処感

日々、想うままに綴る言の葉の置き場
My dear Life!

*惻隠の情

2006-12-09 05:43:07 | 読書
「惻隠」という熟語を「国家の品格」(藤原正彦氏著作)という新書の中でみつけた。
否、みつけたというより本当に久し振りに再会したという方が適切。
なんと素敵な言の葉なのだろうとまた新たに素直に思えた。
日常生活ではあまり頻繁には使われない言葉だけれど、日本人の心の故郷として
常にあった「情」であったが感覚としてわかるのでストンと私の心の奥底に落ち着いて座った。書の中で「卑怯を忌む」ともあり共感した。

日本にあった武士道(新渡戸稲造)の精神を見直し、国語古典を大切にして
日本古来にあった情緒文化の誇りを取り戻そうという主旨で書かれていて
読み進めながら、何故この新書がベストセラーになったのか理解もできた。

今、日本人は本来の自分を見失い自信を損なってしまうという現実を抱えている。
ではどうしたらいいのか、どうしたらこの現状を回復できるのか?という
問題を解決するヒントが書かれているからではないだろうか。

「他者への配慮」にも通じる積極的な善意の発露としても、「惻隠の情」は
今も生きて行く上で欠かせない要素であると感ずる。




仁(じん)とは中国の思想界の美徳の一つ。
主に他人に対する優しさを表し、儒教における最重要な徳として古代から現在に至るまで
中国人の倫理規定の最重要項目となった。孔子は君子は仁者であるべきと説いた。

孟子は惻隠の心が仁の端(はじめ)であると説いた。
惻隠の心とは同情心のことであり、赤ん坊が井戸に落ちようとしているとき、
それを助けようと思う心と説いた。

孟子は「人間の本性は善である」と考えた(性善説)。
人間には、他人が大変な目に遭っているのを見ると、そのままには放っておけない、
そんな生まれながらの気持ちがある。これを「忍びざるの心」とも「惻隠(ソクイン)の情」ともいう。

赤ん坊が井戸に落ちようとしている。
普通の人ならば、これを放っておく気持ちにはなれない。
何とか助けようとするだろう。助けようとする瞬間には、
赤ん坊を助けてその親からお礼をもらおうとは考えないだろう。
たいていの人間は、お礼をアテにすることもなく赤ん坊を助けるだろう。
これは人間の本性が善であることの証明である。
この気持ちを「惻隠の情」という。
惻隠の心は仁の端緒(タンショ。芽生えという意味である)であり、
これが大きく発達すると本物の「仁」となる。

「故事百選」惻隠の心は仁の端なり 参照


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