文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

続々登場『おそ松くん』のスピンオフ作品 『チビ太くん』『ミスターイヤミ』『ダ・ヨーンのおじさん』

2020-03-30 19:37:38 | 第2章

「おとぎの国のそんごくん」と同じく、古今東西の児童文学の名作を完膚なきまでに解体し、毎回大胆不敵なアレンジを加えたパロディー形式のコントを中心に構成したのが、「少年ブック」連載の『チビ太くん』(67年6月号~69年1月号)である。   

『おそ松くん』の人気者・チビ太を主役に迎えた本作もまた、毎回多彩な赤塚キャラをゲストとして配し、強烈な個性がせめぎ合う群衆劇として展開するシリーズで、メルヘンティックな世界観を踏襲した寓話的ストーリーを、独自のパロディー感覚よりシュールな次元へとシフトアップさせたヒロイックファンタジーへと挿げ替え、作品総体にハード&エッジな感度を付与することに成功した。

『チビ太くん』では、際どいギャグやインパクトを及ぼす展開に委ねた物語ばかりではなく、後期の『おそ松くん』と同じく、重い主題が介在するシリアスなドラマ性を取り入れたストーリーテリングにも果敢に挑んでいる。

その中でも、最高傑作と呼べるのが、「地下鉄チカパン」(68年4月号)だ。

この物語では、チビ太は地下鉄でスリを働くデカパンに拾われ、育てられているみなし子という設定で、彼らを温かく見守るダヨーンとの交情、チビ太のために、スリから足を洗おうと決心するまでのデカパンの心の葛藤には、思わずホロリとさせられる。

『おそ松くん』の中でも、取り分け名作として誉れ高い「チビ太の金庫やぶり」にも通ずる、心揺さ振るヒューマンなショートドラマだ。

因みに、『チビ太くん』は、連載開始の前年、同じく「少年ブック」(66年10月号)で単発の読み切りとして発表されたのが最初だが、元々チビ太は、『カン太郎』のタイトルで、『おそ松くん』の連載開始以前から「冒険王」にて主役を張っており、その後も、1963年に「少年ブック」で読み切りが二本掲載された後、64年1月号より同誌にて継続連載されていた。

1965年の4月号からは、『なんでもやろうアカツカくん』とタイトルを一新(~12月号)。コント作家の山口琢也に協力を仰ぎ、クイズあり、読み物ありのバラエティーページへとバトンタッチされる。

その中のコーナーの一つに『$ちゃんとチビ太』という、ルックスがおそ松くんにそっくりなハッスルボーイの$ちゃんとチビ太の迷コンビによる、お金をガッポリ稼ぎながら、奇妙奇天烈なお伽の世界を放浪する珍奇譚が、毎回目玉として掲載された。

こちらもまた、驚きと冒険に満ちた娯楽活劇の普遍的なパターンをドラマの基本線として踏まえているものの、カリカチュアによる誇張と、理路不整然なドラマトゥルギーから生成される滑稽的不条理が効果的に融合し、単なる夢とロマンの冒険ファンタジーから一変、バイタリティーに満ち溢れる新たな狂操型ナンセンスへと進化を遂げた。

尚、この『$ちゃんとチビ太』は、曙出版からA5サイズの貸本単行本で一冊に纏められた後、アケボノコミックス『モジャモジャおじちゃん』(曙出版『赤塚不二夫全集』第20巻)にも全話分が収録されることになる。

単行本収録時、表題作となったモジャモジャおじちゃんは、『赤塚不二夫のガンバリまショー』(「少年ブック」67年1月号~5月号)の狂言廻しとして登場。爬虫人類下品科に属し、タキシードに身を包む住所、国籍共に不明の中年男性である彼は、赤塚がエンターテイナーとして心の師と仰ぐチャーリー・チャップリンをオマージュしたキャラクターだ。

