文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

史上初の主人公不在漫画『松尾馬蕉』 

2021-12-22 00:02:06 | 第7章

さて、第七章の紙面も残り少なくなってきたので、ラストに、80年代の青年向け赤塚ギャグを代表するこの作品を論及しつつ、本章を総括することにしたい。

「平凡パンチ」に連載された『松尾馬蕉』(83年4月4日号~10月3日号)は、キャロル・リード監督の代表作『第三の男』に発想の原点を求めた、ギャグとサスペンスが渾然一体となった不条理ナンセンスで、主人公が一度も顔を出さずに、ドラマが完結するという、通常の漫画のセオリーのみならず、従来の赤塚漫画のスタイルからも完全に乖離した異端作の一本だ。

大学をこの春卒業した小林一茶青年は、先輩の松尾馬蕉から、事業拡張に向け、協力を仰ぎたいとの旨を綴った手紙をもらい、上京する。

一茶は、早速馬蕉のアパートを訪れるが、部屋に馬蕉の姿はなく、そこにはただ、一台のモーターボートが所狭しと置き去りにされていた。

ボートともに残されていた手紙には、「わけあって対馬へ行く このボートで大島旅館へ来い」と書かれており、一茶はボートに乗り込み、対馬へと向かう。

だが、投宿している筈の大島旅館にも、馬蕉はおらず、主人のエイハブの話では、一茶が着いたその前日に、北海道屈斜路湖畔のホテル〝コタン〟へ向かったというのだ。

やっと思いで、ホテル〝コタン〟に辿り着く一茶だったが、ここにも馬蕉はいなった。

だが、フロントの話では、馬蕉は三年も前から〝コタン〟に滞在し、昨日チェックアウトしたばかりだという。

そして、今度は沖縄に来るようにと書かれた俳句もどきのメッセージが、やはり一茶に宛てて、残されていた。

一体、馬蕉は何が目的で、ここまで一茶を振り回すのか……。

この物語のポイントは、毎回、一茶が訪れる先々で、馬蕉の奇っ怪な人物像が浮かび上がってくる点にある。

対馬では、大島旅館の主人・エイハブが白鯨に襲われ、片足を喰いちぎられた時、命からがら助け出し、英雄視されていたかと思えば、突然、テレビのニュース中継に現れ、日本人初の搭乗員として、スペースシャトルに乗り込む姿が報じられたりと、そのベールは二重三重にと連なってゆく。

挙げ句の果てには、その姿形までもが、様々な変貌を遂げ、手の指が八本になったり、尻に尻尾が生えていたりと、生物学上、その正体すらも断定不可能となる有り様で、益々一茶を混乱させてゆくのだ。

連載中盤では、馬蕉の顔を読者から募集したり、突如、本編に出てきたと思ったら、顔が巨大な○印になっていたりと、何処までも読者を煙に巻く悪戯が、ギャグとして描かれるようになる。

つまり、読者に主人公のイメージを喚起させるという試験的なギャグがテーマとなっているのだが、そのテーマも、恐らく見切り発車のまま打ち立てられたものであるため、消化不良の印象は否めず、終盤、矢継ぎ早の展開は、更に箍が外れたかの如く、破綻の一途を辿ってゆく……。

因みに、アイデアブレーンを務めていた長谷邦夫の話によれば、「平凡パンチ」編集部より、連載のオファーを受け、主人公が一回も顔を出さないが、でもやはり主人公であるという漫画を描けないものかと考えていた赤塚に対し、長谷は、それならば、サミュエル・べケットの『ゴドーを待ちながら』のような不条理なシチュエーションが、赤塚が抱いている構想に、最も適しているのではないかと提案したそうな。

即ち、『ゴドーを待ちながら』では、劇中、ウラディミールとエストラゴンの二人が、ゴドーという謎の人物を待ち続けることに対し、この『松尾馬蕉』は、小林一茶が謎の人物・松尾馬蕉を、ひたすら追い続けるという、逆転の発想によって生まれたシリーズと言えるだろう。

ただ、赤塚自身、新機軸を打ち立てようと、意欲的に取り組んだ作品ではあるものの、最終回は、馬蕉の正体が十字架に掛けられたキリストだったという、蛇足のような落ちが付き、着地点を見誤った感は否めない。

結局、謎が謎を残したままという、後味の悪い結末を迎えてしまったため、折角のエクスペリメンタルなギャグも、不発に終わってしまったことが、非常に悔やまれる。

尚、赤塚も、後に自作を振り返るインタビューで、『松尾馬蕉』を印象深い作品であると語りながらも、よりナンセンスを際立たせるには、尤もらしい説明的な落ちではなく、徹底した無責任さを貫くべきだったと、悔恨の念を述べている。

