調理師会の要請で、昨年から週1日のデスクワークをしています。
主に受け持つ仕事が、会報誌の作成です。
令和3年度は、会報誌の発行を年1回、市の委託事業がコロナ禍で実施できないことを受けて、代替え事業として冊子の発行を行いました。
4月になり、今年度の事業もスタートしました。
今年度の会報誌の発行は8月を予定しており、編集企画を立てないといけません。
事業計画を考え、会員の皆さんにお伝えするべき内容をこれまでに発行してきた会報誌から検討していると、あれッ!と思える文章が・・・
「なんだか、読んだことがある文章だけど・・」
そのはず、最後の記名は私の名前になっています。
「あぁ、懐かしいなぁ・・」
この文章をどのような依頼を受けて書いたのか、思い出せませんが・・
今日は、そんな気持ちに動かされて、ブログに投稿します。
2016年7月1日 発行
『私の三大野菜』
三大野菜?って、三大好きな野菜なのか、三大事野菜、三代表野菜のことかと「大」の字を使うのに迷いました。
キュウリとカボチャ、ピーマンの話ですから、きっと三つの大好きな野菜ということでしょう。60代後半になった今、フッと気がつきました。
「私は、キュウリが好きなんだ」
気がついたきっかけは、久しぶりに訪れた孫たちにキュウリの酢の物を作った時です。
「バアバアの酢の物だ。好きなんだよ」
と言ってお代わりをしました。
以前、娘宅に行くとよく夕食に酢の物を作っていました。幼い孫たちが夕食の準備をしている私の所に来ると「あ~んして」と言って口にキュウリの酢の物を入れてあげました。
お腹をすかして夕食を待っていた孫たちにとって、キュウリの酢の物はおいしかったことでしょう。
小・中学生になった今、孫たちにとって、キュウリの酢の物は好物の一
品になっています。
これまでに私の献立に使われたキュウリの量は、どれほどになることでしょう。
カボチャは、黒皮カボチャを筆頭にどのカボチャも好きです。
その好きという思いは、子供の時、父がカボチャを栽培していたことに始まります。
トンネルハウスで栽培しており、寒い日はハウスにコモを被せる作業をさせられました。遊びたい盛りの私にとって、いやいやの手伝いでした。
でも、その時カボチャの花や実の美しさを見ました。
だんだん黒皮に成長したカボチャの実の完熟度合まで判断できるようになりました。勿論、炊き方によってはビチョビチョの煮上がりで、おいしくない時もありましたが・・・。
日本カボチャの黒皮も西洋カボチャにその地位を奪われてしまいました。今は、スーパーで見つけても高価で、すぐには口にはいりません。
でも、今でも黒皮カボチャをおいしく煮る自信はありますね。
多くの子どもたちが嫌いな野菜にあげるピーマンを、私の兄がハウス栽培を始めて40年余り。宮崎ピーマンと言えば誰もが知るところだったのでは?今は、茨城産を多く見かけます。
冬、青物が少ない時期にハウスで収穫したピーマンを出荷する兄たちの姿が遠い思い出であり、現在の兄の姿でもあります。
ハウス管理は大変慎重に行われ、寒いと重油を焚いて温度を上げ、高温の時期はビニールの窓を開けて放熱します。
ハウスの中は清潔に整頓されています。伸び伸びと育ったピーマンが実をつけているハウス内の景色は、野外の牧場を見ているような広がりです。
大きくなりすぎて出荷できないピーマンは、炒め物や天ぷらで食卓に上がりました。新鮮で安心なおいしい食材でした。
結婚して食事作りに追われる中でも、スーパーで買うピーマンは「宮
崎ピーマン」でした。
今、実家では兄がピーマン栽培、甥がキユウリ栽培と忙しくしています。
三大好き野菜は、私の人生に大きく係っている野菜たちです。栄養豊かで、おいしい野菜が芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、それを食することができたことに感謝です。
2017年7月1日
『私の三大葉物野菜』
私は食べることが大好きです。何を食べた時最も幸せか?
