鬼井江の世界(gooブログ)

中山道69次 歩き旅その3

中山道歩き3日目(最終日)

 午前5時30分ごろに目が覚めた。部屋に置いていたものをまとめて、リュックに詰め込んだのち、菓子パンを食べた。6時前にチェックアウト。まだ暗かったが、JR西川口駅へ。まだ薄暗く寒かった。

 JRを乗り換え、巣鴨駅に到着。昨日の中山道歩き、中断地点(JR巣鴨駅近く)へ。やや明るくなってきていた。国道17号線(白山通り)の歩道に建てられている「徳川慶喜屋敷跡」碑をもう一度確認後、歩き旅をスタートした。午前6時40分ごろになっていた。ゴールの日本橋まで、約6km地点でした。

 国道17号線が中山道そのものだったので、わかりやすかった。「本郷追分」という地点で右折し、東京大学の塀に沿ってしばらく行くと、有名な「赤門」があった。以前行ったときは、赤門から大学構内に入れたのだが、今回は「閉鎖」されていた。東京大学の敷地は加賀藩上屋敷跡ゆえに赤門も加賀藩前田家のものだったが、現在は「重要文化財」。

 しばらく歩いていくと、神田明神の山門が緩やかな坂の上にあった。時間があったので、入ってみた。時刻は午前8時を過ぎていた。空は明るくなっていた。ゴールまで約2km地点になっていた。

 交通量の多い、ビル群を眺めては、立ち止まり・・・。この中山道の道は初めてだなあ・・・と、あれこれ考えながら、ゆっくりゴール(東京日本橋の「日本国道路元標」の地点)を目指して歩いた。

 東海道歩き旅の時は、(2017年4月3日)銀座通り(=東海道)を歩いて日本橋に到着したので、中山道歩きによる「日本橋到着」は、はじめてのことでした。中山道歩きでの、日本橋「日本国道路元標」到着直前に、目に入った大きなビルは「三越本店」でした。ここに、江戸時代は「三井越後屋」があった。まさに、江戸時代はこの地点が「一等地」だったのでしょう。すぐ近くに「金座(小判などの金貨鋳造所)」もあった。銀座は有名ですが、金座は地名になっていないので、有名ではないようです。「金座」は現在、(日本橋本石町にあり)日本銀行本店の建物がどっしりと存在しています。空から見ると屋根が「円」の形に見える建物です。円の形は、横からはカメラで写せませんでした。

 午前9時過ぎに日本橋ゴール地点に到着できました。(11時ごろに着く予定でしたので、早めに大阪へ帰れそうでした。)

  ゴールした直後、「日本橋」標示のある真下の車道・中心部に埋め込まれている「日本国道路元標」をカメラに収めました。車が走っていないタイミングをとらえて、シャッターを切りました。交通量の多い道ですので、危険な車道に入って撮ることはできませんでした。すぐ近くの歩道の一部に「日本国道路元標」(実物そっくり)のレプリカが設置されていましたので、それも撮りました。外国から来たらしい女性の観光客から、「写真を撮ってほしい」とジェスチャーで頼まれ、OKしました。彼女のカメラに写っている画像を見てもらって、「OK?」と尋ねると・・・「OK」と笑顔で答えてくれました。

 数か所写真に収めてから、日本橋に近い位置に(中山道に面していないが)、英国人ウイリアム・アダムス(=三浦按針)屋敷跡碑があるということが資料に書かれていたので、探してみることにしました。資料に地図があったのですが、おおざっぱな地図だったので、わかりませんでした。しばらく、うろうろ探していたら、(地元の人らしい)高齢の女性がゆっくりと歩いておられたので、「三浦按針屋敷跡はこの辺にあるのでしょうか?」とお尋ねしました。そしたら、すぐに「もう一筋、向こうの道にありますよ」と教えてくれました。ほぼ近くまで来ていたらしく、小さな碑でしたが、すぐに見つかりました。

 また、そこから少し離れた位置にあった「松尾芭蕉住居跡碑」も探すことができました。歴史上有名な何人かが、ここ日本橋に住んでいたのだなあ・・・と思いをはせながらの「日本橋散策」になりました。  