少年向けギャグ漫画の世界を開拓し、一時代を築き上げてきたパブリックイメージもあり、「少年サンデー」、「少年マガジン」等の週刊少年誌に発表された一連のシリーズに比べ、漫画マニアの間でも、言及される頻度はないに等しいジャンルであるものの、赤塚自身、大人漫画、時事漫画の世界においても、決して閑却することの出来ない足跡を幾つも遺していることを、本章を通読する中で、お分かり頂けたと思う。

『ギャグゲリラ』を除き、いずれも、赤塚全盛期から断絶した時代に描かれたマイナータイトルであり、パッケージ(絵柄)から漂うロートル感は否めないものの、かつての少年向けギャグ作品で見せた赤塚ならではのアナーキーな破壊性と、軽妙洒脱な笑いのセンスは、シリーズによっては健在であり、現在の観点から捉えても、そのエスプリの利いた諧謔的ナンセンスは十分な読み応えを備えている。

また、80年代の社会風俗を語るうえでの資料的価値も高く、その時事世相を立体感をもってカリカチュアしている点も、特筆に値しよう。

これらのビターテイスト溢れる大人の赤塚ワールドもまた、後期『バカボン』や『レッツラゴン』、『ギャグゲリラ』といった70年代赤塚漫画の延長線上に位置する、猛爆ギャグの終着点として、広く吟味の対象となり、今一度、再評価への見直しが図られることを、一ファンとして、切望せずにはいられない。

そう、赤塚ギャグの先鋭的センスは、媒体を問わず、至るシリーズにおいて炸裂しており、痛烈なイロニーを伴いながら、絶えず、混濁の世の不条理に嘲笑を投げ掛けているのだ。


伝説のバー〝ホワイト〟での交友録をコミカライズした 『四谷「H」』

2021-12-22 00:01:18 | 第7章

時宜的な観点から、鋭い切り込みで対象にアプローチした変わり種の人物ニュース漫画を、80年代前半に集中して執筆した赤塚だったが、『ニャロメ紳士録』(「カスタムコミック」80年12月号~82年4月号)のように、赤塚自身の交友録をそのままエッセイ風味溢れる筆致で綴ったタイプの作品もまた、複数存在する。

1982年から「ジャストコミック」誌上で連載開始した『四谷「H」』(82年1月号~12月号)も、そうしたカテゴリーに準ずる、謂わば、赤塚人脈周辺の、夜の社交界の内幕を暴いたルポルタージュ・ギャグ漫画だ。

自身の行き着けでもある四谷のバー「H」を舞台にした漫画を描こうと思い立った赤塚不二夫は、当時、フジオ・プロのチーフアシスタントだったシイヤこと椎屋光則(現・しいやみつのり)に、カメラを渡し、店を取材してくるよう命じるが、実は、このシイヤ君、酔うと人格が豹変する、最悪を絵に描いたような酒乱癖の持ち主だった。

そんなシイヤ君が、各話ゲストとして登場するコピーライターの糸井重里や鉄のゲージツ家の篠原勝之、サックスプレイヤーの坂田明といった常連客に、暴走して絡んでは、こっぴどい目に遭わされるという、お決まりのパターンが、毎回ドラマのフォーマットとなって展開される。

この「H」のモデルとなった店は、各界の著名人が集う店として広く知られていた四谷にある〝ホワイト〟で、前述の人物のほかにも、ほぼ毎回、赤塚と交流の深かった多数の芸能、文化人が蝟集し、シリーズに花を添える。

また、〝ホワイト〟のオーナー兼ママとして、店を切り盛りしていたミーコこと宮崎三枝子も、レギュラーキャラとして活躍し、時には、シイヤの酒癖の悪さをどやし付けながら、本作のヒロイン役を務めた。

多くの芸能、文化人から愛され、絶大な影響力と人脈を誇る女傑として名高いミーコママだけあって、劇中の彼女もまた、チャーミングな笑顔が印象的な、愛嬌たっぷりな女性として描かれている。

恐らく赤塚も、江戸っ子気質で、竹を割ったような性格のミーコママに対し、異性としても、一人の人間としても、純粋なる好意を抱いていたに違いない。

因みに、〝ホワイト〟は、1986年に、四谷から西麻布に移転し、それに伴い、客層もガラリと変わったといわれるが、リニューアルオープンした以降も、キラ星の如くの著名人らが常連客に名を連ね、世代交代を重ねながら、異種文化交流の場としての一翼を担っていったそうな。


