精神とは何か、身体とは何か、と個別に自分に問いただすとき、この考えること自体が精神の働きであると思うと非常な矛盾を感じる。あたかも、荘子が言語を使って言語を否定するがごとく。また、止まらぬ時間の中で時間のことを考えるがごとく。それでもなおかつ精神、身体とはなにか、または、それらをクロスオーバーしているなにかがあるのではないかと問うと、どうであろうか。その答えは数学の答えのように出ないだろうが、また出ないと信じているが、講義の内容などを参考にして、自分は何のために生きているのか、ということの少しでも理由づけを見つけるためにも「精神と身体」について考えたいと思う。
講義の中で、「知識をとり入れることは、そこで何かを失うことにならないか。」と先生は言われたことがあった。今、僕ー現代っ子の一人ーは、一生懸命に知識を取り入れようとする。それは、知識の向上がいわば自分自身の精神の向上につながると思うからである。
講義の中で、「知識をとり入れることは、そこで何かを失うことにならないか。」と先生は言われたことがあった。今、僕ー現代っ子の一人ーは、一生懸命に知識を取り入れようとする。それは、知識の向上がいわば自分自身の精神の向上につながると思うからである。