質問・「他に好きな人ができた」
仏教でも同一人物の心の振り幅を
『自分を』責めることも、誉めることもない。【続く】
と恋人にふられました。
初めは、彼が幸せならいいと祈りました。
ところが、私と付き合っている時
初めは、彼が幸せならいいと祈りました。
ところが、私と付き合っている時
から二股かけられていたことを知り、
今は悲しみから憎しみに変わりました。
こんな自分自身の気持ちも嫌になりますが、
こんな自分自身の気持ちも嫌になりますが、
この感情をどうしても拭えません。
どうしたら平穏な気持ちに戻れるでしょうか、ご教示下さい。
どうしたら平穏な気持ちに戻れるでしょうか、ご教示下さい。
叡空・人は誰しも『複数の自分』を持っている。
仏教でも同一人物の心の振り幅を
「六道」と言っている。
人に☆☆☆『いい人と悪い人がいるわけではない』。
☆☆☆☆☆状況によって『よいと感じる人にも
人に☆☆☆『いい人と悪い人がいるわけではない』。
☆☆☆☆☆状況によって『よいと感じる人にも
悪いと思う人にもなる』からだ。
宗教理学では、これを『縁』という。
遺伝子科学では、私達は10代前まで
宗教理学では、これを『縁』という。
遺伝子科学では、私達は10代前まで
先祖を遡ると2千人以上の直系の親がおり
『これら先祖達が持っていた才能と可能性
『これら先祖達が持っていた才能と可能性
』遺伝子をすべて受け継いでいることがわかっている。
その中には当然、聖者や殺人者もいるはずだ。
誰しも時の大河の流れのなかで、
その中には当然、聖者や殺人者もいるはずだ。
誰しも時の大河の流れのなかで、
同じような遺伝子、『善・悪の行為の種』を持っている。
そして、目覚めている遺伝子は
そして、目覚めている遺伝子は
★★★★★『その時々の縁』で変わってくる。
だから
だから
☆☆☆☆☆『誰しもがその時々「都度の関係性」
の中で』善人にも悪人にも成り得るのだ。
自分では『意図していない』のに。
どれもがマインドの取りうる幻の姿で、
自分では『意図していない』のに。
どれもがマインドの取りうる幻の姿で、
☆☆☆☆☆それは『ハートの本質ではない』。
あなた☆☆☆『自身は愛そのもの』だから。
愛とは『善であり悪でもあり、
あなた☆☆☆『自身は愛そのもの』だから。
愛とは『善であり悪でもあり、
☆☆☆☆☆それを超えるもの』。
だから、あなたは決して
だから、あなたは決して
『自分のマインドの動きに惑らわされる必要はない』。
『自分を』責めることも、誉めることもない。【続く】
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