回収騒動を巻き起こした衝撃の問題作『キャスター』

2021-12-22 00:00:42 | 第7章

『週刊スペシャル小僧!』の連載開始から遡ること三年前、そのプロトタイプとなった赤塚漫画が既に存在していたのを、読者諸兄はご存知だろうか……。

光文社発行の隔月刊誌「ポップコーン」に連載された『キャスター』(80年4月創刊号~81年2月号)という作品がそれで、こちらも『スペシャル小僧!』同様、梨元勝をカリカチュアした突撃レポーターと、それを補佐する美人アシスタント、異常なまでの性欲過多で、完全に職務放棄している番組ディレクターの三人が、様々な現場を生中継によりレポートする、疑似ルポルタージュ漫画とも言うべき意匠を湛えたシリーズだ。

当時、舞台演出、放送作家として活動していた喰始に、一部シナリオ協力を仰ぎ、執筆されたこのシリーズは、ポイゾナスなギャグが異常なテンションで炸裂する怪作中の怪作で、その過激な内容ゆえ、回収騒動を巻き起こした問題作としても知られている。

問題となったのは、創刊第2号となる80年6月号に掲載された第二話だ。

話題の人肉料理専門のレストラン〝ふともも〟に訪れたキャスターが、この店自慢のフルコースをレポートするという内容で、これらの料理がまた、上物の死体で作られた人肉刺しにヘソの緒ヌードル、脳ミソどんぶりに胎児ピザといった、グロテスクの概念を通り越した、トラウマ必至のメニューのオンパレードなのだ。

また、このエピソードのハイライトでは、赤ん坊の丸焼きや、心臓の踊り食いが、オーナーにより実演披露され、ラストでは何と、シェフがチェーンソーを振り回し、フックに掛けられた遺体を切り刻んでゆくという、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』(主演/マリリン・バーンズ)を彷彿させるスプラッターな展開を迎える。

このように、過剰に走り過ぎたスプラッターギャグと、酔狂下におけるおどろおどろしいカニバリズム描写が、各種団体より問題視され、前述の通り、後日、掲載誌が回収される運びとなった。

そのため、80年8月号では、『キャスター』のみ新作(第三話)が掲載されたものの、一部の連載漫画は、回収号に発表された作品がそのまま再録されるという、奇妙な事態を引き起こす結果となったのである。

こうしたトラブルも災いしてか、本誌「ポップコーン」は、翌年の2月号(第6号)をもって休刊。

版元である光文社は、81年5月から「ポップコーン」をリニューアルする形で、青年向け漫画誌「ジャストコミック」を新創刊し、再出発を図ることになる。

『キャスター』は、連載終了より四〇年余りの時を経た現在も、未だ封印されたままの状態だ。

掲載回数僅か六回と、赤塚作品の中でも、極めてマイナーな部類に入る傍流派ともいうべきタイトルだが、一部シナリオを発注し、新たな血を注入するなど、赤塚としても、並々ならぬアティテュードを示した一作であり、商業ベースに直結したコンテンツにはなり得なかったものの、ギャグの切れ味は滅法シャープで、いずれのエピソードも、読む者の心を突き刺す衝撃に満ちている。

赤塚漫画史に暗い影を落としたこの問題作が、いつかその封印が解かれ、単行本化という形で再び陽の目を見ることを、ファンとして気長に待ち続けたい。


ナンセンス漫画の概念を突き抜けた異色のルポルタージュ漫画 『週刊スペシャル小僧!』

2021-12-22 00:00:02 | 第7章

こうした人物ニュース漫画は、成人向け作品のみならず、少年誌を発表媒体としたシリーズでも描かれるようになる。

1983年から「週刊少年チャンピオン」誌上で、およそ一年余り連載された『週刊スペシャル小僧!』(83年44号~84年53号)は、ナンセンス漫画の概念を突き抜け、ブラック・ルポルタージュ漫画ともいうべき新ジャンルを開示したエポックメイキングな一本だ。

このシリーズの主人公・スペシャル小僧(ナシトモくん)は、トップ屋の直撃取材をそのままテレビの世界に持ち込み、一躍芸能レポーターという存在を世に知らしめることになった梨元勝を模倣した謂わばトリックスターで、毎回、当時の社会情勢や話題の人物を滅多斬りするというスタンスは、『今週のダメな人』、『今週のアダムとイフ』の延長線上に位置するものだが、テーマの危険性、ハイスパートなギャグが全編に渡り埋め尽くされているといった点においては、少年誌掲載作品でありながらも、既述の二作品とも異質な、より斜に構えた毒々しさを放っている。