『おそ松くん』本編でも、チャップリン不朽の名作『キッド』にインスパイアされて描いた「下町のチビ太キッド物語」に出演し、みなし子・チビ太と実の親と子以上に深い絆と愛情で結ばれる心優しき落ちぶれ紳士を、笑いとペーソスを折り込んだ感涙の演技で熟演。その存在感を印象付けた。

一方、複雑な経緯を流浪して描かれた『カン太郎』シリーズは、その後、ダイヤモンドコミックスで、『チビ太くん』(コダマプレス、66年発行)と改題され、傑作選として単行本化された後、「少年ブック」掲載バージョンの『チビ太くん』が、サンコミックス(『チビ太くん』全2巻、朝日ソノラマ、69年~70年)やパワァコミックス(『チビ太』全3巻、双葉社、74年~76年)等でコンパイルされた際に、ほぼ全てのエピソードが併せて収録されることとなり、漸く、ここでカン太郎とチビ太が同一視されることになる。

『おそ松くん』に登場する名バイプレイヤー達のスピンオフ作品は、『チビ太くん』以外にも、倦怠に溺没した日常を無為に生きる中年男のイヤミが、一夜のアバンチュールで愛し合った若い人妻にたぶらかされ、ショックの余り精神破綻してしまう『ミスターイヤミ』(「ビッグコミック」70年7月10日号)、その続編で、うだつの上がらないダメ警察官のイヤミが、誘拐事件を捜査する中、恐るべきトラブルに巻き込まれてゆく『ミスター・イヤミ氏 あしたの朝』(「ビッグコミック」71年1月10日号)といったイヤミを主人公とし、読者の嘲笑を誘う青年向けのブラックショートや、ハタ坊と哲学的示唆に富んだ人語を語るインテリ犬・ワンペイの心の交流をベースに、彼らの友情や助け合いが読む者の気持ちを温かく和ませてくれる『ハタ坊』(「赤旗日曜版」71年1月3日付~12月26日付)など、後になっていくつか描かれることになるが、『おそ松くん』の絶頂と同時期に、『チビ太くん』と同様、「少年ブック」に連作として発表されたのが、『ダ・ヨーンのおじさん』(66年1月号)、『ホラホラのおじさん』(66年2月号)、『おじさんのおばさん』(66年3月号)といった名コメディーリリーフ、ダヨーンのおじさんをフィーチャーした諸短編だ。

漫画家、家政婦と各エピソードによって、職業も設定も変質するが、能天気なオプティミスト、ダヨーンのおじさんが掻き回す日常的な騒動は、食いしん坊、のんびり屋というキャラクターが表わすように、何処か落語的で、この時期の赤塚ギャグとしては珍しく、ほのぼのとしたレディメイドな笑いに包まれている。


興奮度満点の赤塚版西遊記『そんごくん』

2020-03-29 22:32:00 | 第2章

中国三大奇書の一つ『西遊記』をパロディー化し、少年漫画の王道に根差した、血湧き肉踊るアドベンチャー活劇へと昇華したのが、『おた助くん』同様、学年誌を発表の舞台とし、二年間に渡り連載された『そんごくん』(「小学四年生」64年4月号〜65年3月号他)である。

赤塚自身、新しいキャラクター作りやストーリー作りを存分に楽しんだというだけあり、幾度かに渡り、別冊付録として纏められるなど、初期赤塚ギャグの中でも抜群の人気を博した一本だ。

中国の山奥に住む天才発明家の息子・そんごくんが、仲間達と一緒に繰り広げる冒険譚で、ご多分に漏れず、本作でもスターシステムを採用。沙悟浄にはデカパンを、三蔵法師にはバカ息子・一郎を、猪八戒には、三蔵法師の非常食として連れて来られた単なるブタといった面々をその仲間役として起用するなど、赤塚ファンにはお馴染みの人気者が活躍する、キャラクター漫画としての一面を備えた楽しい作品でもある。

そんごくんは、唯一宝のありかを知る一郎のお守りを兼ねて、勇気を試す武者修行の為、如意棒と、飲むと不思議な力を発揮するという千頭を片手に、デカパン、ブタとともに、宝を求め、東へ西への冒険の旅へと出掛ける。

