20201130
ここは西洋だ
イヌが英語をつかう
中野重治 「帝国ホテル」より抜粋 昭和29年 昭和詩集 角川書店発行
詩人中野重治という名前はけっこうな重さを持っていると思うが、私は彼の作品を読むのはこの本でが初めてである。
中野重治Wikipediaリンク
名前だけは知っていた。なんとなく抒情詩作家であるような気がしていた。しかし真逆でした。共産党員のプロレタリア詩人で、冒頭に貼った抜粋のようにかなり挑発的で辛辣で、抒情の欠片もないというか、抒情は拒否だという気概があり、しかしそれは抒情を理解しないということではなく、自分は抒情を行かず、人が目を背けるような場所を歩こうと決めていたようだ。まあ私は彼のいくつかの詩を読んだだけなので、その後変わったの変わらなかったのか、わからないが、Wikipediaを読むと「死ぬまで左翼」といった様子である。とはいえ現代の共産党とは違い、理想を追いかけた当時の謂わば良い左翼であり、それは作品に顕れている。人に嘘があれば詩は書けない。そこに嘘があるかないかわかる人にはわかる。ただし嘘といっても日常の金の無心につく嘘などではなく、自分が紙の上に吐く言葉に嘘があるかどうかである。
冒頭の抜粋は題名通りに帝国ホテルのことを書いていて、暗喩ではなく明確明瞭に揶揄している詩なのだが、なかなかキビシイですね。つづきを少し貼りましょう。
それからここは安酒場だ
デブ助が酔つぱらつている
それからここは安淫売屋だ
女が裸で歩く
イヌとはおそらくホテルの従業員だろう。デブ助は外国人かもしれない。女はそういった商売の人だろう。(補記。そういった商売の人ではなくて、露出の多いドレスのご婦人を指しているのかもしれない) 安淫売屋が悪いというのではなく、お高く気取っているけど安淫売屋じゃねーか、という感情を読み取れるが、ホテルはその大小にかかわらず今も昔もそういった側面は少なくないので、中野さんの気持ちはわかる。いかにも共産党員らしい視線での作品で、いわゆるブルジョアを毛嫌いしているといった気持ちが露骨に表れていて、しかもそれが直球で表現されているところが私にとって好ましく面白い。デブ助などという言葉を他の詩に見たことがない。
もちろんデブ助も比喩だとも考えられ、単にホテルに来るたとえば大柄の外国人を指すのではなく、日本という国の上に何かのよからぬ手段で立ち、まだまだ貧しい地方の生活など顧みず、戦後の混乱に焼け太る誰かの姿を指しているのかもしれない。(訂正。帝国ホテルという詩は昭和三年以前に書かれたようなので、戦後という理解は当たらない)
最後にもう一つ、彼の思考の根底がよくわかる詩の抜粋を貼っておこう。中野さんはどうも汽車とか機関車が好きなようだ。
きかん車
きかん車
まじめな
金で出来たきかん車
━━以下追記━━12/1
昨日、上の文章を書いて公開にしたのだけれど、夜中にはっと目が覚めて、その時、頭に浮かんだのはなぜか「抒情」という言葉で、よくよく考えてみたら自分は抒情の意味をよくわかってないのではないか、と深夜のベッドの上で心配になり、PCを立ち上げて少し確認したら、ますますわからなくなり、しかし眠いし、それで一旦、昨日の文章を非公開に処理して、また寝たという次第。もちろん少し恥ずかしい気持ちとともに。しかし「抒情」の意味はけっこう難しくて、これを書いている今でも明確にわからない。言葉の意味が広くて深いのがその原因であるかと。
通常、抒情(叙情)の意味とは「自分の感情を述べ表すこと」であるらしい。すると自分の感情を詩に書き表している中野重治は抒情詩人ということになり、上に書いた私の文章における中野が抒情を拒否したという箇所はまったくの私の勘違いであったことになる。
昨日までの私の抒情や抒情的などの意味の認識はというと、赤とんぼや故郷などの童謡を抒情歌と呼ぶが、私はその雰囲気を抒情、抒情的だと思っていた。間違いではない。そして童謡ではなく、クラッシック音楽などにも抒情的というニュアンスがあり、それは哀愁や切なさを含んだ物悲しいのにどこか心地よい曲調を指す場合が多いと思う。
しかし、それが詩についての抒情ということになると少し変わってくるらしく、自分の感情を込めることを抒情とするなら、やはり中野重治は抒情詩作家であるといえる。ところがいくつかの中野についての文章を読むと、やはり中野重治は初期は抒情詩を書いていたが、共産党員になった頃に抒情に決別した、というような見解もあったり、いや中野は「新しい抒情」を生み出した抒情詩作家である、という人もあり、私は悩むところである。
