青葉城恋唄

仙台生まれ、仙台育ちの40代女性。
日々の生活で考えたことを記す雑記帳。

読書感想「壬生義士伝」

2009年09月10日 | ほん
「おもさげながんす」by吉村貫一郎

『壬生義士伝』
著:浅田次郎
発行:文芸春秋社

以前に映画を観てからずっと読みたかった本。
古本屋で手に入れて、時間をかけて読みました。

映画の感想で「吉村の自害の場面が間延びしている」と書いたんだけど
原作を読んでそれも当然だと考えを改めました。
なぜなら原作は上巻の最初から下巻の途中まで
ずっと貫一郎の自害する前の独白が続いていたから。
これに比べたら映画の方は短いもんです。
どうせだったら映画の方も
貫一郎の自害までの場面を挿入する形にしたら良かったのに。

話はこの貫一郎の独白などを間に入れながら
大正の時代を舞台に、吉村貫一郎を知る人物たちよって
語られるという形態で進められる。

吉村が南部藩で助教を勤めていた頃の教え子、
新撰組で同時期に入隊した隊士、
南部藩での上司にあたり、幼なじみでもある大野の
中間をしていた佐助という人物。
などなど。

映画で主要な語り部として登場する斉藤一もいましたが
小説では多くの中の一人、という感じ。

浅田次郎の小説はたぶん「地下鉄に乗って」に続き2冊目。
うまいな~と感心してしまった。
時代小説を最後まで読んだのはこれが最初かも。
そして時代小説で泣いたのも。

妻や子を食べさせるために脱藩した吉村。
新撰組に入ったのは勤皇の志からではない。
人を斬るのは自分が生きるため。
自分が生きて妻子を生かすため。

みよとのエピソードが心打たれました。
妻子が故郷にいるのに他の女性に惹かれるっていうのはなんですが。
みよが自分を好いているのを知っていて、
自分も憎からず思っていて、
でも自分が一番大切に思っているのは家族で
それをみよにはっきりとは言わずにいるのは吉村の優しさ。
それって残酷なんだけどな~。

最後に出てくる大野の書状が泣ける。
吉村の生き方そのものよりも、
かつては一緒に遊んだ友と身分の違いができてしまったこと、
それによって最後には友を死に追いやらなければならなかったこと、
おおっぴらに友と呼べなくなったことで
体裁や大義名分に囚われて生きなくてはいけなかった
吉村と大野の関係がすごく悲しい。

死んで初めて友の名を呼べたというのも泣けます。
もう一回読もうっと。
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