つづき。
何のつづきかというと、
カート・コバーンのドキュメンタリー映画「Montage of Heck」を観ての感想を数回にわたり書いているわけだが、純粋さのあまり「弱さ」があったカート・コバーンに対して「強さ」を見せ続けてきたミック・ジャガーを較べてみて、そこにブライアン・ジョーンズというやはり「弱さ」があったRストーンズの創設メンバーを登場させてみたが、私がW杯を夜中に観たりしていて生活リズムが狂い、何がなんだか、話の趣旨と方向性を今では見失っているところ。暑いし。
ミック・ジャガーについて、前にも書いたとおり、彼は見切りというか見極めというか、それが早かった。オレたちはこんなもんだ。客はこんなもんだ。大衆はこんなもんだ。メディアはこんなもんだ。音楽の価値はこんなもんだ。ドラッグなんてこんなもんだ。だからどうすればいいか。こうしよう。そうしよう。
この「見切る。見極める」という能力は当然、経営者になくてはならないもので、対してカート・コバーンにはそれがなかった。ブライアン・ジョーンズにもなかった。実は私にもない。
カート・コバーンにあったのは、優しさの裏返しによる一見尖っているかのように見えるアートセンスと、一点に集中できる能力ではなかったか。
ここでいう一点集中とはどういうことかというと、彼がギタリストとしてあのレベルを弾く能力は、ある期間をそこに集中しなけば到達できないことは明白で、ゆえに彼はその期間を過ごしたのだ、という理屈である。
もちろん彼にウルトラテクがあるわけではないが、しかしあの独特なリズム感や、エッジの効いたリフなどは凡人にはコピーは出来ても創り出すことはまず難しいだろう。
ミックとカートと、お互い違ってはいてもそれぞれ高い能力を持ちながら、片や75歳にして現役ロックンロール・アイコン。片やすでにレジェンド。
この二人の違いをもっともシンプルに明確に表現するなら、するなら、
今、思いつかないから、また後日。
つづく。
何のつづきかというと、
カート・コバーンのドキュメンタリー映画「Montage of Heck」を観ての感想を数回にわたり書いているわけだが、純粋さのあまり「弱さ」があったカート・コバーンに対して「強さ」を見せ続けてきたミック・ジャガーを較べてみて、そこにブライアン・ジョーンズというやはり「弱さ」があったRストーンズの創設メンバーを登場させてみたが、私がW杯を夜中に観たりしていて生活リズムが狂い、何がなんだか、話の趣旨と方向性を今では見失っているところ。暑いし。
ミック・ジャガーについて、前にも書いたとおり、彼は見切りというか見極めというか、それが早かった。オレたちはこんなもんだ。客はこんなもんだ。大衆はこんなもんだ。メディアはこんなもんだ。音楽の価値はこんなもんだ。ドラッグなんてこんなもんだ。だからどうすればいいか。こうしよう。そうしよう。
この「見切る。見極める」という能力は当然、経営者になくてはならないもので、対してカート・コバーンにはそれがなかった。ブライアン・ジョーンズにもなかった。実は私にもない。
カート・コバーンにあったのは、優しさの裏返しによる一見尖っているかのように見えるアートセンスと、一点に集中できる能力ではなかったか。
ここでいう一点集中とはどういうことかというと、彼がギタリストとしてあのレベルを弾く能力は、ある期間をそこに集中しなけば到達できないことは明白で、ゆえに彼はその期間を過ごしたのだ、という理屈である。
もちろん彼にウルトラテクがあるわけではないが、しかしあの独特なリズム感や、エッジの効いたリフなどは凡人にはコピーは出来ても創り出すことはまず難しいだろう。
ミックとカートと、お互い違ってはいてもそれぞれ高い能力を持ちながら、片や75歳にして現役ロックンロール・アイコン。片やすでにレジェンド。
この二人の違いをもっともシンプルに明確に表現するなら、するなら、
今、思いつかないから、また後日。
つづく。