しかし、その道中には、彼らの行く手を阻もうとする海賊や魑魅魍魎たる魔物達が蠢いていた。

次々と厄難が襲い掛かる旅路の中、苦闘を強いられる彼らは無事、宝を探し出し、帰還することが出来るのか……⁉

古典文学の様式上の理念に基づいた勧善懲悪をテーマ化。様々な謎を解き明かし、出会いや戦いを経験する中、一人の少年が、人間として大きく成長してゆくストーリーラインと、興奮度満点のファンタジックな冒険を包括したその世界観は、現在のロールプレイングゲームの要素を多分に含んでおり、巨大な海賊船や変幻自在なモンスターをドラマのサブジェクトとして捉えたダイナミックな演出の数々においても、当時の読者である子供達のハートを熱く魅了したであろうことは想像に難くなく、今見ても実にスリリングだ。

その後、『そんごくん』は、80年代末期から90年代初頭の赤塚アニメリバイバルを引き金にして起きた赤塚名作漫画復興の気運を反映し、1992年、「デラックスボンボン」誌上にて、前編後編と二話に渡り、再連載される。

宝のありかを求めて旅へと向かった、そんごくん、デカパン、一郎、ブタの一行が、無人島で宝を見付け出すまでを描いたダイジェスト版で、ゲストキャラとして、六つ子、イヤミ、ハタ坊、ア太郎、デコッ八、ニャロメ、レレレのおじさん、ウナギイヌなどの人気スターが続々と登場。現代的にアレンジされたハイテンポなストーリー展開も秀逸で、奇想天外なアクションに貫かれた賑やかな作品世界に更なる色彩を加えた。

因みに、初代『そんごくん』では、『うさぎとかめ』や『かちかち山』、『てんぐのかくれみの』、『すずめのおやど』、『一寸法師』といったお伽噺の世界をパロディー化した「おとぎの国のそんごくん」なるアナザーシリーズも存在し、その肩の力を抜いた不覊の高いディレクションには、どれもおもちゃ箱をひっくり返したようなポップな魅力が満載だ。


赤塚シュール&ナンセンスの原点『メチャクチャNo.1』

2020-03-27 22:01:12 | 第2章

日常性と非日常性の融合から生じるナンセンスな混乱劇を意匠とし、強大無比の破壊力を内包した笑いをスリリングな瞬発力で構築することにより、後の『天才バカボン』の先鞭を付けることとなったのが、「冒険王」に長期連載された『メチャクチャ№1』(64年1月号~65年3月号、7月号~12月号、67年1月号~9月号他)だ。

『メチャクチャ№1』の主人公・ボケ男は、年がら年中かすり着物を着ているバカボンの原型となった子供のキャラクターであり、人語を喋る飼い猫のトラちゃんは、勝ち気で一本気な性格を含め、後の『もーれつア太郎』でブレイクするニャロメの原点と言えるだろう。

ボケ男のキャラクターそのものは、お人好しで、何処か間の抜けた落語の与太郎的な少年だが、口の形が自由自在に変形する造形で、→型になったり、?型になったり、はたまた☆型になったりと、キャラクターデザイン自体に、一種の落書き的なナンセンス感覚が横溢している。

『メチャクチャ№1』というタイトルにシンボライズされているように、突拍子もない奇想天外なアイデアが全編に渡って貫かれており、回を重ねるごとにその作風は、既成のギャグ漫画のスタイルにはない、発想の飛躍に展開を委ねた不条理な笑いを弾き出してゆく。

ボケ男が徒競走で一等賞を取るために、大きくなるスプレーを足に掛けると、ビルよりも大きな体へと巨大化し、大怪獣の如く街を破壊する「ドヒャ~とでかくなる薬」(65年10月号)や、弾力星なる惑星からやって来た、スーパーボールのような弾力に富む地球外生命体の子供とアチャラカ劇を繰り広げる「弾力星からきたよん」(65年2月号)など、アトランダムな発想から沸き上がったアイデアを全て画稿に絵として変換し、インプロビゼーション的に物語を進行してゆく作劇方法に徹底しているため、当時としては、読者の中枢神経を揺さ振るかのような、常識の枠組みを打ち砕く八方破れなギャグが必然的に連打されている。

