輝く愛媛の『旬』情報

魅力あふれる愛媛の話題をお送りします。

古代ハス

2012年07月11日 | えひめ花便り


今年も考古館の古代ハスがきれいに咲いてます。

古代ハスは、平成8年に中国大連市観光訪問団が松山市を表敬訪問した際に、種子の状態で贈呈されたものです。

種子は大連市の遺跡から出土した約1,000年前のものだそうです。

7月下旬ぐらいまで順番に花を咲かせるようです。



久しぶりにスケジュールの合間を縫って撮影にいったのですが、大失敗…

うかつにもカメラの設定を確認するのを忘れました…

焼きが回りました…   引退ですかねぇ~

松山総合公園の紫陽花 Part24

2012年07月07日 | えひめ花便り


またまた紫陽花シリーズに逆戻りです!


今日は未明から早朝にかけて、土砂降りと雷の嵐でした!!

松山であんなに雷が鳴り響いたのは久しぶりの気がします。

近くに何発も落ちるので、あわててPC関係の電源をコンセントから抜き、LANケーブルもはずしました。

瞬停もあり、家中の時計&タイマーがリセットされましたが、PCを守れたのでホッとしてます。






ロシア人墓地

2012年07月06日 | 愛媛のええとこ


松山には「ロシア人墓地」があります。

日露戦争で捕虜となったワシリー・ボイスマン海軍大佐ら98人が故郷ロシアのある北を向いて葬られています。

松山には全国で初めて捕虜収容所が設置され、多い時には4千名、のべ6千名の捕虜がいました。
当時の松山の人口が3万人でしたから驚くべき数字です。

捕虜収容所というと、高い塀と有刺鉄線に囲まれた刑務所のようなイメージがあると思いますが、当時の収容所には公会堂や寺院が使われ、外出も自由、温泉に入ったり観劇も自由にできました。

市民とも交流し、自転車レースなども開かれました。

ボイスマン大佐が亡くなったときには盛大な葬儀まで営まれました。

当時愛媛県では、県民に対し「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた心情を汲み取って侮辱を与えるような行為は厳に慎め」との訓告を発していたそうです。



その後勃発した第二次世界大戦

終戦後にロシアが何をしたか!

終戦で武装解除をした兵隊たちばかりでなく民間人まで捕え、シベリアなどに送り、奴隷のように強制労働を強いた。

一説では34万人の日本人が命を落としたということだ。


日本人であることを誇りに思おう!

松山総合公園の紫陽花 Part23

2012年07月05日 | えひめ花便り


ちょっとアップが続いたので…

今日も何だか変なお天気でした。




「日本は無条件降伏したことを思い出せ!」というロシア高官の発言。

何の対応もしない政府

何事もなかったようにくだらない記事ばかりを流すマスコミ

本当に日本は死んでしまったようです。




松山総合公園の紫陽花 Part20

2012年07月02日 | えひめ花便り


イベントも無事終了しました!


今日の松山は、朝は結構降っていたのですが、その後晴れたようで、かなり蒸し暑い一日だったようです。

私は朝から冷房のきいた部屋の中だったので外のことはわかりませんでしたけどね…

でも、部屋の中でも動きまわっていたので汗だく! 

黒のポロシャツにはくっきりと汗の跡ができてました!!


「いってこ~わい!」は標準語では「いってきま~す!!」

伊予の人は「こ~わい!」とか「くるけん!」とよく言います。

でも決して「戻ってくる」という意味ではありません!!

笑い話で「帰ってこ~わい!」と言って帰った友達を戻ってくるもんだと、ず~っと待っていたという話がありますけどね!!