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松山には「ロシア人墓地」があります。
日露戦争で捕虜となったワシリー・ボイスマン海軍大佐ら98人が故郷ロシアのある北を向いて葬られています。
松山には全国で初めて捕虜収容所が設置され、多い時には4千名、のべ6千名の捕虜がいました。
当時の松山の人口が3万人でしたから驚くべき数字です。
捕虜収容所というと、高い塀と有刺鉄線に囲まれた刑務所のようなイメージがあると思いますが、当時の収容所には公会堂や寺院が使われ、外出も自由、温泉に入ったり観劇も自由にできました。
市民とも交流し、自転車レースなども開かれました。
ボイスマン大佐が亡くなったときには盛大な葬儀まで営まれました。
当時愛媛県では、県民に対し「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた心情を汲み取って侮辱を与えるような行為は厳に慎め」との訓告を発していたそうです。
その後勃発した第二次世界大戦
終戦後にロシアが何をしたか!
終戦で武装解除をした兵隊たちばかりでなく民間人まで捕え、シベリアなどに送り、奴隷のように強制労働を強いた。
一説では34万人の日本人が命を落としたということだ。
日本人であることを誇りに思おう!