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金陵瑣事 周暉(明末)秀才何岳 (現代中国語訳から日本語にしてみました)

2021-09-23 12:50:55 | 日記
金陵瑣事 周暉(明末)秀才何岳

原文のあるサイト

兩次還金
秀才何嶽,號畏齋。曾夜行拾得銀貳百餘兩,不敢與家人言之,恐勸令留金也。次早攜至拾銀處,見一人尋。至問其銀數與封識,皆合,遂以還之。其人欲分數金為謝,畏齋曰:「拾金而人不知,皆我物也。何利此數金乎?」其人感謝而去。又曾教書於宦官家,宦官有事入京,寄一箱於畏齋,中有數百金,曰:「俟他日來取去。」數年絕無音信。聞其侄以他事南來,非取箱也,因托以寄去。夫畏齋一窮秀才也,拾金而還,暫猶可勉。寄金數年,略不動心,此其過人也遠矣。畏齋即觀察何矩所之曾祖。


現代中国語訳のあるサイト

現代中国語訳
译文:秀才何岳,自号畏斋,曾经在夜晚走路时捡到200余两白银,但是不敢和家人说起这件事,担心家人劝他留下这笔钱。第二天早晨,他携带着银子来到他捡到钱的地方,看到有一个人正在寻找,便上前问他,回答的数目与封存的标记都与他捡到的相符合。那人想从中取出一部分钱作为酬谢,何岳说:“捡到钱而没有人知道,就可以算都是我的东西了,(我连这写都不要),又怎么会贪图这些钱呢?”那人拜谢而走。他又曾经在做官的人家中教书,官吏有事要去京城,将一个箱子寄放在何岳那里,里面有金数百两,(官吏)说:“等到他日我回来再来取。”,去了许多年,没有一点音信,(后来)听说官吏的侄子为了他的事情南下,但并非取箱子。(何岳)得以托官吏的侄子把箱子带回官吏那儿。秀才何岳,只是一个穷书生而已,捡到钱归还,短时期内还可以勉励自己不起贪心;金钱寄放在他那数年却一点也不动心,凭着一点就可以看出他远过与常人


中国語訳から日本語にしました。(私は中国語を勉強したことがないので、怪しい日本語訳です)

(拙訳)
秀才何岳(畏斋と呼ぶ)は、かつて夜道を歩いていて200白銀余り拾ったが、家族に敢えてこの事を言わなかった。家族がこのお金を留め置くように勧めるのを心配したのだ。
翌日早朝、何岳はお金を携え、拾った場所に来ると、一人の人がまさに探しているところだった。すぐに尋ねると、答えた金額と封に書かれた金額が全て拾ったものと符号した。その人は中から一部分のお金を謝礼金にするため取り出しそうとしたが、何岳は言った。「お金を拾って、誰も知らないので、全て私のものにすることもできたのに、またどうして、こんなお金を求めてはいけないのに貪ることができようか?」その人は拝礼して去って行った。
何岳はまたかつて、仕官する人の家で書を教えていた。官吏は事が有って京城に行くとき、何岳の所に1つの箱を預けた。中に数百両のお金が入っていた。官吏は言った。「私が帰って来てまた取りに来る日まで待ちなさい。」かなりの年数が過ぎたが、何の音沙汰もない。官吏の甥に依ると、事情があって南下したとのことだが、箱も取りに来ない。何岳は官吏の甥に箱を持たせて官吏の所に行かせた。
秀才何岳は、ただ一介の貧しい学者にすぎないが、拾ったお金を返し、短い期間の内にも、さらに克己勉励し、貪る心を起こさず、金銭を預かる数年、むしろ少しも心を動かなかった。僅かなことを根拠にするだけで、普通の人を遥かに超えるのが見てわかる。

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