9/25
夕方、昼寝の後、コーヒーを淹れている最中に私の立てる物音に気がついたのだろう、ネコがやって来て、何をするかといえば、網戸をバリバリバリ。
私はこの上なく真剣にドリップの真っ最中で、しかし網戸バリバリは私のハートにも爪を立てるわけで、「ヤメテ」などと小声で言うのだが、視線は注湯中の膨らんだ粉から動かせない。
なんとかドリップを終えて、カップに口をつける前にネコに「朝の残りだぞ」とエサをやる。それからやっとコーヒーの時間である。しかしやっぱり味にブレが出ている。コーヒーとはそういうものなのだ。
網戸越しに薄闇でポリポリとエサを食むネコたちの背中を見ながら僅かにコクが足りないコーヒーを飲む。かわいいから赦す。
本日も、おつかれさまでした。evolucio
9/24
夕暮れを歩いていたら5歳くらいの男の子が道端に立っていた。近くでお母さんらしき女の人が自転車を置いている。「こんにちは」と男の子。あきらかに私にである。「こんにちは」間髪入れずに私も返しすれ違う。きっと「挨拶しましょう」みたいなことを習い始めたのだろう。しかしその対象「誰に」が初期にはなかなか不明瞭で、ゆえに私のような見知らぬ人にまで「こんにちは」ということになるのだが、して悪いことではないし、されて悪い気持ちもしない。「こんばんは」と返すかどうか0.01秒迷ったが、まあこの場合は「こんにちは」で正解だろう。私も遠い昔に同じようなことをした憶えがある。
おつかれさまでした。evolucio
9/22
何も書くことがないから、目についた枕のことでも書いてみると、私のベッドに3つある枕のうちの一つ、そば殻ミックス枕(焦茶カバー)は、朝になると必ず、絶対に、100パーセント、壁とベッドの隙間に落ちている不憫な子。
おつかれさまでした。evolucio
9/19
コーヒーの豆がない。さっき飲んで、もう一粒もない。6日に400グラム買ったわけだから、2週間保ったわけだ。1日28グラムというところか。それでどうするか。もう考えている時間はあまりないぞ。
この時間になると選択肢は二つだけ。明日の午前中はお茶を飲んで過ごすか。それともまた「死神コーヒー」へ行くか。
「やっぱり死神コーヒーの味は重いな」この2週間そう思い続けていたのだが、今日の夕方にフレンチとフルシティの2つのパックのそれぞれの残りを混ぜたら15グラムで、なんとそれが劇的に美味かった。
だから今悩んでいるわけ。では。おつかれさまでした。evolucio
9/18
昨夜、映画「大菩薩峠・完結編」を観て、これで市川雷蔵版はコンプリートしたというわけだが、もう一度しっかりと最初から観たいという気になっている。結末もよかった。少しだけ感想をここに書くと、この映画はなかなかの<ロック>を感じさせるものであった。久しぶりにインパクトのある映画を観た。この時の中村玉緒の魅力は映画史の中でいつまでも色褪せないものである。evolucio
昨夜CS放送で、もう観るものもないな、と思っていたら、古い日本映画「大菩薩峠」が始まり、こういったのも嫌いではないので見始めたらこれがけっこう面白く、最後まで観てしまった。
主役に市川雷蔵の1960年製作版である。
「大菩薩峠」は中里介山の書いた小説で、私はまったく一行も読んだことがないが、異常に長いギネス級の長編小説であることだけは知っていた。しかし内容というか話の流れなど当然まったく知らず、想像では、おそらく武士とか和尚とかが出てきて、内容はしっかりとあるのだろうが地味で暗く重くて、きっと読む気がしないものだろうな、と長らく私の心にラベリングされていたわけだが、今回この映画を観たら、けっこうなエンターテイメント性があり、しかもなかなか人の心の奥深くまで入っていくような話なので、すっかり裏切られたようで面白かった。なんといっても主役がとんでもない頭のおかしい殺人鬼なのだから。
とにかく主役の市川雷蔵━━虚無に取り憑かれた魔剣を操るニヒルな剣士━━が冒頭でいきなり行きずりの善良な老人を斬り殺すところから始まるのだが、私はそれを見ながら、ははあ、これは悪の極限までを果たした人間の逆説的な<悟り>を描いているのだな、と早合点したのだが、まったく見当外れで、この市川雷蔵扮する<机竜之介>はもうなんだか夜になると「うーん、うーん」うなされちゃうし、幽霊が見えるとか虚ろな目で騒いで宿屋で暴れてしまうし、だいたい自分の対決する相手の奥さん(中村玉緒)が何卒手加減して下さいと頼みにやってきたら、さっそく手篭めにしてしまって、しかもその奥さんがその件で離縁をされると、竜之介はその旦那を木刀で打ち殺した挙げ句、二人連れだって京都に行くのだが、いつの間にか子供が出来て、そうするとなんだか尻に轢かれたようなことになり始めたりして、ところがニヒルな感じはそのままなので、悟りなんかは全くなく、なにしろ笑っちゃう。めちゃくちゃなんですよ。
