潛研堂文集 鏡喩(清)錢大昕
五官莫明於目面有此子而目不知烏在其為明也目龐混物而不能見吾之面假於鏡而溫焉鏡之賁不如甘鏡不求於目而目轉求助於鏡然世未嘗以鏡之助目而咎目之失明鏡何負於目哉常有任目而惡鏡者日是好苦我吾自有目烏用鏡為久之視世所稱美人鮮富意者而不知己面之奏予泰然謂美莫已若左右匿笑客終不悟悲夫
原文のあるサイト
潛研堂文集 : 五 - Chinese Text Project
現代中国語訳のあるサイトより
https://rueylin0119.pixnet.net/blog/post/326087712-%E2%96%B3%E6%97%81%E4%BA%BA%E6%84%8F%E8%A6%8B%E4%B9%8B%E5%BF%85%E8%A6%81----%E9%8C%A2%E5%A4%A7%E6%98%95%EF%BC%9A%E9%8F%A1%E5%96%BB%28%E7%BF%BB%E8%AD%AF%29
現代中国語訳を参考にして、私なりに意味を考えてみました。
(拙訳)
五官の中で目ほど真相を見抜くものはなかった。しかし、顔の上にあるほくろは、目には却って見えないが、その実情を見抜くのはどこにあるのか?目は別の物が見えるが、自分の顔は見えなくて、鏡の助けを借りてはじめて見える。鏡の貴重さは目に及ばなくて、鏡は目の助けを必要としないが、目は鏡の助けを借りないといけない。しかし、世間の人は鏡で以て目を助けないで、反対に目が真相を見抜けるのを咎める。実際には鏡のどこが目に及ばないのか?目を信じて鏡を嫌悪する人が言った。「鏡は私をたいへん苦しめる。私自身に目があるのに、どこに鏡を用いる必要があろうか?」長いときが経ち、世間の人たちが称賛するところの美人に完璧なのは極めて稀で、自分の顔の上にほくろがあることを知らないで、なおさら泰然自若として「私より美しいのはいない」と言う。周囲の人は皆、忍び笑いするが、本人はいつまでもわからない、誠に哀れだ!
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