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辨姦論(宋)蘇洵 (唐宋八大家文読本 四」明治書院より)

2022-02-19 10:33:20 | 日記
辨姦論(宋)蘇洵

事有必至,理有固然。惟天下之靜者,乃能見微而知著。月暈而風,礎潤而雨,人人知之。人事之推移,理勢之相因,其疏闊而難知,變化而不可測者,孰與天地陰陽之事。而賢者有不知,其故何也?好惡亂其中,而利害奪其外也!
昔者,山巨源見王衍曰:“誤天下蒼生者,必此人也!”郭汾陽見盧杞曰:“此人得志。吾子孫無遺類矣!”自今而言之,其理固有可見者。以吾觀之,王衍之爲人,容貌言語,固有以欺世而盜名者。然不忮不求,與物浮沉。使晉無惠帝,僅得中主,雖衍百千,何從而亂天下乎?盧杞之奸,固足以敗國。然而不學無文,容貌不足以動人,言語不足以眩世,非德宗之鄙暗,亦何從而用之?由是言之,二公之料二子,亦容有未必然也!
今有人,口誦孔、老之言,身履夷、齊之行,收召好名之士、不得志之人,相與造作言語,私立名字,以爲顏淵、孟軻復出,而陰賊險狠,與人異趣。是王衍、盧杞合而爲一人也。其禍豈可勝言哉?夫面垢不忘洗,衣垢不忘浣。此人之至情也。今也不然,衣臣虜之衣。食犬彘之食,囚首喪面,而談詩書,此豈其情也哉?凡事之不近人情者,鮮不爲大奸慝,豎刁、易牙、開方是也。以蓋世之名,而濟其未形之患。雖有願治之主,好賢之相,猶將舉而用之。則其爲天下患,必然而無疑者,非特二子之比也。
孫子曰:“善用兵者,無赫赫之功。”使斯人而不用也,則吾言爲過,而斯人有不遇之嘆。孰知禍之至於此哉?不然。天下將被其禍,而吾獲知言之名,悲夫!

原文全文、譯文 (現代中国語訳)
https://fanti.dugushici.com/ancient_proses/71709

原文全文、譯文 (現代中国語訳)
https://kknews.cc/culture/3zk9zvy.html


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「唐宋八大家文読本 四」明治書院に書き下し文と現代日本語訳があります。

「唐宋八大家文読本 四」明治書院より
(書き下し文)
事には必ず至る有り。理には固より然る有り。惟だ天下の靜なる者のみ、乃ち能く微なるを見て著るるを知る。月暈(かさ)かぶりて風ふき礎(いしずゑ)潤ふて雨ふるは、人人之を知る。人事の推移し、理勢の相因(あひよ)るは、其の疎闊にして知り難く、變化して測る可からざる者は、天地陰陽の事に孰與(いづれ)ぞや。而して賢者にして知らざる有るは、其の故は何ぞや。好惡(かうを)其の中(うち)を亂して、利害其の外を奪へばなり。昔者(むかし)山巨源 王衍(わうえん)を見て曰く、天下の蒼生を誤る者は、必ず此の人ならんと。郭汾陽(くわくふんやう) 盧杞(ろき)を見て曰く、此の人志を得ば、吾が子孫遺類無からんと。今よりして之を言へば、其の理固より見る可き者有り。吾を以て之を觀るに王衍の人と爲(な)り、容貌言語、固より以て世を欺いて名を盜む者有り。然れども忮(そこな)はず求(むさぼ)らず、物と浮沉す。晉をして惠帝無く、僅かに中主を得しめば、衍百千ありと雖も、何に從りてか天下を亂さんや。盧杞の姦は固より以て國を敗るに足る。然り而して不學無文(ぶん)、容貌は以て人を動かすに足らず、言語は以て世を眩(くら)ますに足らず。德宗の鄙(ひ)暗なるに非ずんば、亦何に從りて之を用ひんや。是に由つて之を言へば、二公の二子を料(はか)ること、亦容(まさ)に未だ必ずしも然らざること有るべし。今、人有り。口には孔子の言を誦(しょう)し、身には夷(い)・齊(せい)の行(おこなひ)を履み、名を好むの士、志を得ざるの人を收召(しうせう)し、相與(あひとも)に言語を造作(ざうさく)し、私に名字(めいじ)を立て、以て顔淵・孟軻復た出づと爲す。而して陰賊險狠(こん)にして人と趣を異にす。是れ王衍・盧杞合(がつ)して一人(いちにん)と爲るなり。其の禍(わざわひ)豈に言ふに勝(た)ふ可けんや。夫れ面(おもて)垢つけば洗ふを忘れず、衣垢つけば澣(そそ)ぐを忘れざるは、此れ人の至情なり。今や然らず。巨虜の衣を衣(き)、犬彘(けんてい)の食を食(くら)ひ、囚首(しうしゆ)喪面(さうめん)して詩書を談ず。此れ豈に其の情ならんや。凡そ事の人情に近からざる者は、大姦匿(だいかんとく)たらざること鮮(すく)なし。豎刁(じゆてう)・易牙・開方是れなり。世を蓋ふの名を以て、而して其の未だ形(あらは)れざるの患(うれひ)を濟(な)す。治を願ふの主(しゆ)、賢を好むの相(しやう)有りと雖も、猶ほ將に擧げて之を用ひんとす。則ち其の天下の患を爲さんこと必然にして疑無き者(こと)、特(ただ)に二子の比なるのみに非ざるなり。孫子曰く、善く兵を用ふる者は、赫赫の功無しと。斯の人をして用ひられざらしめば、則ち吾が言は過と爲りて、斯の人に不遇の歎(なげき)有らん。孰(たれ)か禍の此に至るを知らんや。然らずんば天下將に其の禍を被(かうむ)りて、吾知言(われちげん)の名を獲んとす。悲しいかな。