その手篭めにされた中村玉緒(お浜)なのだが、これがまたかわいいこと。撮影当時21才のようで、現在の彼女のかわいさとはまた違って、本当にかわいい。それが手篭めにされる前はいかにも武士の妻といった操を守る女を演じるのだが、連れられて京都に出て、子供が生まれると、これがもうすっかり「アナタ、どこへ行くの。いついくの」とか「浮いた生活がしたい」などと言い出して、もちろんこのアナタはニヒルな市川雷蔵のことで、さすがの虚無も生活には勝てなかったというような話に流れたりして、しかし何を演っても言っても中村玉緒のかわいさに陰りはなく、私は彼女の場面はずっとニヤニヤしながら観通した。まあ映画「悪名シリーズ」の全部を観ているから中村のかわいさは知っていたのだが。
それで最初に書いたように私は「大菩薩峠」について何も知らなかったから、wikipediaで概要を読んだわけだが、これがまた面白い。
なんといっても28年間(1913〜1941)も新聞で毎日連載されていたわけだから、もちろん私の生まれるずっと前であるが、最初は机竜之介の物語であったはずが、年月が経つうちに登場人物のスピンオフにどんどん変わってゆき、そのうち作者の境遇の変遷によって主題も変わり、wikipediaのそこのところの記述(誰が書いたか知らないが)が少し揶揄を含んでいて、声を出して笑ってしまった。
たとえば最初の2年くらいで机竜之介が主役の話は終わるらしいのだが、その後2年間くらいは各登場人物にライトを当てて、いわゆるスピンオフ的に、おそらく話は飛び飛びになるのではないか。机竜之介はあまり登場しないらしい。
そして弁信という人物が登場すると、話は説教臭くなり、一般的にはこれを<大乗仏教小説>と呼ぶらしい。
連載開始から12年も経つと小説内の時空に作者が感心を持たなくなったようで、慶応の3年に固定されてしまい、wikipediaの記述によれば、
“小説は四散した登場人物全員の旅路を詳細に描いていく。数多の登場人物は慶応3年秋の日本各地をいつまでもいつまでも彷徨い続ける。(未完)”
だそうだ。
しかも、現実から夢の中へと登場人物たちが迷い込み、なんと「愛の闘争」が繰り広げられるのだとか。
それにしてもそのさらに後16年間もいったい何を書いたのかと想像すると面白い。どうやら当時の満州国に作者が希望を見つけ、小説もユートピア建設に主題を変えたらしいが、自分の衆議院選挙落選にがっくりして、ユートピアもどうでもよくなったらしく、その後、主題は「農耕主義」に変わっていったようだ。
全41巻。よく続いたものだが、しかし新聞で28年間読み続けた読者も、未完に面食らったのか、それともほっとしたのか、つくづく日本人て面白いなと昨夜は考えた。私も今回興味が湧いてちょっと読みたいなと思うが、まあ読み切れないだろうな。それに、おそらく41巻を読了しても、「読まなくてもよかった」と思うに違いない。読みたいけどね。終
※以上、書き散らかしなので、間違いがあれば、ご容赦を。
※動画は、基地外なことをきっぱりと言い放って、何度見ても大爆笑のシーン。
(中村玉緒は3部作の中で3役を演じている)
9/15
左側の文字を組み替えて言葉を作りましょう。(小学1年)
<例題> いかす━━(すいか)
① すいおむら━━━━━(オムライス)
② のねたきか━━━━━(かきのたね)
③ ちおんまこさら━━━(おこさまランチ)
④ きおのみこや━━━━(おこのみやき)
⑤ ちーくらゃだむう━━(クラムチャウダー)
9/10
死神コーヒーの豆10グラムでコーヒーを淹れて今飲んだ。
華やかな香りもフルーツ感もまったくないが、死神の味はしないから、まあよかった。
この時間だと10グラムでちょうど良い。少し重い味。
昨夜、メル・ギブソンの新しめの映画だと思うが、懲役で何年も会っていなかった娘を助けるために、隠していた昔のワルい自分を出してギャングと戦う、というのを観たが、???。脚本も演出も中途半端な感じ。なにがあっても映画史には残らないといった作品。携わった関係者の誰もが気持ちを入れなかった感が否めない。
同じ「娘を助ける」という設定の映画なら、リーアム・ニーソンの96時間シリーズの方がぜんせん面白い。予算が違うのだろう。