1981年、アメリカ・ロサンゼルス市内で、輸入雑貨販売業を営む三浦和義が、第三者と共謀し、妻を殺害し、多額の保険金を詐取したものと、「週刊文春」をはじめとする日本のマスメディアによって嫌疑を掛けられ、一大スキャンダルに発展した「ロス疑惑」、別称・「疑惑の銃弾事件」も、本シリーズでも繰り返し、モチーフとして選ばれている。

「三浦さんごっこをしよう」(84年16号)は、平凡な生活に飽き飽きした一家が、ある日突然、名字を三浦姓に変えたとたん、家庭に様々な悪弊が勃発し、新たなトワイライトゾーンが出現するという、ホラー風味漂うグロテスク系ナンセンスで、物語の最後には、夫が突然現れた愛人を生き埋めにしてしまうなど、皮肉を通り越した痛烈な諧謔が鳴り響く。

尚、本作品は、連載終了後の1985年に、日本文芸社の「ゴラクコミックス」レーベルより『赤塚不二夫の巨人軍笑撃レポート』と改題され、一冊の単行本に纏められるが、このタイトルからも分かるように、巨人軍ネタも多く扱われている。

V9達成以降、低迷の一途を辿っていた読売ジャイアンツの不甲斐なさに茶々を入れたぼやき節が、シリーズのおおよそを占めていることからもわかるように、赤塚自身、ジャイアンツに対する愛憎入り乱れた複雑な感情を、長年抱き続けていたに違いない。

尚、巨人軍をネタとして扱ったエピソードに関し、赤塚は『スペシャル小僧!』以外にも、前記の『ギャグゲリラ』や『ギャグ屋』等、多数のシリーズを舞台に執筆している。

読み切り短編においても、赤塚は、恐らく自身の苦悶をそのまま隠れジャイアンツファンの主人公の心情に投射させたとおぼしき『かくれジャイアンツ』(「週刊漫画ゴラク」80年8月18日増刊号)なる一読忘れ難い佳品も寄稿しており、膨大な数に昇る赤塚漫画の中でも、巨人軍の成績不振を批判、ディスリスペクトしたギャグは、数え上げれば切りがないのだ。

時折ネット等において、赤塚が熱烈な阪神タイガースファンであるかの如く、語られることがあるが、生前、漫画でもインタビューでも、そのような旨を赤塚自ら発したことは、筆者の知る限り、一度たりともなく、この言説もまた、風説、誤説の類いと見て、まず間違いないだろう。


漫画で読むワイドショー 『今週のダメな人』 『IF もしもの世界 今週のアダムとイフ』

2021-12-21 23:59:26 | 第7章

特定の著名人をフィーチャーした作品は、古くは『上を向いて歩こう』の世界的ヒットで知られる往年の名歌手・坂本九の、歌手としての成功を収めるまでの半生をダイジェストに綴った『九ちゃん』(「少女ブック」62年5月号別冊付録)や、80年代では、交遊関係にある写真家・荒木経惟の 狂騒的な生活と生き様をブラックな笑いを盛ってカリカチュアライズした『カマラマン荒気だ‼』(「月刊GAGDA」81年9月(創刊)号~11月号)、同様に、新進気鋭の作詞家、コピーライターとして、一躍脚光を浴びることになる糸井重里をモチーフに据えた『さすらいのコピーボーイ』(「日刊マンガ」80年9月準備号)等があるが、時局性に当面した、ライヴ感覚溢れる人物ニュース漫画ともいうべきジャンルが本格的に描かれるようになったのは、1983年からスタートした『今週のダメな人』(「週刊宝石」83年5月6日号~84年12月21日・85年1月1日合併号)と『IFもしもの世界 今週のアダムとイフ』(「女性自身」83年8月25日・9月1日合併号~84年4月19日号)の二本からだ。

いずれも、当時のワイドショーや週刊誌、スポーツ紙の各紙面を騒がせた各界の著名人が俎上に載せられている。

『今週のダメな人』では、大麻不法所持で逮捕されたショーケンこと萩原健一、勝プロの倒産以降、多額の負債を抱えていた俳優の勝新太郎といった有名芸能人、スポーツ界からは、六度目の防衛の際、ルぺ・マデラに惨敗を喫し、王座より陥落した世界ライトフライ級元チャンピオンの渡嘉敷勝男、長期に渡るスランプに陥っていたプロゴルファーの尾崎将司、また政財界からは、「ロッキード事件」の一審判決により、懲役四年、追徴金五億円の実刑判決を受けた田中角栄、時の自民党総裁でありながらも、依然として田中角栄の強い影響下にあり、政界の風見鶏と揶揄されていた中曽根康弘総理大臣、果ては、この時日本に公式訪問中にあったアメリカのロナルド・レーガン大統領に至るまで、多方面に及ぶビッグネームがコキ下ろされた。

