『ギャグギゲギョ』終了後、「少年キング」では、間を置くことなく、赤塚の新連載漫画が、引き続きスタートする。
土の中に埋まって眠るパイナップルのような風貌の中年男・オッチャンと、水中で眠る習性を持ち、池の中を棲みかとするカエルに似た少年・ボッチャンの怪人怪童コンビを主人公に迎えた『オッチャン』(74年39号~45号、47号~75年37号)という作品である。
オッチャン、ボッチャンは、親子ではなく、大人と子供の親友同士で、二人とも尋常ではないくらい好奇心旺盛。何か面白いことはないかと、常に大きな目玉を光らせ、街を徘徊している。
そんな二人が、毎回彼らの前に現れるエキセントリックな異分子らを巻き込み、その生来のテンションの高さと飽くなき野次馬根性から、馬鹿騒ぎを巻き起こしては、街中をシッチャカメッチャカにする、スラップスティックと鳥滸の笑いのミクスチャーが印象的な珍作中の珍作だ。
しかし、そうしたドタバタ劇を主としながらも、全体的に索漠とした要素は極めて少なく、読者を何処かメルヘンティックな夢想空間へと誘ってゆく、ファンタジー漫画的な度合いを強めたエピソードがその大半を占めている。
赤塚ファンの間では、時折『オッチャン』を『天才バカボン』と同一の地平に向き合った作品であることを指摘する声が上がる。
オッチャンとボッチャンのコンビを、バカボン親子との因果性に基づく構造的本質、即ち同筆の法則原理を併せ持つもう一つのキャラクターとしての印象を抱いているのは、筆者も同じである。
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『天才バカボン』の連載が企画された際、赤塚は、主人公に据えた凸凹コンビが幸福の世界をさ迷う放浪物のプランを考えていたというが、『オッチャン』では、そうした残留思念が形を変えて具象化し、本作に統合したと捉えても差し支えはないだろう。
そして、オッチャン、ボッチャンコンビが街中で出会う奇々怪々なキャラクター達と繰り広げるズレと衝突のドラマもまた、バカボンのパパとバカ大の先輩後輩が巻き起こすナンセンス劇と同じ構造特性に連動するものであることも、重ねて追記しておこう。
そもそも、毎回種々雑多なフリークス達の登場が事件の発端となるその遊戯性は、バカ大生がゲストとして参加し、ナンセンス度をヒートアップさせつつあった中期以降の『バカボン』の持ち味となる、非日常に彩られた祝祭性と軌を一にする等質を孕んだものだ。
とはいえ、『オッチャン』に登場する奇怪なゲストキャラ達の言動は、ストーリーにメルヘンティックな寓話性を宿しつつも、バカ大の先輩後輩さえも凌駕する覚醒と狂操を包含しており、彼らの暴走が、『バカボン』のカオス的世界観以上に、現実的秩序との因果関係を解き放つフリーダムで、ちょっぴり歪な笑いを掬い上げてゆくのだ。
中でも、ザクトにサンポール、グラスター、カネヨクレンザーと、様々 な中性洗剤で歯を磨き、歯の光沢が放つ強烈な光で、自衛隊の戦車や戦闘機すらも蹴散らし、街を制圧する大男と、正義のために立ち上がったオッチャンとの死闘を描いた「恐怖のギンギラ人間」(74年49号)や、台風の季節になると、矢のように飛んでしまうガリガリの痩せ男が、必死で肥えようとするものの、胃袋が頭の中にあるため、顔だけアドバルーンのように膨れ上がり、その窮余の策として、自らが気象衛星となって台風を観測する「台風ときた風船男」(75年41号)などは、漫画表現における抽象の具現化を極限までデフォルメした、センス・オブ・ワンダーに満ちた怪作であり、それらアバンギャルドな着想は、キュビズムの自由増殖がもたらすデペイズマン的空間と同等のインパクトを放っている。
元々、「キング」掲載の諸作品は、『バカボン』や『おそ松』、『ア太郎』といった代表的な赤塚漫画とは趣を異にする、より自由度の高い作風を全般的に際立たせていたが、特にこの『オッチャン』は、そうした独特のオートマティスムが最もクリアな形で顕在化しており、数ある赤塚ギャグの中でも、『レッツラゴン』と並んで、笑いの極北に位置する異類譚と言えなくもない。
このように、『オッチャン』は、当初考えていた『バカボン』の骨組みを磐石に置きながらも、ドラマトゥルギーを組み換えることで、新たなギャグの地平へと辿り着いた稀有な好事例でもあるのだ。
因みに、この正体不明のオッチャンだが、その過去が白日のもとに晒されたエピソードが、連載中盤に描かれている。
「恐怖のモーレツ会社」(75年10号)と題された一編がそれで、オッチャンは、かつて、大工場を経営していた大社長という設定だ。
記憶を喪失し、ボッチャンと共に暮らすようになったオッチャンだが、ある時、過去の記憶が甦り、自ら経営している工場へと向かう。
だが、工場は、悪辣な人間らに経営権が譲渡されており、従業員達はみな、安い賃金でコキ使われていた。
オッチャンは、先頭に立ち、従業員達と工場奪還のクーデターを起こす。
そして、現経営者らを追放し、再び元の明るい職場に戻ると、オッチャンは、またしても記憶を失い、ボッチャンのもとへと帰ってゆく……。
ドラマの論理的整合性をも堀り崩す、不合理な白昼夢が渦巻くその世界観において、一服の清涼剤として、読む者の心を綻ばせてくれる名編の一つだ。
『オッチャン』は、約一年の連載で一旦最終回を迎えるものの、読者の熱烈なラブコールに応え、連載終了から一ヶ月後、『オッチャンPARTⅡ』(75年27号~76年19号)と改題され、再開の運びとなる。
『オッチャン』、『オッチャンPARTⅡ』、ともに換算し、丸二年に渡って連載され、その間、頻繁にカラーページで掲載されるなど、大きなヒットには至らなかったが、「少年キング」読者からは、それなりの愛顧を得ていたようだ。