やがて、ボケ男が住む横町の空き地から、砂漠や無人島、果ては人魚のいる竜宮城の世界や恐竜が蠢く石器時代にタイムスリップするなど、ドラマの舞台は超常の世界へとスライドしてゆく。

ボケ男が行く先々の特異な風景で遭遇する珍妙なキャラクター達とのてんやわんやの顛末や、常識では計り知れない世にも不思議な体験に支えられたその物語は、時には無邪気な笑いに包まれ、またはシニカルであり、各エピソードにアダプトされたユーモアの解体と脱構築の間を反復するナンセンスの炸裂に至っては、常に新鮮な笑いを読者に与える十分な根拠になり得ている。

既に 『天才バカボン』と並行連載され、このように、ひたすら渇いた笑いを追求した後期の作風に関しては、何処か、夢の中の世界を漂っているかのような浮遊感とアンリーゾナブルな殺伐感が未分化に具現化した前衛的ムードさえも含有し、更に突き詰めて言うならば、後にシュールレアリズムの世界観を唱導し、赤塚ナンセンスの臨界点と目される『レッツラゴン』、『少年フライデー』といったシリーズの先駆けとなったと言っても、差し支えないだろう。


エキサイティングな笑いが満載 『まかせて長太』

2020-03-25 19:39:45 | 第2章

『鉄腕アトム』、『鉄人28号』、『ストップにいちゃん』、『忍者ハットリくん』といった、今尚漫画史に燦然の輝く名作が顔を揃えていた激戦区「少年」で、丸二年に渡り、これらの強豪を相手に、地味な人気ながらも、毎回遜色ない健闘を重ねていたのが『まかせて長太』(63年10月号~65年9月号他)だ。

代理代行業務に従事する呑気な父親を手伝う、同じくユーティリティ・プレイヤーの長太が、様々な職業にチャレンジする中、散々な危機やトラブルに晒されながらも、スタントマンも裸足で逃げ出す持ち前のバイタリティーによって、次々と危険を回避してゆくアグレッシブな展開を主としたシリーズで、アクションをふんだんに盛り込んだエキサイティングな見せ場の高揚感と、細切れにしたギャグを散弾銃の如く連発連射する一撃必笑のノリの真新しさは、間然とするところが一切ない。

『おそ松くん』のスラップスティックの流れを汲みつつも、従来の赤塚作品とは異なる新機軸を打ち立てた『まかせて長太』。

数々の人気作品と鎬を削らなくてはならない掲載誌の状況を考慮してか、スターシステムを導入。『おそ松くん』からは、イヤミ、デカパン、ハタ坊、『おた助くん』からは、おた助や一郎等、他の赤塚作品の人気キャラクターが多数客演するなど、作品世界に華を添えているのも印象的だ。

赤塚自身、初期赤塚ギャグのお気に入りの一本であると、公言して憚らない本シリーズの、今尚色褪せることのない傑作エピソードをいくつか紹介したい。

いずれも、アケボノコミックス『まかせて長太』全2巻(曙出版『赤塚不二夫全集』第8巻、第17巻)に収録された諸作品である。

「ギャング団大追跡」(64年4月号)は、取り分けファンの間でも傑作の誉れ高い一編だ。

ある日、デパートの屋上の有料望遠鏡から街を見下ろしていた長太は、引ったくり事件を目撃する。

しかし、デパートの屋上からでは、捕まえるにも、犯人に追い付けるわけではない。

悔しがる長太の前に、ここでは長太と同じ便利屋というキャラクター設定のおた助くんが現れる。

出会い頭からおた助と意気投合した長太は、おた助が受け持つ、屋上に停留してあるヘリコプターの清掃を手伝う。

その時、先程長太が目撃した引ったくり犯の二人組が警官に追われ、デパートの屋上へと逃げて来る。

長太が乗るヘリコプターに飛び込んで来た二人組。やがてプロペラは廻り出し、長太と二人組を乗せたヘリコプターは、空高くと舞い上がり、操縦士のいないまま、何処までも飛んで行く……。

