信越支部 小池 久季さんの地元自慢
松本城天守 と 安楽寺八角三重塔
○松本城天守(松本市)
永正元年(1504年)築城。現存する五重六階の天守の中で日本最古の城です。松本城天守群は、大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の五棟で形成(連結)され、標高590mの松本盆地に位置し、平地に築かれた平城です。大天守、乾小天守、渡櫓は戦国時代末期に築造され、江戸の家康を監視する役目及び戦いを想定した作りとなっており、鉄砲狭間や矢狭間の小さな窓が115ヶ所、一階壁面の一部を外に張り出してその床面を開け蓋にした石落しを11ヶ所設けています。それから40年後の江戸時代初期の平和になった時代に戦う備えをほとんどもたない辰巳附櫓、月見櫓の
二棟が建てられました。戦国時代と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一で、松本城の歴史的な特徴のひとつです。
松本城は女鳥羽川(めとばがわ)や薄川(すすきがわ)により形成された扇状地の端にあたる場所に築造されています。天守の建てられた地盤は、扇状地の扇端の柔らかなところです。その上に1,000トンの重量がある大天守を築造するために、次のような先人の知恵が隠されています。
(1)16本の土台支持柱
天守台石垣内部に直径約39Cm、長さ約5mの栂の木の丸太が埋め込まれ、土台に接続されて天守の重さを受け止め、その重みを均等に地面に伝える役割を果たしていました。
(2)筏地形と土留めの杭
堀底に、石垣面に対して直角に直径約12Cm、長さ約3mの栂の丸太が約50Cm感覚で筏のように並べられ、一番外側の石が積まれる下には、石垣に並行して横に丸太が並べられ、その前に並べた丸太止め杭が打ち込まれていました。石垣が沈まないようにするための筏地形(いかだじぎょう)という先人の知恵です。
○安楽寺八角三重塔(上田市)
13世紀末(1290年代)建立。
長野県上田市の中心部より、南西の別所温泉にかけて広がる塩田平は信州の鎌倉と称されています。中でも信州で初めて建てられた禅寺である安楽寺には、日本に現存する唯一の木造八角塔である八角三重塔が残っており、国宝に指定されています。
八角三重塔は、その名の通り八角形の屋根を持つ三重塔です。高さは約19mでこけら葺きです。三重塔ですが、まるで四重の屋根を持つような外観です。それは初重に巨大な裳階(もこし)が付けられているためです。裳階は建築構造的には屋根ではなく、庇にあたります。建築様式は禅宗様(唐様ともいう)で中国から伝わった寺院建築の様式です。この塔では、放射線状に並べられた垂木(たるき)や、軒を支える組物が柱の間にもびっしり詰められている詰組(つめぐみ)、初重上部の弓欄間(ゆみらんま)や、各層に設けられた連子窓(れんじまど)など、随所に禅宗様の特徴を見ることができます。
塔の内部も禅宗様の様式に則って作られています。初層内部には八本の丸柱が建てられており、それらは上層まで達して建物を支えています。この八角三重塔は、外部も内部もその細部に至るまで、禅宗様を忠実に守って建てられています。このような禅宗様の塔は、日本ではこの安楽寺三重塔の他には存在しません。
国宝建造物に興味のある方は、ぜひ信越に起こしください。
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