ブレイクスルーは突然訪れた。
1961年頃より、単発の読み切りを何本か執筆していた「週刊少年サンデー」編集部から、四話連続の連載作品の依頼が、赤塚のもとに舞うようにして入ってきたのだ。
この時既に赤塚は、ナンセンスとスラップスティックという二つのコンセプションから共通する特性を論理的に抽出し、双方のエッセンスを有機的に連環させることで、ギャグ作家としての自己同一性を確立しつつあった。
そんな赤塚が、更なる先鋭化を掲げ、唱道した作風のスタイルは、これまでの生活ギャグ漫画のテリトリーを越えた、徹底したナンセンスによる痛烈な社会諷刺と、その根底に流れる洒落たヒューマンなドラマを、矢継ぎ早且つリズミックなテンポの中で展開させ、笑いのオブラートに包んで再構築することにあった。
ギャグ熱が一向に高まらずにいる児童漫画界において、それは無駄な足掻きとも言える試みであったが、どうせ四回限りの連載ならば、この際、自分が本当に描きたい漫画を徹底して描いてやろうと赤塚は考えた。
実はそこに、周到な計算があったという。
1962年当時、高度経済成長の真っ只中にありながらも、日本の核家族率が急激に上昇し、少子化が叫ばれるようになった最初の時代でもあった。
子供の数が、戦前、戦後間もなくの頃に比べ、格段に減少しただけではなく、高度経済成長の恩恵を受け、物質的に恵まれることによるその悪影響が、子供達の生活や習慣にも顕著に表れ始めたのだ。
甘やかされて育ち、堪え性に欠け、逞しさを失った子供、連日の塾通いにより、子供らしい夢をも失い、現実の中でもがき苦しんでいる、所謂「現代っ子」と呼ばれる児童が増加し、赤塚が少年だった頃とは、比較にならないほど、子供達の肉体と精神は脆弱化してゆく……。
そんな時代背景もあり、現実に無力感を募らした現代っ子の鬱勃とする負の感情を浄化するかのような、バイタリティーに溢れた子供達が賑やかに暴れまわる作品を描こうと考えついたのは、至極当然のことであったと言えるだろう。
そのヒントとなったのが、『1ダースなら安くなる』(監督・ウォルター・ラング)という十一人の子沢山家族を主人公にしたファミリーコメディーだ。
当初のアイデアでは、十二人を主人公とした作品を考えていたが、それだけの数の登場人物ともなると、映画のスクリーンならともかく、とても漫画の小さなコマには収まりきらない。
そのため、半分の六人に落ち着いたという。
だが、それだけでは、セールスポイントがない。
そこで思い付いたのが、主人公を六つ子にして、六人の顔を全員統一することであった。
これは、結婚したばかりの登茂子夫人が「いっそのこと、同じ顔の子が1ダースいたらどうかしら?」と、ヒントを与えてくれたことによって生まれた設定だ。
タイトルは、瞬間的な閃きから『おそ松くん』に決定。
六つ子の兄弟を、おそ松以下、チョロ松、カラ松、トド松、一松、十四松と、思い付くままに命名した。
第一回のストーリーは、双子の空き巣が、父母の留守中、六つ子の住む家に忍び込み、姿かたちの見分けが付かない六つ子と遭遇することで巻き起こるチグハグな珍騒動を、ドラマの要として描くことに決めた。
両親さえも、区別が付かない同じ顔をした六人の男の子、このワンアイデアだけでも、従来のユーモア漫画の規範を乗り越え、読者を日常の空間から異界の領域へと導く画期的な笑いを繰り出してゆくのだが、その設定を赤塚から聞いた編集部は、当初、大いに難色を示していたという。
だが、編集部の不安は杞憂に終わり、『おそ松くん』は、「サンデー」1962年16号に初掲載されるやいなや、読者の人気と注目を一身に浴びるだけではなく、未だかつてない全く新しいスタイルを意匠とするギャグ漫画として、漫画業界に大きな衝撃を与えることになる。
好調なスタートダッシュを飾った『おそ松くん』は、四回の筈の掲載が二〇回、三〇回と連載回数を伸ばし、短期間のうちに「サンデー」の顔ともいうべき名タイトルへと成長を遂げた。
コミカルなアクションとオフビートのテンポを重視した『おそ松くん』の作劇スタイルは、話数を重ねるごとに、様々なギャグの鋳型を作り出し、不可思議な発想から紡がれたナンセンスな笑いの渦へと、加速度的に突入してゆく。
因みに、『おそ松くん』で描けなかった1ダースの子供が活躍するプロットは、没にはし難く、同じ年に「たのしい五年生」に連載にされた『オーちゃんと11人のなかま』(62年4月号~63年3月号)でお披露目される。
『おそ松くん』のような新たな笑いの類型提起となるインディビジュアリティーはないが、明るく健全な性格付けがなされた子供達を主人公に据えた本シリーズは、日常で直面する様々な問題に、持ち前のフェア精神と汚れなきバイタリティーで向き合い、解決してゆく彼らの姿勢が、読者の共感性を高めるハートフルなユーモアを纏いながら綴られており、その情操的な教訓性が付与された明快なテーマからも、赤塚の子供に対する深い慈しみの心が余すところなく伝わってくる。
尚、タイトルは、フランク・シナトラ&ディーン・マーティン、ダブル主演による痛快ギャング映画『オーシャンと11人の仲間』(監督・ルイス・マイルストン)をもじったものだ。