ヘリコプターの縄梯子に吊られて、教会の十字架にぶつかったり、ライオンのいる動物園の檻に身を落とされたりと、次々と長太の身に危険に次ぐ危険が降り懸かるその手に汗握るドキドキ感は、1964年当時のギャグ漫画としては、フォロワーを生み出さない圧倒的な孤高性を放ち、この時既に片鱗を窺わせる、テンポの良い笑いを織り交ぜてエピローグまで一気に駆け抜けてしまう疾走感は、 迫り来る空前の赤塚時代を不可避的に予感させる。

「まじめになるならまかせてちょうヨ」(65年2月号)もマスターピースの一本である。

改心した泥棒が持ち主に気付かれないよう、盗品をこっそり返したい。それを長太に依頼するものの、盗品を返す都度に巻き起こす様々な失敗の連続に抜群のアイデアが注ぎ込まれ、読者の予想とは別次元の落ちへと誘う一連の流れが実に小気味良い。

他にも、長太&おた助コンビが時計の密輸団を壊滅する「チク・タック ディンドン密輸団」(64年6月号)、長太、おた助、父ちゃん、野蛮な荒くれ者の4人が、ポンポン船で太平洋を漂流する「太平洋4人ぼっち!」(64年7月号)、海賊や巨大鮫と対決しながら、長太と父ちゃんが無人島に宝探しの旅へと出掛ける「オーエス・オーエス宝島」(「少年 お正月大増刊 スリラーブック」、64年1月15日発行)、高価な美術品ばかりを狙う怪盗7面相と長太の知恵と知恵の対決をバカバカしく描いた「怪人7面相と彫刻『考えない人』」(「少年」64年3月号)といった、やはり意気揚々と暴れ廻る長太の活躍を綴ったエピソードに傑作が集まり、事件の発端の提示、ちょっぴり胸騒ぎを覚えるサスペンスフルな展開、そしてどんでん返しとなる想定外の落ちが、巧みに数珠繋ぎされ、読者の冒険心を満たしてくれる。

因みに、「太平洋4人ぼっち!」は、1962年、自前の小型ヨット「マーメイド号」で、神戸、サンフランシスコ間の単独航海を成功させ、一躍時の人となった堀江謙一青年が、帰国後、その壮絶な航海の日々を綴り、後に石原裕次郎主演で映画化されるなど、大ヒットとなった航海日誌『太平洋ひとりぼっち』から材を採っている。


家庭的ユーモア漫画の総決算『おた助くん』

2020-03-23 09:55:10 | 第2章

『おた助くん』(「小学四年生」63年4月号~64年3月号他)は、発表の舞台が学年誌という比較的地味な児童向けの媒体だったためか、疲れを知らない猪突猛進キャラのおた助くんのハッスルぶりが、勢いあるドタバタと小気味良い陽性のユーモアを基本線に、活き活きと躍動的に描かれているものの、何処かまったりとした素朴な雰囲気が作品全体を支配しており、ナンセンギャグというよりも、読者層の子供達に親近感とシンパシーを抱かせる、健康的な生活ギャグ漫画の範疇に区分するのが妥当なシリーズと言えるだろう。

赤塚ギャグの原点でもある『ナマちゃん』の世界観を拡大再生産し、赤塚にとっての家庭的ユーモア漫画、横町のドタバタ漫画の総決算となった『おた助くん』は、アクの強い怪人、怪童が入り乱れ、社会秩序をも転覆させる『おそ松くん』のようなシチュエーションコメディーの奇怪さとは別種のものだが、主人公・おた助くんを取り巻く、バカ息子・一郎、懐が深く人情味溢れる社長さん、ゴリラのお手伝いさん、超ダメ人間のカバ男など、多彩なレギュラーキャラクターを脇に揃え、作品世界に賑やかな印象を与えているのは、笑いの性質は違えど、『おそ松くん』における状況設定の華やかさと軌を一にしており、物語に広がる上質のユーモアを補強するマテリアルの一つになり得ている。