この「新しい抒情」という考え方がおそらく詩の業界にはあるらしく、私は業界人ではないから知らなかったが、つまり、要するに「抒情」の意味も時代とともに変わっているようなのだ。
私としては抒情はあくまでもその言葉が嬉しくとも悲しくともある種の心地よさを持っていたいと思うので、デブ助云々に抒情であるとしたくはないが、まあ学識としての判断に準じたい。それに詩というものをカテゴライズするところから困難であるとしかいえなくもない。
この追記で何を言いたかったかというと、まずは私の認識不足。そして抒情という言葉の捉え方が業界によって違っているということ。そして「新しい抒情」というような複雑さがあるということ。です。だから上の文章は消さないが、当たっているかもしれないし、まるで見当違いなのかもしれないので、ご理解ください。他にもいろいろ不足蛇足があると思います。以上。
20201128
風が強い。何故?ガス良い。
寒いし。釜石。
眠いし。煙死。
バナナないし。ワハハ祭祀。
もう寝るかな。ヨーデル佳奈。
いやまだ寝ない。宮マーダー眩暈。
となりの子供がウソ泣きしてる。
オカリナこの世ガウス巻き果てる。
お疲れさまでした。
お連れ様でした。
E V O L U C I O
20201127
コロナの感染者数が増加しているらしい。
大人を回線誘うが廊下ジュテーム走り。
しかし検査数が増加しているのだから、
案山子年賀状が投函見ている子宝、
一概に比較はできないのでは。
基地外に味覚歯で記載喉輪。
おつかれさまでした。
夏枯れサマー消した。
エヴォルシオ
絞る塩
20201126
15年くらい前か、もっと前だったか、私は上野駅前で信号待ちをしていて、青になれば渡ってアメ横に行くつもりで立っていた。
やはり反対側でも私の方を向いて信号待ちをしている人たちが大勢立っていて、その頃はスマートフォンなんかなかったから、どちらに渡るにせよ皆なんとなく見るともなく自分の進行方向を見ていた。
ところがその反対側の中の一人の男性がなぜか私を見ているのだ。遠目だからわかり難いが、明らかに私を見ている。そして私も私でその人を見ていた。「なんか見たことのある人なんだけど、誰だっけ」という感じ。
信号が青になった。どちらからも一斉に人が渡り始めた。さすがにいつまでもジロジロ見るのは失礼だし、トラブルになりかねないので見るを止めたが、感で距離を測って近くに寄った時に私はまたパッとその人の顔を見た。一瞬だけ。するとその人も私を見ていたらしく、目が合った。
丸くて大きな目。体は一際大きく頑丈そう。しかしなんとなく人の良さそうな田舎っぽい顔立ち(といっては各方面に失礼だが)
そのまますれ違い私はアメ横の入口まで来てやっと誰かわかった。あっ工藤公康選手だ。間違いない。
ほんの一方的な思い出話から突然ですが、昨夜は日本一おめでとうございます。圧倒的な強さでしたね。
工藤さんが私を見ていた理由はおそらくただ一つ、私は当時長髪でヒゲボーボーでホームレスみたいなのに、えらそうに腕を組んで立っていたからでしょう。あの頃はよく職質を受けましたよ。
おつかれさまでした。
おやすみなさい。
20201123
視線伊集院汁息が罪巡査音痴
にせんにじゅうねんじゅういちがつにじゅうさんにち
しせんいじゅういんじゅういきがつみじゅんさおんち
昼過ぎのコーヒーが素晴らしく美味かった。
見る杉野コーギー、ガスやらしく芋買った。
ひるすぎのこーひーがすばらしくうまかった
みるすぎのこーぎーがすやらしくいもかった
モカのナチュラルと、
ウォッカのリチュアルと、
も かのなちゅらると
うぉっかのりちゅあると
フレンチブレンドを半々に合計25グラムで、
フレンチブルドックを散々にオーケー移住モグラ詣で。
ふれんちぶれんど をはんはんにごうけいにじゅうごぐら むで
ふれんちぶるどっくをさんざんにおーけーいじゅうもぐらもうで
出来上がり230ml。
シェキナベイビー医薬サンチュ入りメッコール。(笑)
で きあが り にひゃくさんじゅうみりりっとる
しぇきなべいびーいや くさんちゅいりめっこーる
ナチュラルらしい果実感の濃さと、
ラブラドール足イカ三日後残さねど、
なちゅら る らしいかじつかんのこさ と
らぶ らどーる あしいかみっかごのこさねど
フレンチのコクと香ばしさの相性が絶妙で、
オレん家のマクド購買欲しさモアイ生姜レッツゴーDay。
ふれんちのこくとこうば しさの あいしょうがぜ つみょうで
