しかし
大半の人達は子供の頃から、
★★★★何らかの不安や周囲の環境から
悪意や不安に晒され続けている。
このため自分のハートの隙間を
『愛の代替品』で埋めるため意識せず行動する。
だから
だから
自己のハートに
★★★『愛が溢れる前の行為は
エゴの偽善』を常に孕んでいる。
しかし『それこそ人間』なのだ。
人は、自分のハートに「不足している
しかし『それこそ人間』なのだ。
人は、自分のハートに「不足している
と感じる愛を求めて行動』する
「健気なつぼみのハート」を識る時。
そんな自分が『それでも真剣に』
そんな自分が『それでも真剣に』
行動するから「自分を愛せる」のだ。
ゆえに
ゆえに
『不完全な自己』を識りながら
☆☆☆「行動を続ける」人だけが、
☆☆☆☆『自己受容の真の意味』を理解する。
それは片想いの恋にも
それは片想いの恋にも
☆☆☆『出逢いの奇跡を感謝すること』ができる。
『魂に愛のつぼみ』を持つ存在と
同様のピュアな意識だ。
☆☆☆☆目的や意図、成果から離れて
☆☆☆☆目的や意図、成果から離れて
『時空の大河に身を委ねる勇気在る
ハートの持ち主』だけが、
『泥にまみれながら大輪の花』を
咲かせる存在だと気づく。
人の為に『なれない自分』を知り、
それでも『不器用に前に進み続ける存在』
だから『そんな自分自身に愛が溢れる』のだ。
その時あなたに
その時あなたに
☆☆☆『無我・ 利他の蓮の花』が
ハートに咲き誇っているだろう。
合掌
叡空拝