おた助くんは、弟でのんびり屋のたま男くん、サラリーマンのパパと優しいママとの4人家族。パパが務めるオトボケ製薬の社長さんが住む邸宅の敷地内にある一軒家に家族揃って暮らしており、対する一郎は、父親である社長に溺愛されている常識知らずな一人息子だ。

『おそ松くん』同様、キャラクター漫画としての側面も併せ持った『おた助くん』だったが、あくまで設定された登場人物達の性格を変えず、作劇してゆく製作パターンを採用していたため、生活ユーモア漫画の定型である人情噺も少なくなく、当初は、主人公・おた助くんの腕白な活躍に焦点を当て、物語が展開していた。

だが、回を重ねるごとに、おた助くん、たま男くん兄弟とバカ息子・一郎との対立の構図が毎回のドラマとなり、徐々にバカ息子・一郎の異界の存在としてのキャラクターが確立されてゆく。

やがて、この対立の構図は、熊を連れて来て、スキー場をパニックに陥れたり(「一郎とクマさん」/「小学二年生」66年2月号)、ギャングに弟子入りして、喧嘩中のおた助くんの家に強盗に押し寄せたりと(「ごうとうとカエルさん」/「小学四年生」68年3月号)、一郎の突拍子もない異常行動に、おた助くん達が翻弄される喧騒のドラマへと軸移動していったのだ。

そして、一郎の徹底した馬鹿さ加減やどこまでも天衣無縫なキャラクターが、主役である筈のおた助くんを完全に喰ってしまう程の存在感を放つようになり、読者の人気が一郎に集中。次第に一郎を主人公に迎えたエピソードが大きな割合いを占めるようになり、『おた助・チカちゃん』(「小学四年生」65年4月号~66年3月号)という続編が間を挟んで発表された後、一郎がタイトルを張る『二代目社長一郎くん』(「小学四年生」68年11月号~69年3月号)なるスピンオフストーリーも描かれるようになる。

『二代目社長一郎くん』は、社長が病に倒れたことで、急遽一郎がオトボケ製薬を引き継ぎ、奇想天外なアイデア経営で、会社をシッチャッカメッチャッカにしてしまうという、設定そのものも含め、それまでの『おた助くん』のストーリーラインとは全く関係のないパラレルワールドへと変貌した。

赤塚作品の常だが、かつての主役・おた助くんは、ここでは殆ど登場しない。

一郎というキャラクターの発想の源となったのが、連載当時、担当の坂本記者と観劇に通った旧新橋演舞場で、毎年、上演プログラムにあった松竹新喜劇の藤山寛美公演だった。

当時の藤山寛美は絶好調で、馬鹿役を演じさせれば、天下一品。この頃の寛美の馬鹿役が一郎のキャラクター設定のヒントとなり、この一郎こそが、後に意識的に描かれ、赤塚ギャグの一つの点景となる数多の馬鹿キャラの出発点となったのだ。

母親のいない一郎の家に、家政婦としてやって来た男勝りで優しいゴリラのお手伝いさんは、赤塚の母性回帰への潜在意識が具象化して生み出されたのか、豊満な巨体が印象的で、その後『ジャイアントママ』(「週刊少年マガジン」65年32号、36号)で、度肝を抜くバイタリティーで我が子をも圧倒するスーパー母ちゃんとして、二回主演を務めた後、姿形を変え、母親への慕情と讃歌を綴った『母ちゃん№1』(「週刊少年サンデー」76年~77年)に結実する。

赤塚作品としては、オーソドックスなきらいもある『おた助くん』だが、その後の赤塚ギャグを構成する様々なディテールが混在しているなど、マイナーな作品ながらも、決して軽視は出来ない。