おれんちのまくどこうばいほしさのもあいしょうがれっつごー でー
昼過ぎて目が覚めたことの後悔も癒されました。
キルギス見てメガ鮫蛸殿航海ソイヤ晴れました。
ひるすぎ てめがさめたことのこうかいもいやされました
きるぎすみてめがさめたことのこうかいそいやはれました
連休おつかれさまでした。
練乳二十日リサ派手来た。
れんきゅぅおつかれさまでした
れんにゅうはつかりさはできた
E V O L U C I O
根掘る人。
えゔぉるしお
ねほ るひと
まあてきとうですよ。
魔明け祈祷Death you。
まあけきとうですゆー。
20201122
湿度が低いようですね。
いつの間に濃いよ腕脛。
喉を大切にしてください。
おどーを埋設に来て下さい。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O
20201121
今日、昼の1時半に起きたのは私です。
まだプリンターの機嫌が直りません。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O
20201120
暖かいですね今日は。
お腹痒いイエス猫は。
暑いくらいでした。
発育ライドスター。
来週急に寒くなるのでしょうね。
編集長ニッサン唸る野田醤油。
適当過ぎませんか。
激昂好きマシンか。
真面目にやろうぜ。
ファジーケニヤモーゼ。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O
20201119
昨日のページに「夢の中で」と書いたのだが、この「夢を見る、夢を見た」という場合「見る、見た」の漢字の使い方に以前から何か釈然としない気持ちを持っていて、今、他に書くこともないのでその気持ちを整理する意味も含めてここに書き始める。
見た、観た、視た、診た、看る、など「みた。みる。」にはシチュエーションに合った漢字があるわけだが、これがなかなか難しい。
汎用的に「見る」を使い通すことも出来なくはないが、それではせっかくの漢字を使うことの悦びを味わえないし、象形の意味がなくなってしまい漢字はただの記号となり、文章が有機から無機的に感じられ、それはただ表面的な意味が伝わればよい、というようなことになりかねず、たとえばもしも国の政策で「これからは(見る)だけを使うことにします。他の文字は一切使ってはなりません」と決まったなら、私はもう文章を書く気にならないだろう。
「映画を見た」は「映画を観た」とも書けて、私なら鑑賞という意味で「映画を観た」と書くことが多い。しかし「テレビを観た」とはあまり書かない。テレビなら視聴という意味の「テレビを視た」と書くだろう。
ところが「テレビで映画を見た」場合、「観た」か「視た」か、もしくは「見た」か。これは迷うところだが、まあ私は「観た」を使うかな。
私はポンコツノータリンなので国語と漢字を学術的に解説することは出来ないが、このページで何を言いたかったかというと、「夢を見る」「夢を見た」の場合、「見」この字では何か味気なさを感じませんか?ということ。
前提として、夢には誰もが知っているように代表的には二通りの意味があり、一つは睡眠中の夢。もう一つは将来の夢。です。
この二つの意味の夢に「見る、見た」しか使えないのは日本人としていかにも寂しい。とはいってもそれ以外の漢字はまったく使えないし、この問題に私は長らく悶々としてきた。
「見」という漢字は元来、人の上に大きな目が載っているという象形から始まったというのだから、わかります? ほら夢を見ることに目は使わないでしょう。眠っている時にも、将来を考える時にも目は使わないわけです。だから私は釈然としない。
もちろん和語優先で考えれば「ゆめをみる」で事足りるし、これはこれで美しいわけだが、しかし「夢」という漢字も捨てきれないわけですよ。平仮名ばかりの文章では読み難いし、しかし漢字多用の漢語優先の文章も硬くて読み難い。だから私としては普段から和語と漢語のどちからといえば和語優先で書きますが、「夢を見る」と書く場合、繰り返すが「見る」の文字がどうにも気になってしまう。
もう結論を言いましょう。
夢に対応する「みる」の漢字を新しく創っていただきたい。政府に。菅さんに。
創るなら、やはり偏は心を表すりっしんべんだろう。旁に「見」を配置すれば誰でも理解できるのではないだろうか。自画自賛になるが、これはなかなかの発見と提案ではないか。よし早速例文を書いてみよう。
