今年最後の満月瞑想によせて
今日は今年最後の満月。瞑想会を行いました。今年はCOVID19の感染拡大一色でしたが、天の事象としては、いろいろありました。
私的に一番印象に残っているのはネオワイズ彗星の出現です。これは以前からわかっていたわけではなく、今年の3月になってから観測衛星ネオワイズ(2009年打ち上げ)が発見したものです。
土星と木星のグレートコンジャンクションも、過去200年、地のサインで起きていたものが、今年2020年は水瓶座で起き、以降、しばらくは風のサインで起きます。春分点も魚座から水瓶座へ移動しつつあると言われており、新しい2000年がやっとスタート地点についたともいえるでしょう。
これまでの古い物語が、既に機能不全に陥り、地球の気候も危機的状況にあります。新しい物語、新しい叡智(Neowise)を見出す流れに私たちはあるのでしょう。
それは、2020年に天から送られたメッセージにはっきりと記されています。
そしてこの満月は、山羊座のエネルギーにフォーカスします。
山羊は荒野をさまよい、食べ物を求めて断崖絶壁をも登っていきます。私たちは、このコロナ禍の中で荒野をさまよう羽目になっているといってもよいでしょう。欲求に従って何かを求めていけるところまで行ってみた時に、これ以上、上に行けない山頂に達します。
物質を求める、または権力を求める上昇は、もうこれ以上、行く道はないと方向転換すべき時ではないでしょうか。
また、山羊座はイニシエーションのサインでもあります。イニシエーションとは何か次の段階に移行する門を通ること。
今年の4月ぐらいに目にした、あるエッセイの一文を思い出しました。
これは何のイニシエーションなのでしょうか?
それはコロナウイルスの名前に
手掛かりがあります。コロナとは「王冠」です。
「新型コロナのパンデミック」とは
「万人のための新しい戴冠式」を
意味するのです。
(”The Coronation” by Charles Eisenstein)
https://charleseisenstein.org/essays/the-coronation/
戴冠とは自分に権威が与えられること。
誰かがつくった物語の中に生きることをやめ、誰かに預けていた力を取り戻すことが、戴冠式ともいえるかと思います。
それは自立した個人がつながっていくグループ意識を司る水瓶座の時代のはじまりに相応しいことが、起きていると言える。
ひとりひとりが真摯に自分に向き合うことで、この禍から、新しい物語のはじまり、新しい叡智、新しい希望の光を見出せますように。
今日は今年最後の満月。瞑想会を行いました。今年はCOVID19の感染拡大一色でしたが、天の事象としては、いろいろありました。
私的に一番印象に残っているのはネオワイズ彗星の出現です。これは以前からわかっていたわけではなく、今年の3月になってから観測衛星ネオワイズ(2009年打ち上げ)が発見したものです。
土星と木星のグレートコンジャンクションも、過去200年、地のサインで起きていたものが、今年2020年は水瓶座で起き、以降、しばらくは風のサインで起きます。春分点も魚座から水瓶座へ移動しつつあると言われており、新しい2000年がやっとスタート地点についたともいえるでしょう。
これまでの古い物語が、既に機能不全に陥り、地球の気候も危機的状況にあります。新しい物語、新しい叡智(Neowise)を見出す流れに私たちはあるのでしょう。
それは、2020年に天から送られたメッセージにはっきりと記されています。
そしてこの満月は、山羊座のエネルギーにフォーカスします。
山羊は荒野をさまよい、食べ物を求めて断崖絶壁をも登っていきます。私たちは、このコロナ禍の中で荒野をさまよう羽目になっているといってもよいでしょう。欲求に従って何かを求めていけるところまで行ってみた時に、これ以上、上に行けない山頂に達します。
物質を求める、または権力を求める上昇は、もうこれ以上、行く道はないと方向転換すべき時ではないでしょうか。
また、山羊座はイニシエーションのサインでもあります。イニシエーションとは何か次の段階に移行する門を通ること。
今年の4月ぐらいに目にした、あるエッセイの一文を思い出しました。
これは何のイニシエーションなのでしょうか?
それはコロナウイルスの名前に
手掛かりがあります。コロナとは「王冠」です。
「新型コロナのパンデミック」とは
「万人のための新しい戴冠式」を
意味するのです。
(”The Coronation” by Charles Eisenstein)
https://charleseisenstein.org/essays/the-coronation/
戴冠とは自分に権威が与えられること。
誰かがつくった物語の中に生きることをやめ、誰かに預けていた力を取り戻すことが、戴冠式ともいえるかと思います。
それは自立した個人がつながっていくグループ意識を司る水瓶座の時代のはじまりに相応しいことが、起きていると言える。
ひとりひとりが真摯に自分に向き合うことで、この禍から、新しい物語のはじまり、新しい叡智、新しい希望の光を見出せますように。