(現代日本語訳)
物事にはそれより他になりようのない事があり、理屈にはそれより他に考えようのないことがあるものである。だが、それは広い天下の中で心が落ち着いていて、少々の変化に動じない人だけが、その事や理のほんの微かな兆しを見ただけで、それが顕著な事実となって現れた時のことが分かるものなのである。月が暈(かさ)をかぶると風が吹くとか、柱の土台石つまり礎石(いしずえ)が湿気を帯びると雨が降るなどということは、誰でも知っている。が、俗世界に於ける勢力の消長や、物事の道理と自然の成り行きとの間の相互関係は、距(へだ)たり過ぎて分かり難いとか、変幻自在で推測できないとかいうが、天地間に於ける陰陽の道理の難しさに比べればそれ程のこともないであろう。ところが賢者と呼ばれる人たちでそれが分からない人がいるのは何故であろうか。好き嫌いの心がその人の心を内側からかき乱し、利害打算がその人の心を外側から奪って行くからなのである。昔、山巨源は王衍に会った後で、「天下の人民たちを不幸に陥れる者は、きっとこの男であろう」と言った。郭汾陽は盧杞に会った後で、この人物が自分の望みを達成したならば、私の子孫たちは一人残らず殺されるであろう」と言った。現在になってから言ってみれば、彼らのそう言った理由には勿論頷ける点があるのである。私の目から見るならば、王衍という人物は、容貌、言語のすぐれていたことから、世間を欺いて実力も伴わないのに高位高官と名声を盗んだということは勿論あろう。しかし、他人が危害を加えた訳でもなく、他人に貪り求めた訳でもなく、極く自然のままに世間とともに浮き沈みしたのである。かりに晉に惠帝(という大馬鹿天子)がいなくても、せいぜい並の天子がいたとしたならば、たとえ王衍が百人いようと千人いようと、何をたねにして天下を乱すことができたであろうか。盧杞の姦物ぶりは、勿論、国を敗亡せしめただけのものは持ってはいた。とはいうものの、学問のない文字の読めない人間で、(王衍に比べるならば)人を動かす程の容貌の持ち主でもなければ、世を眩惑する程の言語の才能の持ち主でもなかった。暗愚な徳宗でなかったならば、どうしてこんな男を用いたであろうか。そういう点から申すならば、山巨源、郭汾陽の両公が、王衍、盧杞の二人に対する憶測は必ずそうであると決まっていた訳のものとは言えないのである。ここに一人の人物がいる。この人は口には孔子の言葉を誦(そら)んじ、身には伯夷や叔斉の清廉潔白な行為をし、名誉の好きな人たちや、思うように志の得られない人たちを呼び集めて、一緒により集まって学説を作り、その学説に自分勝手に書名をつけて、顔淵や孟子の再来であると言っている。ところが実は心中には人をそこなうような気持を持っており、根性がけわしくかつひねくれていて、普通の人とは様子が変わっている。王衍と盧杞とが合わさって一人になったような人物である。その及ぼす禍害はとても口に言えるようなことではすまないであろう。大体、顔が垢で汚れれば洗うことを忘れず、衣服が垢で汚れればすすぎ洗いをすることも忘れないのは、極めて自然な人情である。ところが今やそれがそうではないのである。捕虜になって奴隷にされた者が着るような粗末な衣服を着、犬や豚が食べるような粗末な食物を食べ、囚人のような頭をし、服喪中の人のような顔のままで『詩経』や『書経』について論じている。これがどうしてその人の本当の心であろうか。何事にせよ、人情とかけ離れたことをする者が、大変な悪賢い人間でないことは稀である。豎刁・易牙・開方がこれにあたるのである。(その人物は)世間をおおい尽くす程のすぐれた名声を背負って、表には現れない災患をまとめあげている。平和を願う君主や、賢人を好む宰相がおられながら、なお(その名声に迷わされて)その人物を登用されようとしておられる。そうなればその男が天下の災患を惹き起こすことは必然であって何の疑念もないことはとても王衍や盧杞の二人の比どころではないのである。孫子は「軍隊の用い方の上手な者には、赫々たる功名はないものだ」と言っている。もしもこの人が用いられなかったとしたならば、私の言ったことは失言となり、この人は不遇の嘆きをかこつことであろう。彼によって起こる禍害が先程述べた程ひどいなどということは誰にも分からないであろう。その反対にこの人が用いられたとすれば、天下の人がその禍害を蒙って、私は人の述べた言葉の真意の分かる人間だという評判を得ることとなるであろう。なんと悲しいことではあるまいか。





















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