あらためて見て、正直「ぜんぜん違うな」と思った。
「なんだコレ」感がすごい。
やっぱり「夢を見る」でいいや。
おつかれさまでした。
バナナ食べたい。
E V O L U C I O
20201027に見た夢の話
夢の中でフランス人の女性にずいぶんと世話になった。
私は何かの用事で、その地に滞在することになり、初老の彼女の家に何泊かした。
フランス語はまったくわからなかったが、意思の疎通は十分にできた。
宿泊中の心の籠った応対に、私は去り際、彼女に何かお礼をしたかったが、
何もできず、最後に名前を尋ねた。
やはりフランス語だったから、よくわからなかったが、
しかし、その意味を教えてくれた。
「水のガレージ」だと。
甘く優しい数日間の思い出である。
E V O L U C I O
20201117
ルイボスティーを飲んでます。
遠いバス停混んでます。
コンフィデンスなアライアンスが、
コンプライアンスでございます。
クリスマスならマスターブラスター。
クラスターなら蒸らしたタオル。
村下カオルの暮らした真鶴。
また降る雪が。
フルグラ好きか。
スキーかウキーか。
ウイスキーならチャイコフスキーを聴きながら。
ただ今、プリンターのメンテナンス中です。
まな板、不倫ラーメンテナント募集中です。
ちょっと苦しいか。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O
20201116
ひとりでいると
なんの奇蹟も起こらず
夜は更けて行く
━━壷井繁治「動かぬ夜」より抜粋━━
昭和29年発行「昭和詩集」(角川書店)より
壷井繁治Wikipediaリンク
いつものことであるが、私はこの壷井繁治さんを、この本を読むまでまったく知らなかった。壷井という名前ですぐに思い出すのは「24の瞳」の壺井栄さんであるが、まあ関係ないだろうと思ったら、お二人はご夫婦でありました。小豆島出身の二人が東京で出逢い(遠縁らしいので再会、もしくは紹介?)結婚に至ったというようなことらしいです。若き日は世田谷の三宿に住み、晩年を中野の鷺宮(若宮)で過ごしたということです。私は中野若宮なら知らない道はないというくらいによく知っています。道が狭い。西武信金がある。その向かいには果物屋。線路と川があって車ではややこしい。とか。でもいいところです。
さて作品の紹介ですが、この本には彼の20篇ほどの詩が載せられていて、その中から私が良いと思った箇所を脈絡を考えずに抜粋します。行にいちいち題名とかを書くのは面倒だし、かえって複雑になるので、ここでは単純に並べます。繰り返しますが、下の抜粋はひとつの詩ではありません。いくつかの詩からの抜粋を並べたものです。
星と枯草が話していた
蟻を殺したが
悲鳴すら聞こえなかった
死者たちもたちあがつて抗議する
生き残った者のなかに生きる死者の存在
僕が物言わぬからといつて
壁とまちがえるな
目を覚ますと、僕は喪章で飾られていた
風の中の乞食
プロレタリア詩人ということらしいですが、私はけっこう好きです。
暗い表現が多く、全部を真剣に読むと疲れますが、ある部分に光のような言葉があり、その印象と風景に心が誘われます。
E V O L U C I O
20201111
思い出をこぼさぬように こんぺいとうガーゼに包み森の道いそぐ
岡しのぶ もし君と結ばれなければ ネスコ発行
私が座っている目の前に2,3年放置したままで、ごくたまに手に取って読んだりしていたが、今、青い表紙が目についたから、その中の一首を上に紹介した。この他にもある意味でセンセーショナルな歌もあるのだが、今の私はこの歌がよかった。作者の岡しのぶさん、1996年に19歳で出したこの本だけが世に出ているということなのだが、現在までの消息を私は知らない。一冊だけの彼女のこの本には良い歌がたくさんある。私は高円寺のガード下の古本屋で買ったのではないか。2003年かそこらの年に。あそこを犬と歩くと高架の電車の音に驚いて犬が腰砕けになったのがかわいそうでもあり面白くもあった。この歌集はおそらく多方面に影響を与えたと私は思っている。誰もそれを言わないが。
読書メーター岡しのぶ項リンク
20201110
タンカー佐世保着いたみたい。
モナカにテキーラを知った原田。
サメがいたからな。
グッドねトーマス。
曲がっては通行マヒナノテク。
監督八百屋腕輪。
連れ銭湯帰宅レゴ脂肪過多。
煙幕マシ。
Do through car。
ラーメン得か?
ソテー噛みてー。
粘。
レバー好きよ。