また、『アダムとイフ』においても、愛人殺害の罪により七年間服役し、出所後会見を開いた元ロカビリー歌手の克美しげる、「三和銀行巨額横領事件」の犯人であった伊藤素子といった元受刑者らが、辛辣を含んだ不謹慎ネタとして、血祭りに上げられている。

『今週のダメな人』では、訓練生への監禁、傷害致死等、過酷な体罰が表面化し、戸塚宏校長をはじめとする関係者十五名が逮捕、起訴された所謂「戸塚ヨットスクール事件」も、モチーフとして潤色し、扱われた。

戸塚ヨットスクールに『巨人の星』の星飛雄馬や『あしたのジョー』の矢吹丈が入校するというエピソードで、逆に飛雄馬が教官に大リーグボールを投げ付けてシゴくなど、正しき人間には拒絶反応を示すといった、特異体質を持つ教官達を、尻込みさせてしまう本末転倒ぶりが至ってシニカルだ。

この挿話は、「戸塚ヨットスクール事件」の顚末をドラマの縦軸にしつつも、そのプロットには、タイムリーな逮捕となった漫画原作者の梶原一騎の一連の暴行スキャンダルを不可避的に想起させるギャグが挟み込まれていたりと、一つの話材からもう一つの話材へと連関する地続きの効果を孕んだもので、赤塚ならではの複眼的視点が窺える。

1984年から85年に掛け、京阪神を舞台に怪人21面相を名乗る集団が、江崎グリコ、丸大食品、森永製菓、ハウス食品等、大手食品メーカーを標的に次々と企業恐喝を繰り返した「警視庁広域重要指定114号事件」、即ち「グリコ森永事件」もまた、『今週のアダムとイフ』の中で、不条理性感度引き立つ、奇絶怪絶なナンセンス譚に染め上げ、取り上げている。

ストーリーは、怪人21面相グループを彷彿とさせる二人のアウトローが、当時、無芸大食の象徴タレントとして知られていた斎藤清六を誘拐し、同時期に「笑っていいとも」で共演していたタモリに、多額の身代金を要求しようと企てるといった内容で、落ちは、ブリコ(グリコのもじり)のキャラメルを一粒口にした斎藤清六が、普段のドジっぷりからは予想だにしない身体能力を発揮し、グリコの商標である有名なゴールイン・マーク同様のポーズとスタイルで、脱兎の如く犯行アジトから逃げ出すというものだ。

そう、有名な「一粒300メートル」のフレーズは伊達ではなかったのだ。

ラストのコマには、本作の狂言廻しでもあるイフちゃんなる若い女のコが登場し、「清六さん これからブリコを食べてドジを直してネ‼」「あなたのドジ 最近少しハナについてきたわよ」と、恰も読者と同じ目線に立った手厳しいコメントを発して終わる。

このイフちゃんは、元々『天才バカボンのおやじ』の第九話「新婚ほやほやチュチュチュのチュなのだ」(「週刊漫画サンデー」70年5月13日号)のゲストとして登場したバカ大の後輩・ヒロ坊の新妻であるワカ子さんで、十数年を時を経て、新たに描き換えられたヒロインキャラクターだ。

各エピソードの文末には、ほぼ毎回イフちゃんが、その際、対象となった人物や事柄を総纏めするというパターンを採っており、見方によっては、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』の創作スタイルの先駆けとして位置付けることも出来よう。

芸能ゴシップにおいても、外国人アーティストへの優遇に対する憤りから、ウドー音楽事務所に出刃包丁片手に乗り込み、警察沙汰となったロック歌手の内田裕也を〝外タレ〟ならぬ〝害タレ〟と一刀両断したり(『今週のダメな人』)、人気歌手が〝名声会〟なる親睦団体を結成した際には、ビートたけしや火野正平ら、当時女性スキャンダルの絶えなかったタレントらを寄せ集め、〝名性会〟なる会を発足させたりと(『今週のアダムとイフ』)、どちらのシリーズも、ドラマトゥルギーの基本(起承転結)を踏まえつつも、4ページという限られたスペースにあって、舌鋒鋭いファルスを絶妙なトラジェディーの匙加減で纏め上げている。