それにしても、やはりアクション映画の方が稼げるのだろうか。
暑いですね。おつかれさまでした。evoluciof
9/9
けっこうな台風でした。
某ドラッグストアの裏手に積んであったのか、なんなのか、よくわからないが、大量のティッシュ4箱パックと、トイレットペーパー12ロール入りパックが合わせて50パックくらい、道路にずーっと先まで散乱していて、こりゃ店長だか配達員だか、怒られるゾ、と心配した。まあ人ごとなのだが。
本日は、とくにおつかれさまでした。evolucio
9/8
京王線の事故。
結局どうすればよかったのか。私もしばらく考えたのだが、やはり運転席から110番がベストではなかったか。
警察に来てもらい、交通を遮断して、完全な誘導によるバックをするか、電車を止めてもらい、左折もしくは右折をするか、これが正解ではなかったか。たとえそれが1時間かかろうが、である。
トラックから降りて「ゴメン、無理」とバンザイしたとしても、周りは<本当に困った人間>には案外優しいもので、1,2時間後にはまた平静な日常を取り戻したのではないか。
地図などを見ると、狭路から出た踏切の道路がわりと広く、あれが運転手をかえって「曲がれるかも」と迷わせたような気がする。
もちろんそれ以前に、狭路に入らない、とか、大型トラックで経験のない道は使わない、とかは当然のことなのだが。
今回のことは交通事故だけのことではなく、普段の生活、大きくいえば人生における訓めとしても示唆する意味は深いと思う。……と、だいぶ昔に、線路に続く狭い道でガス欠をし、後方約3kmの大渋滞を引き起こしたことのある私が書いています。車が止まって、私はまず何をしたかというと、ゆっくりとタバコを吸いました。ゴメンナサイ。おつかれさまでした。今夜は台風です。夜中が一番危ないので、ご注意を。evolucio
9/7
京王線の事故。
トラックがパニックになって、つまり冷静な判断が出来なくなって踏切内に進入し停車したところに電車が衝突したということらしいが、しかしたとえトラックが踏切内で停車したとしても、あのような事故は絶対に起こらない万全なシステムが構築されているのかと思っていたが、そうでもなかったことに驚いている。被害者の若い女性が重体らしく、心が痛む。
9/6
最近、少し涼しくなってきたからか、「熱いコーヒーが飲みたい」という気分にもなってきて、とはいえ少しくらいの豆はいつもあるわけで、今日の昼過ぎにちょうど20gを淹れて飲んだ。けっこう美味かった。すると保存豆がまったくのゼロになってしまい、明日の朝の目覚めが困難になりそうな気配なので、ならば買いに行くか、しかし蒸し暑いな、外に出るはいやだな、「なんとかイーツ」というのはそういった豆だけも届けてくれるのかな、などと考えていたのだが、さすがにナマケモノ過ぎるだろう、という気持ちになって、水のシャワーを浴びてから、ぱりっと乾いた白のTシャツを着て夕暮れの町に出た。
もう近所でいいや。歩いても5分の駅前にある「死神コーヒー」に行った。「いらっしゃいませ」相変わらずの辛気くさい声である。何を買うか。まあフルシティのブレンドとアイス用でも買うか。私は死神の視線を無視し、パッケージの焙煎日の確認にしばし時間を費やした。
なにも最新が欲しいわけではない。「飲み頃」を買いたいのだ。焙煎から10日くらい経ったものがベストだ。それにここでは油断すると2ヶ月くらい経った豆が置かれているから注意が必要なのだ。ほら見ろ、アイス用はもうどれも3ヶ月経っているではないか。これは却下だな。ふふふ。死神の口惜しそうな顔よ。よしフルシティとフレンチのブレンド、合わせて2パックを買った。なぜか4パーセント引きらしい。「ありがとうございました」死神の妙に掠れた声が背中に聞こえた。体感温度も少しは下がったかな。
本日も、おつかれさまでした。evolucio
9/4
先ほどまで映画「トゥルー・グリット」を観ていた。
やる事もあり、観る気はなかったのだが、案内を見ると、監督はコーエン兄弟ではないか。もちろん「ノーカントリー」の、である。しかも出演にジョシュ・ブローリンの名もあるのだ。それで最後まで観た。観てしまった。観なくてもよかったかな。おつかれさまでした。evolucio
9/3
カリカリのエサをやるとすぐに白茶も現れて、数日の杞憂を笑った。
しかし、しかしだ。その杞憂もまったく理由がないわけではない。それは、このエサ場(私の家)エリアに最近、闖入者が現れたからだった。まあ<者>とはいえネコだが。
本日も、おつかれさまでした。evolucio