大阪市を4つの特別区に再編する「特別区協定書」。
令和7年(2025年)1月1日の大阪市消滅・4特別区誕生に向けた動きが本格化しています。
そこで、
その協定書案をじっくり読み解いていきたいと思います。
第1弾の本日は、
「特別区の名称及び区域等」です。
大阪市は次の4区に替わります。
新淀川区・・・現此花区・港区・西淀川区・ 淀川区・東淀川区
・ 一人当たり自主財源額85.7千円(H27決算)
・ R17人口52万9千人(H27 59万6千人)
新北区・・・北区・都島区・福島区・東成区・旭区・城東区・ 鶴見区
・一人当たり自主財源額102.4千円(H27決算)
・ R17人口70万2千人(H27 74万9千人)
新中央区・・・中央区・西区・大正区・浪速区・住之江区・住吉区・西成区
・ 一人当たり自主財源額101.3千円(H27決算)
・ R17人口62万4千人(H27 71万人)
新天王寺区・・・天王寺区・生野区・阿倍野区・東住吉区・平野区
・ 一人当たり自主財源額88.8千円(H27決算)
・ R17人口55万4千人(H27 63万6千人)
区割りの考え方は次の条件を基本としているようです。
◆ 各特別区における財政状況の均衡化が図られるよう最大限考慮する
◆ 各特別区間における将来(R17を想定)の人口格差を概ね2倍以内とする
◆ これまで地域において築きあげてきたコミュニティを考慮し、過去の合区・分区の歴史的な経緯を踏まえる
◆ 特別区内における住民の円滑な移動や住民間の交流を確保できるよう、鉄道網の接続や商業集積を考慮する
◆ 災害対策について、防災上の視点を出来る限り考慮する
1つ目や2つ目は上記の通りでだいたいわかります。
3つ目の歴史的経緯ですが...。
新淀川区・・・此花区〔1925年西区(一部旧北区)から分区→1943年福島区が分区〕
・港区〔1925年西区(ごく一部旧北区)から分区→1932年大正区が分区〕
・西淀川区〔1925年編入→1943年福島区が分区〕
・ 淀川区〔1974年東淀川区から分区〕
・東淀川区〔1925年編入→1943年大淀区が分区→1974年淀川区が分区〕
新北区・・・北区〔1879年旧北区誕生→1943年東淀川区から大淀区が分区、都島区・福島区が旧北区から分区→1989年合区〕
・都島区〔1943年旧北区・旭区から分区〕
・福島区〔1943年旧北区・此花区・西淀川区から分区〕
・東成区〔1925年編入→1932年旭区が分区→1943年城東区・生野区が分区〕
・旭区〔1932年東成区から分区→1943年都島区が分区〕
・城東区〔1943年東成区・旭区から分区→1974年鶴見区が分区〕
・ 鶴見区〔1974年城東区から分区〕
新中央区・・・中央区〔1879年東区・南区誕生→1925年浪速区(南区)・天王寺区(東区・南区)が分区→1989年合区〕
・西区〔1879年誕生→1925年此花区・港区が分区〕
・大正区〔1932年港区から分区〕
・浪速区〔1925年南区から分区〕
・住之江区〔1974年住吉区から分区〕
・住吉区〔1925年編入→1943年阿倍野区・東住吉区が分区→1974年住之江区が分区〕
・西成区〔1925年編入〕
新天王寺区・・・天王寺区〔1925年東区・南区から分区〕
・生野区〔1943年東成区から分区〕
・阿倍野区〔1943年住吉区から分区〕
・東住吉区〔1943年住吉区から分区→1974年平野区が分区〕
・平野区〔1974年東住吉区から分区〕
新特別区と違う区からの行き来に下線を入れてみましたが、
必ずしも歴史的経過を考慮したとは言えない状況に見えます。
特に西区と生野区は違う気がしますね。
それにしても西成区は編入してから大きな変動もなくここまで来ていることがこれでわかります。
将来人口はあくまで「将来」ですから、
歴史的経過はもっと見るべきではと個人的には思います。
そういう意味では、
鉄道や商業集積の考慮はあまり関係ないと思われまが、
次のように分けていると思われます。
新淀川区・・・新大阪駅、十三駅、USJ、天保山
新北区・・・大阪駅、梅田駅、京橋駅、鶴見緑地
新中央区・・・難波駅、新今宮駅、大阪城、通天閣、住吉大社、京セラドーム大阪、靭公園
新天王寺区・・・天王寺駅、阿倍野駅、あべのハルカス、長居公園
意外と新北区が弱い結果になっていますね。
防災上でいうと、
南海トラフでは新天王寺区以外は被害が大きく、
上町断層帯ではすべての区で被害を受ける、
つまり特別区内での分散はあるのかもしれませんが、
大阪市24区のスケールメリットはなくなります。
とりあえず個人的な見解をつらつらと述べてみましたが、
大阪市内のブロック化自身はすでにいろんな分野で行っています。
次回はその辺を深堀してみます。
