から断水らしいから水を溜めていたほうが良い」と情報をもらう。
(↑結果的にこの話はデマだったが、水を備えさせるためには効果的だった)
窓からは人の行き来が見え、普段と変わらないように思えたが未だ停電。
朝食は妻のサンドイッチ。
冷蔵庫がだめだったので悪くなりそうなキュウリやピーマン。
これが爽やかで美味しかった!
食事後近隣の様子を伺いに自転車でパトロール。
思ったより停電の影響がありコンビニは半数が閉店。
ドラッグストアには開店前に長蛇の列。
タイミングよく開店直後のコンビニに入れた。
いくつか食料と水を手に入れることができたが、電卓での手打ち計算だったのでかなりの時間がかかった。
帰宅後職場の様子が気になり職場へ移動。
職場は少しの被害があったが概ね平気だった。
ブレーカーを落として帰宅。
帰宅したと思ったらお向かいさんが停電でラジオが聞けない、情報が分からないとのこと。
ラジカセを持っていたが単2が8本…
再び近場を回ったが、朝にはあった電池がまるっきりなくなっていた。
仕方がないので持っていたiPadnanoがラジオを聞けたのでお向かいさんにレンタルした。
その5分後、お向かいさんが「電気戻ってる!?うちの電気が点いたのよ!」と。
どうやら札幌でも病院の近い地域だったので早めに復旧したらしい。
ひとまず良かった良かったと帰宅するも、テレビの受信ができない状態は変わらなかった。
引き続き携帯ラジオの活躍。
夜まで電気のあるありがたさを感じながら乳児のお風呂も入ることが出来た。
ふと夜になってからDSでワンセグを見ることができるのを思い出した。
試しに点けてみるとキレイにテレビを見ることが出来、やっと映像で被害状況を確認できた。
妻と二人で衝撃を受けた。
仕事がらみのメールのやりとりや、友人との情報交換に使えていたスマホも、回線状態が昼過ぎから悪くなっていたが、日没付近にはほぼ使えない状態に。
稀にメールを受信するので、「見通しの良い場所であればあるいは…」と、両親のマンションを思い出す。
考えてみれば未だ停電しているはずなので、情報も得づらいだろうと古いワンセグ搭載スマホと飲水を持ち自転車で移動。
停電区域に入った瞬間からの闇はなかなかの恐怖で、皆ライトを持っているので歩いている人はすべてシルエットでしか分からないのと、服装容姿がわからないので皆悪い人にみえてくる。
コンビニ前は灰皿付近に人がいるけども、これまたたむろしている若者に見えるし、変な疑心暗鬼に陥りそう。
これだけの闇であれば良からぬことを考える輩もいるだろうなと考えながら実家に到着。
非常階段から登り、両親に物資を渡し、案の定ベランダからは通信状態が改善、各種連絡事項を無事送信。
あれこれと不測の事態の確認を両親と行い、再び闇の中へ。
普段見えない街中からの星空を眺めながら無事に帰宅。
帰宅後はDSテレビで情報を見つつ、多少お酒を飲んで就寝。
9月7日(金)
天候は曇り
朝テレビを付けると放送を受信できた。
ネット回線も復旧し、PC、スマホ、タブレット等情報端末すべてが復旧した。
そしてこの日は朝通常通り仕事場に。
道中コンビニやドラッグストアの様子を伺いつつ自転車で職場へ。
店内はお酒とおつまみ、雑誌とタバコくらいしか商品がなかった。
この日、通常であれば夜9時までの予定だったけれども、早めにの6時に閉めることにした。
意外にも人が集まり、あれこれと情報交換。
中央区の人が多かったが、北区からも人が来た。
北区では揺れが大きく机の引き出しが全部出てきたそうだ。
電気の復旧もまだなので充電させてほしいと。
清田区の人からは連絡があり「中央区までの道中、国道の信号も大部分が消えていたが中央区に入ったと同時に信号が点灯していた」らしい。
結局午後6時に職場を後にして、少し遠回りをして近場のガソリンスタンドを確認した。
開いているスタンドは数百メートルに渡り行列、遠目に空いているのかと思われたスタンドは営業していなかった。
近々に車が必要なわけではないのでガソリンは後回しにすることにして帰宅。
子供のお風呂や晩ごはんを食べながら、テレビで情報を得つつ、とはいえ同じ情報の繰り返しなので録画番組を見ていた。
徐々に復旧しているとの連絡が友人知人から入り、ひとまずの安堵感を得る。
日中職場にヤマト運輸の宅配が来たことからも物流が徐々に復旧しているのを感じていたので、数日以内にはあれこれと普段どおりになっていくのかな?と楽観的になっていた。
発生から1週間は強い揺れに注意とのことなので、まだ気は抜けないけれどもひとまず、少なくとも自分と身近な親族は概ね通常通りに近い生活に戻った。
我が家はちょっとした不便さがあったくらいで大きな被害には会っていないけれども、もうしばらく気を抜かないようにしていこうと思う。
地震と停電でありがたかった物や事
スマホ
モバイルバッテリー
シガーソケット充電器
自転車
現金
携帯ラジオ
大光量LEDライト
ワンセグ端末
保冷剤
備蓄食料・水(被災時に食料を求めて長蛇の列に並ばないため)
それらを普段備えておく事(キャンプで役立つものなのでアウトドア活動推奨)
客観的な正しい情報とそのヒントをくれた被災地外の友人達
そして家族
地震と停電で注意しようと思った物や事
子供の生活必需品(オムツ、粉ミルクなど)の備え
ガソリンは満タンを基本に、半分になったら給油(明日入れようではなく、そう思った時に入れる)
被災者間の噂や不確かな情報とデマ(その本人が体験した一次資料のみ可)
夜間の疑心暗鬼に陥りそうな暗闇(外出しない。どうしても必要なときは大きめの見通しの良い通りを使う)
今回は停電だけだったので、電気関係の備えが主だけれど、水道やガスに関してもやはりアウトドアにて普段から遊びの一つとして道具を揃えておくと憂いが少ないと感じた。
事実、もしもガスが止まった時の備え、水道が止まった時の備えもある程度出来ていたし、もしも真冬であった場合の備えも出来ていた。
そういう意味では思いの外備えがあったので、もしも物資が足りない時でも効率的に動けたのではないかと思う。
最後に、今回我々の家は、幸いなことに倒壊やライフラインの寸断(停電はあったが)などがなく、さらに復旧がかなり早かったのでサバイバルとまではいかなかったのでかなり助かったけれども、周りの人を見ると備えをしていなかった事による狭量を少なからず目のあたりにした。
日々の生活の中で楽しみながら備える事のできる環境にある日常こそ、非常時の心の余裕につながるのだなと再確認できた一件であった。
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