もう人生を振り返るのに十分な年を生きてきました。
でも、青年になり、大人になって仕事や結婚といった時期を生きてきた今ですが、心では30代、40代の自分と何も変わっていないと感じています。
それなのに、電車やバスに乗った時に、席を譲られるという衝撃的なショックを、受けることが多くなりました。
「私自身としては何も変わっていないのに、外見的には高齢なんだなあ」
この事実、平等に分け与えられた時間が、私の中をさらさらと留まることなく流れていくということだけは、止めようがないのですね‥。
沢山な時間を思い存分生きてきながら、もっと若い時と同じ時間の過ごし方で生活したいというのは贅沢ですか‥?
いいえ、きっとそれは贅沢と表現される心の在り方ではなく、個人が最も自由に選択できる意志の持ち方にすぎないかもしれません。若く見られたいというのではなく、いつも何かに情熱を持ち、チャレンジする精神力を失わないで生きることを選択する私でありたいのです。
なんだか訳のわからない言葉を並べていますが‥
「心を何かに縛られずに生きてきたか?」と自身に問うなら、60%ぐらいは、自由に生きることができたと答えることができそうです。
幸せ度が高いですね。その分、夫や子供の幸せ感度は、低い数値だったかもしれませんが‥。「ありがとう」、「愛しています」等々を言った回数は‥?感謝の言葉を言わずに過ごしてきたことに、反省するばかりです。
結婚してすぐに「私は人間として生きたい」と夫とケンカしました。女性としての縛りを巻きつけたくなくて、必死で言葉で返してのケンカでした。そうしているうちに子育てに、周囲の奥さんたちの姿に、常に対等でありたい考えていた自分の姿と違うものを見つけ、「ああ、夫婦ってこんなものなんだなあ」と思った瞬間がありました。こうして対峙していた心の棘の部分は溶けたように思います。
それでも、自分を通す心髄は変わらず、今日まで、「自由に生きる」ってことができたと判断し、周囲に感謝します。どんなところで自由だと判断するのかは、それぞれなので事例に上がりません。言えることは、心を見つめると、何かに縛られて判断を曲げる、行動を取りやめるなどの選択をしない私でいることができたことです。
現在は、家庭生活においても自由を獲得し、仕事に集中できる状況です。パソコン好きの私ですから、WEB関係の技術も、もっと習得して収益につなげたいとチャレンジの意欲でいます。
正直な話、このブログもそのチャレンジの証なのです。
😁 今、YouTubeでとても勉強になるのがmanablogさんの
話です。リンクを紹介しますので聞いてみてください。
😊 今日はまる系の花をパチリしました。