令和7年(2025年)1月1日の大阪市消滅・4特別区誕生に向けた動きが本格化しています。
そこで、
その協定書案をじっくり読み解いていきたいと思います。
第1弾の本日は、
「特別区の名称及び区域等」です。
大阪市は次の4区に替わります。
新淀川区・・・現此花区・港区・西淀川区・ 淀川区・東淀川区
・ 一人当たり自主財源額85.7千円(H27決算)
・ R17人口52万9千人(H27 59万6千人)
新北区・・・北区・都島区・福島区・東成区・旭区・城東区・ 鶴見区
・一人当たり自主財源額102.4千円(H27決算)
・ R17人口70万2千人(H27 74万9千人)
新中央区・・・中央区・西区・大正区・浪速区・住之江区・住吉区・西成区
・ 一人当たり自主財源額101.3千円(H27決算)
・ R17人口62万4千人(H27 71万人)
新天王寺区・・・天王寺区・生野区・阿倍野区・東住吉区・平野区
・ 一人当たり自主財源額88.8千円(H27決算)
・ R17人口55万4千人(H27 63万6千人)
区割りの考え方は次の条件を基本としているようです。
◆ 各特別区における財政状況の均衡化が図られるよう最大限考慮する
◆ 各特別区間における将来(R17を想定)の人口格差を概ね2倍以内とする
◆ これまで地域において築きあげてきたコミュニティを考慮し、過去の合区・分区の歴史的な経緯を踏まえる
◆ 特別区内における住民の円滑な移動や住民間の交流を確保できるよう、鉄道網の接続や商業集積を考慮する
◆ 災害対策について、防災上の視点を出来る限り考慮する
1つ目や2つ目は上記の通りでだいたいわかります。
3つ目の歴史的経緯ですが...。
新淀川区・・・此花区〔1925年西区(一部旧北区)から分区→1943年福島区が分区〕
・港区〔1925年西区(ごく一部旧北区)から分区→1932年大正区が分区〕
・西淀川区〔1925年編入→1943年福島区が分区〕
・ 淀川区〔1974年東淀川区から分区〕
・東淀川区〔1925年編入→1943年大淀区が分区→1974年淀川区が分区〕
新北区・・・北区〔1879年旧北区誕生→1943年東淀川区から大淀区が分区、都島区・福島区が旧北区から分区→1989年合区〕
・都島区〔1943年旧北区・旭区から分区〕
・福島区〔1943年旧北区・此花区・西淀川区から分区〕
・東成区〔1925年編入→1932年旭区が分区→1943年城東区・生野区が分区〕
・旭区〔1932年東成区から分区→1943年都島区が分区〕
・城東区〔1943年東成区・旭区から分区→1974年鶴見区が分区〕
・ 鶴見区〔1974年城東区から分区〕
新中央区・・・中央区〔1879年東区・南区誕生→1925年浪速区(南区)・天王寺区(東区・南区)が分区→1989年合区〕
・西区〔1879年誕生→1925年此花区・港区が分区〕
・大正区〔1932年港区から分区〕
・浪速区〔1925年南区から分区〕
・住之江区〔1974年住吉区から分区〕
・住吉区〔1925年編入→1943年阿倍野区・東住吉区が分区→1974年住之江区が分区〕
・西成区〔1925年編入〕
新天王寺区・・・天王寺区〔1925年東区・南区から分区〕
・生野区〔1943年東成区から分区〕
・阿倍野区〔1943年住吉区から分区〕
・東住吉区〔1943年住吉区から分区→1974年平野区が分区〕
・平野区〔1974年東住吉区から分区〕
新特別区と違う区からの行き来に下線を入れてみましたが、
必ずしも歴史的経過を考慮したとは言えない状況に見えます。
特に西区と生野区は違う気がしますね。
それにしても西成区は編入してから大きな変動もなくここまで来ていることがこれでわかります。
将来人口はあくまで「将来」ですから、
歴史的経過はもっと見るべきではと個人的には思います。
そういう意味では、
鉄道や商業集積の考慮はあまり関係ないと思われまが、
次のように分けていると思われます。
新淀川区・・・新大阪駅、十三駅、USJ、天保山
新北区・・・大阪駅、梅田駅、京橋駅、鶴見緑地
新中央区・・・難波駅、新今宮駅、大阪城、通天閣、住吉大社、京セラドーム大阪、靭公園
新天王寺区・・・天王寺駅、阿倍野駅、あべのハルカス、長居公園
意外と新北区が弱い結果になっていますね。
防災上でいうと、
南海トラフでは新天王寺区以外は被害が大きく、
上町断層帯ではすべての区で被害を受ける、
つまり特別区内での分散はあるのかもしれませんが、
大阪市24区のスケールメリットはなくなります。
とりあえず個人的な見解をつらつらと述べてみましたが、
大阪市内のブロック化自身はすでにいろんな分野で行っています。
次回はその辺を深堀してみます。
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