 ちなみに、ウイリアム・アダムス(三浦按針)とヤンヨーステンは、1600年、共にリーフデ号で九州・豊後に漂着、海賊の嫌疑をかけられたが、徳川家康に救われた。彼らは、徳川家康の外交顧問に抜擢され、江戸幕府のために働いた。ウイリアム・アダムス(和名は三浦按針)の住まいは日本橋という便利なところに住んでいた。一方、ヤンヨーステンは、和名を「耶楊子(やようす)」と呼ばれ、住居も与えられた。その住居があった場所が、現在の東京駅「八重洲口」近辺。(八重洲という地名は、ヤンヨーステン(やようす)が語源。地名に(江戸時代に活躍した)外国人が影響したのですから、大したものですね。ヤンヨーステンの碑は、東京駅に近い東海道・街道筋に設置されている。)

 三越本店のビルの隣に、三井住友信託銀行がありました。どちらも中山道沿いのビルでした。ビル群に「風格」が感じられました。また、中山道から200mほど西に入ったところが「金座跡」でした。金座跡に「日本銀行本店」がありました。守衛らしき人が入口近くにおられたので、質問してみました。

 「金座跡が日本銀行本店ですね。どこかに金座跡だとわかる碑はないのでしょうか? そこで写真を撮りたいのですが・・・」と。

 「金座の碑はないですね・・・」と、優しい声で答えてもらえた。そこで、仕方がないので、日本銀行本店の一部を写真に収めた。そして、JR東京駅へ向かった。

 午前11時過ぎの普通列車に乗ることができた。(旅行前の予定時刻よりも2時間ほど早めの列車だった。) おかげで、JR堺市駅到着は、午後9時過ぎでした。東京駅から堺市駅まで、普通・快速利用の乗り換えの多い旅は、さすがに疲れました。帰宅後、ゆっくり風呂に入り、ぐっすりと眠りました。

 3日目の中山道歩きは、約6kmでした。距離は短かったのですが、有意義な歩き旅になりました。今回の旅で、中山道歩きのすべてが終わりました。 

満足、満足。 感謝、感謝。 (次からは、山陽道歩きの続きをがんばるぞ!)

 

東京大学 赤門 (閉じられたままになっていました。)

神田明神の門(この門が中山道から見えていた) 坂を上ったところの立派な門をくぐると、本殿があった。

730年の創建で、祭神は平将門とのこと。古くからある神社でした。境内に椅子があったので、休憩しました。

日本橋の字体は 徳川慶喜氏が書かれたものとのこと。この車道の真ん中に「日本国道路元標」が設置されているが、見えにくい。

中山道・東海道など江戸時代五街道の起点(到達点) この写真では、何とかわかりますが・・・。

江戸時代、「日本橋の浮世絵」でよく知られている日本橋の現在の様子です。車道の真ん中に「日本国道路元標」が埋め込まれている。こちらが本物。車の量が多くて・・・カメラに収めるのが、大変でした。

日本国道路元標(レプリカ) こちらは字が読ました。

東京市道路元標 背後に写っている建物は三越本店(三井越後屋→三越)

三浦按針(ウイリアム・アダムス)住居跡碑

日本銀行(建物の一部) 空から見ると屋根が「円」の形をしている建物です。ときどき日銀問題のニュースの時、空から撮影した「円」の形の建物が画像で流れています。

(以上です。)

コメント一覧

鬼井江
柏獅子さんへ
コメントありがとうございました。中山道歩き、数珠繋ぎではなかったですが、約7年かかりましたが、完歩しました。
年賀状の発送はかなり少なくしました。来年は、もっと減りそうです。喜寿(数え年で77歳)を元気に通過できました。柏獅子さんも元気そうで何よりです。T君も予想以上に元気そうでした。(私が知っている)高校時代の友人たち、まだまだみんな元気そうなので、喜んでいます。良いお年をお迎えください。(鬼井江)
柏獅子
鬼井江さん
中山道走破おめでとうございます! 何年もかけて、東海道、中山道と歩き続ける、根性と体力に敬服します。せっかくの日本橋到着の日に野暮用でお迎えできず、申し訳ありませんでした。東海道をのぼってこられて、もう7年になりますか。あの時の満面の笑顔が思い出されます。まだ、山陽道を歩くとの由、元気に走破してください。名古屋ではT君に会い、歓談したとのこと、懐かしいことです。ブログは楽しみにしています。賀状はだしていませんが、来年もよろしくお願いします。
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