今日もサイクリング。
赤磐→桜が丘団地→熊山→和気→佐伯→赤坂→砂川沿い→赤磐の、周回コース55キロ。
途中で現代詩人・永瀬清子の生家で休憩。「江戸末期から明治初期に建てられた町家建築」らしい。NPO法人永瀬清子生家保存会のホームページには次のような説明がある。
「中世の山陽道に向かって総ケヤキ造りの出格子を持つ木造2階建ての家屋」の土間には、「四半敷き」と呼ばれるレンガが敷かれている。また、「日蓮宗不受布施派の隠し寺との伝承もあり、実際に天井裏に隠し部屋(座敷)も存在し、当時禁教であった日蓮宗不受布施派の僧侶を匿うための隠し部屋」があった。
そうか、中世の山陽道は熊山で北上して、赤磐に入っていたのだ。
今日ワシらが走ったのは、古代山陽道から中世山陽道。駅ひとつぶん、西から東へ走ったことになる。
どおりで、詩人の家のすぐ近くには和気清麻呂の墳墓があった。
また「隠し寺」と説明されている日蓮宗不受布施派は、豊臣秀吉の主催で行われた千僧供養会への誘いを断った僧侶・日奥を派祖として、他宗派からの布施を受け取らない立場を貫いた日蓮宗の一派である。岡山の御津金川にある妙覚寺はこの日蓮宗不受不施派の祖山である。江戸時代になると、不受布施の考え方そのものが禁教とされ、強い弾圧を受ける。生活に必要な飲み水も、全て施しであるとされ他所から分けてもらえなかった。それで庭の横にあった古井戸が、なんとなく気になった。
水が分けてもらえないなら、自分たちで掘って井戸水を飲むしかない‥‥この井戸を隠すように街道の側だけを囲っている、りっぱな瓦屋根と洗い場の岩石のたたずまいは、人々がこの井戸を特別なものとして大切にしてきたことを物語っている‥‥そんなふうに考えるのは考えすぎだろうか。
詩人の家は今、クラウドファンディング→現代詩の母、永瀬清子。その生家を改修し"詩作の聖地"へ。(NPO法人永瀬清子生家保存会 2020/02/03 公開) - クラウドファンディング READYFORで、関係者の方々によってきれいに改装されている。
ワシらは、中世山陽道をさらに西へ、吉井川を渡り、昼ご飯は、和気で、セルフうどん。
午後は片上鉄道廃線敷を利用した「片鉄ロマン街道」を、吉井川沿いに北上し、佐伯峠を越えて赤坂にでて砂川沿いの土手を南下した。
2日連続で自転車60キロ、いい運動になった。