私の味覚を探ると子どもの時に何を食べたかに辿り着きます。子どもの時に好きだったものが今でも好きなのです。
私が好きなものは、昔ながらの和食である「白和え」です。惣菜として食べた白和えですが、お祝いの御膳にも必ず出ていて、私にとってはご馳走でした。
私が中・高生になると、台所を手伝っていた姉たちが結婚して、私も台所に立つようになりました。
そうなると自分の好きな物を作ることになり、白和えが食卓に上る回数も増えました。勿論、白和えの作り方は、母や姉達のまねごとであり、母流の調理法だったのかもしれませんが・・・。
現在、スーパーなどで見る白和えは、主野菜にほうれん草を使っています。私が白和えに使った野菜は、ふだん草(白茎種(西洋種))でした。少し硬めの幅広の白い茎と厚みと艶のあるグリーンの葉っぱです。
先に白い茎を熱湯に入れ、少し柔らかくなったところに葉っぱを茹でます。適当な大きさに切ったふだん草を布巾で絞り、水気を除きます。
調味料は味噌とごま、砂糖。炒ったごまを油が出るまですり鉢で摺込みます。焼いたイリコや落花生も加えて摺込むと一段と美味しくなります。そこに砂糖と味噌を加えてよく練り込みます。
豆腐は、重しで水切りをした後に布巾で絞ります。水が切れた豆腐をすり鉢の調味料と混ぜ合わせます。そこにふだん草を入れると「白和え」の出来上がりです。
食卓に栄養豊かで美味しい白和えが一品加わりました。
日常食のみそ汁に使ったのが菜っ葉です。
菜っ葉は白菜の幼苗だと思っていたことがありましたが・・
菜っ葉とは色々な葉物野菜のことのようですが、私の菜っ葉は山東菜のことです。
菜っ葉と油げと豆腐のみそ汁。菜っ葉と油げとソーメン。菜っ葉とジャガイモと卵のみそ汁。具を何に変えても舌に感じる菜っ葉の味が変わりません。
菜っ葉の味と味噌が素朴に混ざり合って美味しいと感じるのです。この味が口中に広がると胃がすっきりした心地よさなのです。
大切な思い出がつまった野菜が高菜です。店頭の高菜の漬物は、熟成した独特な味で多くの人に食されていますが、私が食べていた高菜の漬物は母の手作りの生高菜の塩漬け。歯応えの有る茎の部分が好きでした。
今は販売されている高菜の漬物を食べますが、やはり高菜の漬物でご飯を食べた後は、胃がすっきりして、味覚が満たされた心地よさを感じます。
高菜は母のささやかな収入にもなりました。畑一面に育った高菜を、母が間引きしながら2,3株の束にしました。1回に5,6束を作り、リヤカーで夕食の準備をしているお宅に伺って、売っていました。
一束100円位だったのか・・。当時は豆腐が20、30円位の時ですから、夕食の買い物ができた訳です。
関東地方では高菜の畑を目にしませんが、フェリーで北九州に上陸し、車で福岡に向かった時、山間に広がる高菜畑に出会いました。
”あぁ、九州に帰ってきたなぁ”
と安堵感を持ちました。
ふだん草と菜っ葉、高菜から豪華料理はイメージできません。言うなれば私が庶民であり、九州人であることを証明している野菜ですが、私を
幸せにする野菜でもあります。
会報17号と18号に掲載した文章ですから、少し長くなりました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
5年、6年前に書いた文章になります。
読み返していて、私の思いは表現できているなあ・・と思いました。
~が、読んでこられた方にとって、関心の深い心情であるかどうか・・?
さりながら、私自身は、私を創り上げた源流が、ここに脈々と流れたことを感じることができました。
大切な文章です。
桜が満開の季節です。