すべては皇室に繋がっている

天皇の正室は皇族や五摂家に限定されていたが子供の母親になる側室にはその要件が適用されない 狭い範囲でのお妃選びでも生物学的な問題が生じなかった理由

昭和天皇の第1皇女子の成子内親王は、東久邇宮家の長男で跡取りの盛厚王と結婚した。


盛厚王の父親の東久邇宮稔彦王は成子内親王の母親である香淳皇后の叔父にあたる。

つまり、成子内親王は母親の従弟と結婚したのだ。

それだけではない。


盛厚王の母親は明治天皇の第9皇女子の聡子内親王。

成子内親王の父親の叔母、昭和天皇の叔母にあたる。 

昭和天皇にとっても娘婿は自身の従弟なのだ。


香淳皇后の父親の久邇宮邦彦王と東久邇宮稔彦王は異母兄弟。

大正天皇と聡子内親王も母親が違う。

東久邇宮家が2代続けて天皇の娘を妃に迎えられたのは、

盛厚王が、

昭和天皇と祖母が異なるイトコ

香淳皇后と祖母が異なるイトコ

と通常のイトコ関係より血縁関係が遠かったからだろう。


東久邇宮家は戦後皇籍離脱し、東久邇家となった。

成子内親王は3人の男子に恵まれ、曽孫にあたる世代には悠仁様と年の近い男子が4.5人居るらしい。

悠仁様に男子が誕生せず、女子に旧宮家男子の婿を取りたいとなった時、東久邇家から婿が出せるだろう。

年齢の釣り合う旧宮家男子が居なければ女子皇族との縁組は実現しない。


下の写真は昭和天皇ご一家の写真。

何気ない家族の写真に見えるが、序列に合わせた並び順や立ち位置となっている。

昭和天皇は1番左側だが、家族が列をなして歩いてきた、その先頭という事が分かる斜め前方の立ち位置。

上皇陛下は家族の中央前列。

第1子の成子内親王は中央後方。

後方に夫の盛厚王。
2人の第1子の信彦王が乗っている乳母車を押す上皇陛下と常陸宮殿下。

孫の信彦王は立派な塗りの乳母車に乗っていて昭和天皇の初孫として厚遇を受けている事が分かる。




中央に成子内親王。





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